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第三章 つどえるものども・2

 その『新聞』は、患者の一人が、弁当の包み紙にしていたものだった。その染みだらけの、食い物の匂いがする紙の束がなぜか無性に気にかかり、相手が恐縮するほど丁寧に、譲ってもらった小春静だった。


 診療所である。治療を済ませ、掃除を済ませ、今日もまたつつがなく仕事が終わる。ほっと息をつき、さて、新聞を検めてみましょうか、と思ったときだった。二人連れの急患が、大騒ぎしながらやって来た。

 患者は、山の黒土に汚れた、馬面の四十代の男だった。大声でうめき、脂汗を流し、ショックで体を小刻みに震えさせている。静は瞬時に、左すねの骨折を察知した。

 仮にも先生と呼ばれる者が、静のような小僧だと知って、馬面が、これだけは元気に怒鳴った。

「──なんなんだよここはよっ!?」

「診療所、ですよ……」

「──こんなときに冗談こくなっ!」

「ごめんなさい……」

 そういうわけで寝台に横にさせたが、あらためて、馬面の、その顔に見覚えがない。その表情を読んだのか、すかさず、担ぎ込んできた丸顔の男が口を開いた。

「いや、ノリ若先生、こん人、つい先月、町に引っ越して来たばかりなんだすもの」

 と、妙に嬉しそうに説明する。ちなみにこの丸顔の男は町の仕立て屋の店主で、たしか四十五歳。なにかと病気を作っては静の顔を見にやって来る、ここの常連親爺だった。

 二人して山遊びの最中、山に慣れぬ馬面が、気の緩みから滑落したとのこと。そのときのようすを、微に入り細にわたって、丸顔が、喜色満面で喋りまくる。無視された格好の馬面男がたまらず大声を上げた。

「――まともな医者に連れて行ってくれえっ」

 丸顔が余裕たっぷりに、まあまあとなだめる。なんだか、漫才でも観劇しているみたいだった。

「では──」

 治療を開始する。静は男の視線をとらえた。そのとたん、馬面の震えが、すっと止まった。

「あれ?」

 痛みが消えた、と男がつぶやいた。

 静は男の左足を両手で持つと、左右に引っ張った。それを見て男が慌てたが、すかさず連れが押え込み、そして当然あるべき痛みもなかったようで、彼はすぐに大人しくなった。

 そのまま五分が過ぎた。静はそっと、足を床に下ろしてやった。

「ノリ若先生、ありがとござんす。……さあ旦那、けえりましょうや!」

 丸顔が得意げに叫ぶ。

 馬面は、左足をしげしげと見やり、次にその足で床を踏みつけ、最後に、微笑を浮かべている静を見つめると、ポカンと口を開けたのだった。


 二人が嵐のように去り、静はようやく新聞に取りかかった。日付は、八月三十日。ああ、『二ヵ月も前』の紙の束だった! だが──

「『帝都に吸血鬼現る!?』……」

 いくぶん青ざめた顔をあげる。

 静にとって思い当たる人物と言えば、この世にただ一人しかいない。


 祖父である――


         ※


 静は両親に上京の許可をもらった。最初のうち母が反対したが、最終的に父が首を縦に振って決まった。馬鈴薯の畑の成果が大いに物を言ったのかもしれないし、祖父という『事情』がそうさせたのかもしれない。

 とにかく、承諾をもらえたのはよかったが、さて困ったことに旅費の工面がつかない。

 ノリの、いわゆるヒーリング業は、無料奉仕だった。

 畑や山からの収穫は、家族をまかなうのでいっぱいで、売りに出せる余裕はない。なんとかなりそうなのは川魚の薫製だが、これもこれからの時期の重要なタンパク源で、父母のために残しておきたかった。

 いっとき、あきらめかけた。なんたって、新聞記事である。ガセかもしれないし。

 だけど――

 東京に行けば、また三四郎に逢えるかもしれない。

 ――


 がんばって考えた末、薪売りをすることにした。

 山に入り倒木を集め、片手で大鉈小鉈を無造作にふるい、薪に加工する。藁縄で束にし、決意を表すかのように、荷車に山と積みこんだ。

 めったに下りたことのない麓の町に出る。どれくらいの値段で売ったらいいのか、商売の経験がなくてわからなかった。こういうときに限って、知った顔も見つからない。静はとりあえず、町外れの家から片っ端に、その奇麗な声をかけて回ったのだった。

「薪はいらんかねー……」

「……いらーん」

 うろうろしているうちに運がなく、一帯を縄張りにしているやくざ者に取っ捕まった。入れ墨をした上半身に、組のはっぴを両肩に引っ掛けただけの若い男。その男に、組合事務所に引きずり込まれた。そこには三十人ほどの男衆が屯していて、ちょうど親分が顔を出していた。子分は張り切って凄んだ。

 静は一応恐縮してみせた。この人たちの仕事の横取りはよくないことだと素直に思った。ただ、事情が事情だった。だから、『親類』を見舞うための旅費を稼ぐだけだと幾分ウソ混じりの言い訳をし、黙認してくれるよう頼んだ。

 てらてらと油ぎった顔の親分は、興味を引かれたようすだった。粘っこい目つきで静の全身を甞めるように眺めたあと、その親類とやらはどこにいるんだい、と妙に優しく訊いてきた。


 帝都です、と静は答えた。


 とたん、親分と子分どもが真っ赤になった。

「このクソだらがッ!」

 子分の一人が鬼の形相で喚いた。

「隣町ならともかく、東京たあ、どんだけ掛かると思ってやがる! 町じゅう数年分の薪で埋まっちまうわ! ボケなすが!」

 四方からぶっとい刺青の腕が伸び、静は押え込まれてしまった。親分が顔を近づけた。酒臭い息だった。怒りのためか、顔が赤黒くなっている。静の整った顔をぴしゃぴしゃとはたいた。

「小僧、諦めるんだな。それとも陰間でもしゃあがれ。その方がはええ」

 男どもがゲラゲラ笑う。

「裸にひん剥いて叩き出せ!」

 今度こそ身の危険を感じ、静ははじめてノリの怪力をふるった。一度に五、六人の男がふっ飛んだ。一拍の間もおかず親分の前に立つ。その胸に手のひらを当てる。ノリの治癒の『逆利用』――男の息が、数秒間、詰まった。

 この恐怖は、わかる人にしかわからない。親分の顔から血の気が引いた。

「……旅費を稼ぐあいだだけ、見逃してよ。ね?」

 やくざの親分は、静のとろけるほど優しげな笑顔に向かって、かくかくと首を動かし続けたのだった。


         ※


 薪は、相変わらず売れなかった。

 さすがに精神的な疲労を感じ始めたときだった。背中に、驚いたようすの声がかけられた。振り返ると、先日、足の骨折を治してやった馬面の男だった。

「おい、こんちわ、なんなんだよ、その様は……?」

 静は、事情を聞いてくる彼に向かって、この日二度目の説明をする。

 馬面は当惑の表情になった。

「君……いや、ノリ若医者先生。……帝都まで、旅費がいくら掛かるか、知っているよね?」

「実は、知りません」

「……では、その薪は、一束いくらで売ってるんだい?」

「実は、一束も売れていません。ですから、値段も知りません。でも、誠心誠意がんばります」

「……」

 絶句してしまった男は、やがて立ち直り、静を町中の一軒の建屋まで案内した。

 そこは大きなスーパーマーケットだった。馬面の男は平気な顔で、建物の裏手に入っていく。

 男はそこにいた店の小僧に、荷車の薪をすべて下ろすよう命じた。小僧はペコリとお辞儀をし、「承知いたしました、社長」と答えた。


 馬面の男は、そのスーパーマーケットの、社長だった!


 ちょっと驚いている静。そんな彼に向かって、こっちにおいでと社長が手招きをする。

 応接室に入り、椅子を勧める。女性社員にお茶を頼み、さらに、おやっさんを呼んでくれ、と付け加えた。

「さて……」

 こちらを見る。社長は、自分は新見小次郎(にいみこじろう)である、とまず名乗った。

「君の薪、全部買い取らせてもらう。値段は……ところで、東京で何泊する予定なんだい?」

「あの、一週間もあったら十分だと思っているのですが……」

「結構、結構。薪の値段だが、往復の旅費と、その一週間の宿泊代、足すことの食事代、それと……現地での活動費、で、いいね?」

 静は心底驚いた。

「――ありがとうございます!」

「いま、佐藤という男を呼んでる。もうすぐ来るだろう。仕事で帝都に出ることになっているから、いっしょについて行くといい。信頼できるおやっさんだから、心配いらないよ。ついでにだ……」

 新見社長、ぎょろりと目を向ける。

「道々、佐藤からいろいろと習うといい……」

 それだけ言った。

 馬面の新見小次郎社長、親切な男だった。





この物語の舞台は、都合により「なんちゃって昭和初期」なんです。(現代のような科学技術があったら大いに困るのよ)

昭和初期の風俗に関していろいろとヘンなこと書いてますが、「なんちゃって」だから黙って見逃してくれたら嬉しいです。

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