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ニート need 兄と  作者: やまたけのもっさん
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兄の誕生日

時間という定義は非常に曖昧なものである。


一応、何時から何時までが朝だ。

昼だと分ける事は可能だけれど、人によっては薄暗闇に太陽が差し込んだ瞬間からが朝だと言い、人によっては太陽が昇り切ってからが朝だと言う。


俺個人の意見では、朝は陽の光が部屋の中に入り込んだ時から、太陽が昇り切るまで。

大体は、時計の針が示すのと同じで、太陽が一番高くに昇ってから以降は、昼。


そして今、建物の内側に漏れ入る光は非常に薄いが、時計が示しているのは朝の七時。

多くの人々が仕事を始めているか、朝食を摂る時間なのだが、俺はまだ食事を口にしていない。

起きたばかりというわけではない。起床したのは朝の五時で、出掛ける仕度は疾くの昔に出来ている。


だというのに何故か、と問われれば「我が家は朝食は出来る限り家族全員で摂ると決まっているから」と答えるしかない。

確認こそしていないが、いつもの通りであれば両親は既に起きている。

そうなると、起きていない者といえば、たった一人。


今日だけ、たまたま寝坊しているのではなく、陽が沈んでから太陽が昇り切るまでが夜だという、放っておくと俺まで朝食抜きになりかねない持論を持つ男を起こすのは、いつからか俺の役割になっていた。

不本意だが、食事の為に仕方がない事だと割り切ったのは遠い昔の話。


小さく溜息を吐いて、足音を響かせる廊下の先。目的地である部屋に着くまでに、持参した魔界新聞を開く。

我が家ではこの他にも人間側の新聞、魔族側の新聞を出ているだけ全て取っているが、今日はどこもかしこも同じ記事ばかりだ。

慣れた我が家の廊下を進みながら、まず紙面の見出しに目を止める。


『東の勇者・東の魔王陛下の結婚二十六周年記念』


去年、二十五周年と表記されていた所が二十六周年となっているだけで、特に変わり映えしない、毎年恒例の記事。

内容についても、大して差はないのだが、とりあえずは目を通していく。




勇者と魔王とは、いわば敵同士というのが、東西南北、この世界では当たり前の考えであった事は、皆さんの記憶にも新しいでしょう。


けれど、二十七年前、東の勇者と誇り高き我等の東の魔王陛下との闘いが決してから、我々はその見解を改めました。


詳細は御当人同士でしか知りえない事なのですが、誇り高き我等の魔王陛下が敵対し、幾度となく刃を交わしていたはずの勇者と婚儀を結ぶと、何の前触れもなく仰った時、世界は――誇り高き我ら魔族は勿論、人間も含め――揺れに揺れました。


あの時、あの瞬間の我々の驚きは、言い表す事が出来ません。


魔王陛下の仰る事に何一つ間違いはないと、心から信じておりますが、あの時ばかりは皆が声高に思い留まるようにと申し上げました。


無論、人間側も誇り高き我々魔族を恐れて反対の意を唱え、意図せず、人間と魔族の意思が通い合ったのは、あの時からだったのかもしれません。


皆の反対を押し切り、気付けば、御世継を御作りになってしまった魔王陛下と勇者に落胆した者は星の数。勇者や人間に親しくしていた誰かを奪われた者は悔しさの余り地団駄で地割れを起こし、魔王陛下をお慕いしていた者は涙で床下浸水。


よもや、両種族間を代表する存在が所謂、今の言葉で言う出来ちゃった婚。


御子が出来ては止められず、御二人が夫婦となられたのは、御子が誕生された日。

つまりは二十六年前の今日という日なのであります。


魔王陛下の御結婚は半ば強引なもので各所から反発もありましたが、我等誇り高き魔族は皆、どのような場合であれ魔王陛下を信じております。

魔王陛下の御身に大事なければ何事も魔王陛下の仰る事が正しいのだと存じております。


ですが、我等誇り高き魔族の頂点。

我等を導いて下さる何よりも尊い魔王陛下の伴侶が、よりにもよって人間。それも勇者。


不満に思う者、魔王陛下が勇者に誑かされたのではないかと疑う者が全く居ない、とは言い切れない時世。平和の象徴である、あの御方の誕生で皆が納得しました。


魔王陛下の計らいで、世界の全ての者に披露された、生まれて間もないあの御方の姿。

地獄花のように赤黒い肌。トロルのようなずんぐりむっくりの体。

何より、地を裂くような産声は我等誇り高き魔族のみならず、人間達をも魅了したのです。


人間と魔族。勇者と魔王の間に生まれた御子は、血肉を持った両種族の懸け橋。


この逞しくも美しく成長するであろう御子を抱き、優しく微笑む魔王陛下の御姿を見れば、我等、魔王陛下に付き従いし誇り高き魔族は、何も言えない心地でした。

あの御方の誕生をきっかけに、我等は細いながら両種族の間に縁を結び、現在は昔のようにいがみ合う事なく、こうして穏やかに暮らせているのです。




だから、今日という日はめでたい。

祝えと、そういった記述が記された新聞記事を見たのは、これで何度目か。


別に、誰も彼もが子供が出来たから、なんていう理由で認めはしなかっただろうし、実際には両種族の長達が働きかけた結果だ。

本来ならば、この栄誉はたかがきっかけに過ぎない赤ん坊より、汗水を垂らし、世界の平和の為に尽力した大人達に与えられて然りなのである。


まあ、この考えを口に出したりしたら、周りから猛反発されるに違いないので、表立って口に出す事はしないが・・・・・・。


「馬鹿らしい」


この一言に尽きる新聞を丸めて筒状にすると同時に、目的の部屋の前に辿り着き、白樺で作られた扉を、ノック無しで押し開く。


ぎ・・・・・・、と鈍い音を立てて開いた扉の中。

光虫(蛍光灯)出し(点き)っ放しで、真昼のように明るい部屋は雑然としていた。


破れかけの地図。脱ぎ散らかした服。

その他にも用途不明だが、恐らくはただのガラクタであろう物が溢れかえり、壁紙を覆うように幾人かが映った念写紙(写真)や手紙が貼り付けられている。


初見の者が見れば、ここはゴミ箱を引っ繰り返した有様かと思うだろう。

しかし、これらには実は部屋の主が定めた「決まった位置」というものが存在し、部屋の主は自身の部屋は常に「清潔」にしていないと気が済まない性質で、部屋は消毒剤の臭いが立ち籠めている。


「おい、起きているか」


聞く前から起きていないと分かってはいたが、部屋の中心に出来た水蜘蛛の織毛布の塊に声を掛けた。

勿論、答えは返ってこない。それも分かっていた。


この生き物ときたら、自発的に起きもしなければ、声掛けだけで起きた例も無いのだから。


足早に織毛布の塊に近づくと、一枚二枚と重なっているそれを剥いでいく。

水蜘蛛の糸で編まれた織毛布は寝具としては最上級の品で、眠りに入りやすいように体温を調節する効果があり、毛布の中身は年中これに包まって寝ている。


至上の眠りを保障するメーカーの一番上等な織毛布が与える夢は、さぞ幸せなものだろう。

けれど、その幸せの為に俺は食事を摂れないのだ。何度、これを処分しようと思ったか。


遠慮なしに剥いでいくと、七枚目で中身がころりと床に転がる。

鈍い銀色の髪を頬や額に張り付け、むにゃむにゃと寝言を呟くそれは、先程目を通していた新聞に記載されていた両種族の平和の象徴であり、勇者と魔王の子供であり、そして


「いい加減に起きろ、錦!」


我が兄、錦という男である。












転がり出た錦の頭を、何度か丸めた新聞で叩くと、


「うぇ~え? だれ?」


舌っ足らずに尋ねて、服の袖で顔を擦りながら、薄っすらと瞳を開く。


どう見ても、せいぜい十を超えたばかりの子供にしか見えない兄――年齢で言えば既に成人男性――は、父譲りの葡萄色の瞳を眠たそうにしょぼくれさせ、母譲りの童顔をこちらに向けている。


「昨日も一昨日も起こしに来て、毎日毎回、食事の度に顔を合わせている弟も忘れたのか」


回転の遅い頭の働きを促す為、再度、数回叩いてやると、錦は合わせて数回瞬きして、へにゃりとした情けない笑みを浮かべた。


「リンネルかー。おはよーぉ」


間伸びした、脱力感を誘う挨拶をして、重い腰を持ち上げて大きく伸びをする。


これで、どうにか今日も朝飯にありつけるようだ。

ぐっぐっと、伸びを終えた錦を見下ろしていると、視線に気づいた錦は何を思ったのか、笑みを深くする。


「やだなぁ。じっと見られていると、穴が開いちゃうよ。そんなに僕が好き?」


成人した男が何を言い出すか。その言葉を聞いた瞬間、俺の胃に穴が開きそうになった。


「気色悪い」


一蹴した途端、笑顔を吹き飛ばして泣きっ面になる辺り、これの精神年齢が赤子並であると知れる。


「気色悪いって、酷いー! 昔はお兄ちゃんお兄ちゃんって言って慕ってくれたのに、今じゃ気色悪いなんて、あんまりだよーっ」

「昔は昔、今は今。お前が慕うに値する人柄だったなら、俺も気色悪いなどとは言わない」

「え? 今も慕われるお兄ちゃんだよ、僕」


自称する時点で色々と終わっている。


だというのに、当の自称・お兄ちゃんは部屋を出る俺の腰の辺りに抱きついて、自力での歩行を放棄する事で、更に評価を下げようというのだから見上げた根性だ。

ここで反応を返すと何かと面倒なので、そのままにしていても、自力歩行を放棄して満足そうな顔をする。どうやっても不快でしかない、とんでもない。


嫌な生き物だが、食事さえ終わらせてしまえば、そこらに放り出しても問題ない。

今だけ。今だけの辛抱なのだと自分に言い聞かせて、手の内の新聞を握り潰して、もと来た道を辿って行く。


どちらかと言えば、明るい色彩で統一され、ごちゃごちゃとした錦の部屋に比べると、廊下は本来なら日が入る時間であるにも関わらず、薄暗い。


それは廊下に飾られているのが地獄絵図や数多の生き物の生首。

廊下を形成するのが罪を犯した魔族の骨という、人間側には縁起が悪く、魔族にとっては格調高い作りであるのが原因とも言われ、我が家を訪れる客の反応は失神か、賛美のどちらかだ。


一見ただの柱に見えるが、よくよく観察すれば石化した巨大蛇が支える廊下を渡り切ると、その先には今まで以上に重々しい雰囲気が漂っている。


「今年も盛大に祝ってくれているみたいだね」


嬉しげなひっつき虫の言う通り、勇者と魔王の結婚記念日。又は出来婚の要因の生誕祭は、毎年気合いを入れての祝いの席になる。

それは家族内に留まらず、世間では生誕記念月と称して、俺の足にしがみ付くものの誕生日を一月かけて祝うのだ。


本当はそれに便乗して、祭り騒ぎがしたいだけだろうが、物価が安くなる。依頼(クエスト)の報酬が良くなるなどの利点も少なくないので、経済面というか。収入や懐事情的に、そう悪くもない。


(しかし、まあ)


廊下の先。腹を満たす為に目指した場所、食堂の扉の前には筋骨隆々な大鬼が、背中を向けて立っている。その逞しい背中には焼印で『お誕生日おめでとうございます 錦様』。


焼いて間がないのか、皮膚が焼ける独特な臭いがするのだが、視線に気付いて振り返った大鬼は厳つい笑みを浮かべている。楽しそうで何よりだ。


「おめでとうございます、錦様」


ごぅっと、突風と共に吐き出された太い声に、冗談や比喩ではなく体が仰け反る。


毎度の事だが、大鬼やその類の種族は喋る時には口を手で覆うべきだ。

先月だけでも、人間・魔族の両種族間で会話の際に起きた突風での事故が数十件起きている。


「ありがとう。おめでとうって言ってくれたの、今年は君が初めてだよー」


吹き飛ばされない様に踏ん張った俺に対して、当てつけか。


「わざわざ起こしてやっただけでも有り難く思え。毎日毎日、何が悲しくて二十半ばの男の寝顔を見なければいけないんだ。お前がいると、気分良く朝を迎えられた試しがない」

「もー! 誕生日くらい、素直に祝ってよ。ぽかぽかぽかぽかぽか叩くばっかりで、おめでとうの一言すら言ってくれないんだからー」


素直に、という言葉はこちらが言いたい。

せめて、多くの人に祝われているこの日くらいは、自発的に素直に起きて、自らの足で歩け。


毎年思うし、口にも出してはいるが反論されるだけで、何の進歩もない。

こめかみの辺りを揉んだが、ずきずきとした頭痛は僅かも解消されはしない。


「あー、もういい。オタンジョウビオメデトウ。はい、言った。さあ、とっとと飯を食って、友達の所でも自室でも何処でも。兎に角、早急に俺の視界に入る範囲から出ていけ」


デカイ図体をして、おろおろとこちらを見ている大鬼を無視して歩を進めると、もれなく重石も一緒に引き摺られてついて来る。


心が籠っていないだの、祝っている態度じゃないだのどうのと、文句を右から左に聞き流し、大鬼が戸惑いがちに開いた扉の向こう側。食堂の中に入ると、そこには冷え切った料理と両親が待っていた。


「おはよう、錦。リンネルはお疲れ様、みたいね?」


困った様に微笑み、肩にかかる白金の髪を払った少女・・・・・・にしか見えない母は、実年齢と外見年齢が犯罪級に差がある。

最早、童顔の域を超えているのだが、勇者の血族とは、得てして母と似たような年齢詐称気味の容貌らしい。


生まれながらに強大な魔力、優れた身体能力を持つ魔族。その頂点に君臨する魔王と対峙しようとなれば、人間は人生の全てを懸けて鍛錬しても力不足なのだ。

それを補うには、時間が。途方もない、人間として生まれたならば長寿とされる域を遥かに上回る年月が。力を極める為に尽きぬ寿命と、戦い続ける為に老いぬ身体は必要不可欠であり、そのように特化してきたのが勇者という職業である。


光の加減では白髪――母は年を考えれば、白髪でもおかしくないだろうが――にも見える髪の色と空色の瞳を受け継いだ俺は、瓜二つの顔の母と兄を見比べて、溜息を零す。


「疲れるに決まっているだろう、母さん。何が悲しくて年がら年中、こいつの起床を補助しなくちゃいけないのか、何年考えても満足いく答えが出ない。ここは母さんか父さんが俺の代わりに世話を見てくれても良いんじゃないか」


足にしがみついたままの疲労の源を引き剥がし、視線を母の傍らに立つ、外に出してはいけない面立ちの父に移した。


決して気安く人目につく場所に出せない父の容貌は吐き気を催したり、恐怖に慄く程に醜いというわけではない。

むしろ、その逆。無駄に美しい。


血の繋がっている者や、同職もしくは勇者と一部の高位職の者なら耐性がある。

だが、それ以外の者が直接目にしてしまうと、老若男女問わずに生気を吸い取られる艶やかな美貌を誇るのが魔王という職。人間側では媒体が何であろうと顔にモザイクがかかる。


出歩くだけでも周りが迷惑を被るので、毎日タイムスケジュールを綿密に組み、魔王城内であっても部屋から部屋へ移動する際は、勤務する耐性を持たない魔族を気遣って「魔王陛下が○○から△△へ向かわれる」と各部屋の前に立つ大鬼達が声を張り上げる。


結果、窓硝子が割れたり、他の華奢な魔族達が転ぶなどするが、父に生気を根こそぎ吸い取られ、恍惚とした表情の木乃伊っぽい死体になるよりはマシなはずだ。


およそ、生き物の香りのしない父の鈍い銀色の髪と葡萄色の瞳を受け継いだ錦から、存在自体が犯罪に近い容姿を誰にも迷惑がかからないレベルまで劣化した状態で受け継いだ俺に視線を移して、父は薄い笑みを浮かべた。


「残念だが、(わたし)は起こす側ではなく、起こされる側なのだ。我が子等を目覚めさせるのは、何よりも難しき事。そして、愛しき妻には、(わたし)の目覚めを促すという尊い任を課している故、其方の力にはなれぬのだ、リンネル」

「毎度、決まり文句を有難う御座います、父さん。貴方もいい加減、自力で起きるって事を覚えて下さい」

「おや、つれない事を。お前も愛しき人の愛らしい囀りで目覚める日が来れば、(わたし)の気持ちも分かろうに……」


ちゃっかりしっかり、こちらに面倒事を投げてから、父は母を抱きしめる。


(わたし)はもう、貴女無しでは目覚める事も、息をする事も儘ならぬ」

「あら。だったら、世の平和の為にも側にいなくちゃね」


母がくすくすと笑って抱擁を受け入れ、いちゃこらするのは常の流れだ。

この世に生を受けてから、変わらぬ朝の風景。何のコメディかというようなやり取りに、見物料として石でも投げてやろうかと思ったのだが、手持ちが無いのが非常に悔やまれる。


面倒なので無視を決め込み、ようやく足元から引き剥がした生き物を母と父の方に転がして、羊皮紙に念写(印刷)された魔界新聞に載った、にっこりと笑う両親と錦の念写紙(写真)に目を移す。


毎年の事だが、魔族側の新聞も人間側の新聞も、この日は同じような記事しか載っていない。

教育機関指定教科書と新聞と歴史書で、最低でも五十回以上は読んだものだから、嫌でも内容を覚えている。


だが、記憶上数年前。

下手をすると十数年前から念写紙(写真)に写る人物達の容姿が変わっていないのが不気味だ。


広い食堂の一席に腰を落ち着け、竜の骨で作られた光沢のあるテーブルに紙の束を放り投げると、一通りいちゃついた母が父に抱かれたまま、それを拾い上げる。


「あら。今年も素敵に写っているわよ、あなた」


俺の対面に座った父に新聞を広げて見せると、父は新聞ではなく母の顔を覗き込む。


「新聞の念写紙(写真)よりも、貴方を抱く夫の方が素敵だろう? (わたし)の可愛い勇者さま」

念写紙(写真)にヤキモチ? 私の魔王陛下はそんなに心が狭いのかしら?」

「そうだとも。貴女が少しでも我以外の生き物を見ようものなら、嫉妬に狂って、また昔のように人間と対立(やんちゃ)するかもしれない」

「それは大変。勇者として、きちんと魔王を捕まえておかないと」

「そうしてくれ。世界の為にも、(わたし)の為にも」


また、くすくすと笑い合って、一緒に新聞を読み始める。

朝からベタベタする両親の図は、日常から切り離せない。が、微笑ましさを通り越して、この年齢にもなると鬱陶しさを感じなくもない。


仮にも現役の勇者と魔王がこんな調子で、よくもまあ、東の国は平和でいられるものだ。

うんざりもするが、それよりも今は空き腹を抱えている方が問題だ。両親から、冷えた料理の並ぶ長机に目を移す。


じっくり煮込んだ(が冷え切ってしまった)泣き叫ぶ怪草(マンドラゴラ)のスープや、カラッと揚げた(けれど既に冷たくなった)巨大烏賊(クラーケン)の揚げ物などの魔族向け。柔らかな(はずが固くなっているであろう)子牛のステーキに、果物をふんだんに使った(が、クリームがぱさついている)ケーキという人間向けのご馳走は、空き腹を否応なく刺激する。


どれもこれも、魔王城一の料理人が手懸けているので、味は勿論一級品なのだが、これらの食材も高級品や珍品ばかり。恐らく、この机に乗っているものだけでも一財産作れるに違いないのだが、わざわざ俺の隣に座った錦は、


「今年も気合が入ってて凄いねぇ」


軽い感想を述べて躊躇いなく齧り付く。この根性は、ある意味では尊敬に値するのかもしれない。


一般的な人間の家庭では、合掌又は食への感謝の意を述べてからの食事となるが、我が家は一応魔王城なので、魔族側。『食える時に食え、奪われる前に奪って食え、躊躇うな食え』という、猛々しい教訓を採用している。


要は食った者勝ちの教訓の元、一番遅れて来た錦は一番貪欲に次から次へと皿を空にしていき、俺もぼちぼちと料理に手を伸ばす。


卵に酢などの調味料を加えたソースを和えたサラダをフォークで突き、口に運んで咀嚼。野菜の甘みなどを噛み締め、満たされていく腹に気持ちも少し和らいだ。

各自で思い思いに食を進める段取りになると、母は父の膝から降りて、頬がぱんぱんに膨らむまで食物を詰め込む長男に笑みを向けた。


「錦、お誕生日おめでとう」


えらく遅れた言祝ぎだったが、食べるのに必死な生き物は気にする様子もなく、


「んー、ありがとう。マミーとダディも結婚二十六周年おめでとう」


薄っぺらな祝い返しをして、蛙の肉団子を口の中に放り込む。

それに便乗するように、父も目を細めて、


「お前が生まれ、(わたし)と愛しき人が結ばれてから、二十六年経ったのか。……感慨深いものだな」


健康に気を遣っているのか。はたまた、単なる嗜好か。桃や林檎の果汁を混ぜた飲料を干して、一息吐く。


「和平の証である前に、お前は我等の愛しき愛の結晶。生まれ落ちた時こそ、無事に育つものなのかと不安に思いもしたが、こうして二十六の年月を越えた事は喜ばしい」

「そうね。生まれたばかりの時は、本当に小さくって」


二十六年という年月を感慨深く思い返しているようだが、一つ言わせてもらう。

今も錦は大きい方ではない。いや、正直に言えば成人男性にしては異常なまでに小さい。


母は小柄ではあるが、父の方は長身の部類に入るし、俺も同じ年頃の同性の平均よりは背が高い。俺と父が同じくらいだとして、母は父の胸の辺り。錦に至っては母の胸の辺りとお子様サイズ。

非常というか、非情な小粒っぷりなのだが、両親は幸せそうに口を揃える。


「「大きくなって……」」


なっていないと心の中で断言するが、隣では錦が嬉しそうに麺を啜り、


「その内、リンネルよりも大きくなるよ」


米粒だかクリームだかを口の端に付け、胸を張って笑う。

まず無理だろうが、気持ちだけでも前向きに生きて欲しいものだと意識の端で考えて、熟れた果物を一口齧った。


そうして、御馴染みの昔話に花を咲かせた後は、両親も食事の方に集中し出し、ささやかな静寂が訪れる。

日に数えるほどしかない安らげる時間だが、我が家に訪れてくれた沈黙や静寂というものは、長くは滞在してはくれない。


「ところでリンネル。前に受けた依頼(クエスト)はもう終わったの?」


バターが利いたパンを二つほど腹に収めた所で、聖水の入ったグラスを傾ける母にそう問われて、俺は首を横に振る。


「まだ、肝心の標的(ターゲット)が見つかってすらいない。あれは、でかくなった途端に移動速度が上がるから」

「共有地区東方面で出没する、巨大ゾルの退治だったわよね? やっぱり、自由職(フリーター)だと難しいと思うわ。ゾルは上級職でも仕留めるのが難しいし、東方面は竜の巣も近いから」


言いつつ、母が視線を父に投げると、それを受けた父が人差し指を宙に向ける。

その指先が軽く揺れると、音もなく一枚の地図が宙に浮かび出て、ちょうど俺と両親の間。紫色のどろどろとした魔牛の乳がたっぷり入った杯と、各種深海魚のムニエルの皿の上で大きく広がる。


地図の中央には、穴の開いたドーナツのようなものが描かれている。

このドーナツの部分は、人間と魔族が暮らす、輪のように繋がった――人間側と魔族側で各――四つの国。

この四つの国は、東西南北に分かれていて、人口は殆ど同じで土地は完全に四等分。一つの国に一人ずつ、魔族側には魔王と人間側には国王。そして、勇者がいる。


残りのドーナツの穴の部分は海。あとは全てが共有地帯。

海は言わずとも知れた、大きな塩水の湖のような場所。共有地帯は魔物の生息域で、その全容は誰一人として知らない。


分かっているのは、国の何倍。もしかすると数十倍もあるという広大な地は土壌豊かで多くの水源があり、自然の実りの恩恵を受けてすくすくと育った無数の魔物が蔓延り、魔物は人間と魔族を襲うという事だけ。


魔物が魔族と人間を区別なく、ある意味等しく襲うという事実さえ、両親の結婚を機にした和平が成る以前は、人間側は魔族が魔物を操っているものだと信じた為に敵対するに至ったというくらい、情報が少ない未開の地。

名前こそ共有地帯とは言うが、実際は危険地帯というわけだ。


(わたし)も愛しき人に同意だ。生ける全てを喰らい肥大し、時には身を分けて個体を増やす魔物。これを一人きりで相手をするというのは、無謀だろう」


地図に描かれた共有地帯を指の腹でなぞる父の言う通り、古くはスライムと呼ばれた魔物は非常に手が焼ける。

生き物だろうと生き物でなかろうと何でも食らい、食った分だけ肥大化し、その命を断つには何らかの方法で焼き尽くすしかなく、まだ自由職(フリーター)でしかない俺が退治するのは難しい。

だが、俺には難度の高い依頼(クエスト)を受けなくてはならない理由がある。


「早く職に就きたいんです。制度に従いたい気持ちは、勿論あります。けれど、そうもいかない事情があるわけですから」


棘を含んだ声で言うと、両親は顔を合わせて苦く笑うばかりで、事情の最たる原因である男は、話を振られても食事に徹して聞こえていない様子。


こいつはいつもそうだ。

都合の悪い事は一切聞こえない、食欲に取り憑かれた生き物も、教育機関でこの世界の成り立ちを習ったはずだが、それも覚えているかどうか怪しい。


何度となく教育機関で教えられたが、この世界に存在する四つの国――人間側と魔族側を分けて考えるならば八つの国――では、人口の増減を防ぐ為、二人っ子政策というものが為されている。


夫婦になった男女は、必ず二人の子供を成す事。過去に起こった人口の増減による飢餓など。絶滅の危機を避ける為に決まった事柄の一つで、子供が作れない事情がある場合は、同職の者の子供を養子に取る事が認められている。


しかし、二人未満二人を越える子供を持つ夫婦は税が倍になる――これに関しては、子供を欲している同職の夫婦に子供を養子に出す。または、その逆でどうにかなるが――ということに対する不満、一定の数を保つというのが家畜のようではないかという憤懣があり、何かと賛否が分かれる政策である。


そして、同じように賛成派と反対派が真っ二つに分かれるが、子供は両親のどちらかの職業を継ぐというのが、この世界での習い。

いつから決まった事かは分からないが、二人っ子政策よりずっと昔から、全ての職業が衰退する事無く保持出来るように、というのが教育機関での教え。


呼び名はいくつかあるが、試験の答案では世襲制度と呼ばれるそれは、二人の子供がいる場合は、年長の者が先に職を選び、残った方を年少の者が継ぐというもの。

二人以上になると、どちらかに偏らなければ好きに選ぶという緩いものだが、この制度のおかげか。今まで後継者不足に悩まされる職業もなく、就職が出来ないという者もいない。


両親の職業を選ぶのはあくまでも生まれ持った(ステータス)を鑑みた適性というのが、殆ど両親の職業のどちらかになり、生まれ持つ(ステータス)を生かした職業。つまり、両親の後を継ぐのは子供にとっては安定した未来を約束され、両親からしてみれば自身の技術を適性のある者に引き継ぎ、より自身の選んだ職業の発展発達を目指せる。


こういった理由から、民の大半からは好意的に受け入れられる制度だが、どうしても親の職業を継ぎたくない場合は転職も可能。極端な話をすれば、農民が国王になることも夢ではない。


けれど、親の職業以外の職に就くには結構な経験値が必要で、向いてさえいれば必要経験値はそこまで多くないが、向いていなければ転職するのに何十年もかかる事もざら。

殆どが親の職業を継ぐ事になり、職に就くまでは教育機関に通うなり、親の下で修業したり、教えを乞う為に自由職(フリーター)として過ごす。


ちなみに、自由職(フリーター)とは武器・道具を持てるようになった時から、二十歳(成人)までの間に名乗る事が出来る職業。職が決まるまでの一定期間、経験値を積み・学ぶ為に設けられた肩書きであり、自由職(フリーター)の間は――職に就くと特定の武器・道具しか使えなくなる場合が多いが――どんな武器・道具でも使える。


実際、自由職(フリーター)である俺は依頼(クエスト)によって武器を変えるし、専門職でしか使えない物でも使えるので、便利と言えば便利だが……。


「俺は、父さんか母さんの職を継ぐつもりでいるんです。けれど、先に生まれた兄弟が職を決めないのであれば、経験値を貯めて自力で就職しなければいけない。そうでしょう?」


そう。人々から平和の証だと大事にされている勇者と魔王の子供であり、俺の兄でもある錦は現在、無職(ニート)

二十歳を超えてもまだ職に就いていない者。又は収入がない者を示す肩書きを背負う男は、両親に苦笑を向けられ、俺の冷たい視線を受けても、きょとんとした顔をしている。


無職(ニート)自由職(フリーター)と同じでどんな武器・道具でも使える。

だが、依頼(クエスト)を受けても自由職(フリーター)よりも稼げる賃金・経験値が低く、かかる税はどんな職業よりも高いので、余程の金持ちでなければならない。否、なれない。


その点で言えば、全ての税を免除されている勇者と、税を徴収する側である魔王の子供である俺達は、確かに無職(ニート)になれる条件を満たしていて錦は六年もの間、職に就かずにいる。


その結果、本来特定の職業が廃れるのを回避し、就職を約束してくれるはずの世襲制度が俺に牙を剥いた。何故なら、先に生まれた子供が職業を選ばない限り、後に控える子供は職業に就けないからだ。


正確に言うなら、普通は成人する頃には両親の職業のどちらかを選択するか。そうでなければ、経験値を貯めて自身の望む職に就く――これを長子が行った場合、後の子供が両親の職業のどちらかを選ぶ権利が生まれる――かをしているので、後に控える子供は残った方の職業に就くか。そうでなければ、選択する自由を得て考え込むか。はたまた、別の職業を目指して気長に構えるか。


そう、この世界では本来長子は後に控える弟妹や両親にせっつかれて、早ければ成人する前に職に就くのが当然。弟妹達は更に下の弟妹が居なければ、割とのんびりとしているのが世の常。


だが、俺は違う。兄は、認めたくは決してないが常識外れに有能な「無職(ニート)」なのである。幼い頃に憧れていた自慢の兄が無職(ニート)。一年二年なら、まだ兄は何か考えがあるのだろうから待っていようと、周りの人々と同じく心穏やかでいられた。


それが、三年も経てば焦るなという方が難しいし、何度も何度も「早く就職してよ、お兄ちゃん!」と必死で頼む俺に「大丈夫大丈夫」と全く納得いかない返答を寄越され続け、四年五年も経てば「お兄ちゃん」呼びが「錦」呼びになり、追いかけて頼んでも無駄と知れば、自分より小さな背中は見るだけでも憎たらしく思うようになってしまったのだ。


「俺が自由職(フリーター)でいられるのも、あとたったの四年なんです。その間に、勇者か魔王になれるだけの経験値を稼ぐには、ゲル退治くらい難度の高い依頼(クエスト)を受けないといけないんです」


一息で言って、薬草茶を一気に喉に流し込み、錦を睨む。

すると、皿の山を築いた無職(ニート)歴六年の男は、首を傾ぐ。


「ゲル退治って、東方面でぶいぶい言わせてるデッカイやつでしょ?」

「人の話を聞いていなかったのか? さっきもそう言っていただろう。そして、それよりも重要な就職についての話をしているのに、何を聞いているんだ」

「そうだっけ? 覚えてないけど」

「……お前の記憶の許容量はどれだけ少ないんだ」

「量った事ないから、分かんない。まあ、今は就職とか前の話は置いておいてー。巨大ゲルだったら、昨日だったかな? 手足のびのび猿のとこに行った帰りに見つけて、燃やしちゃった」

「は?」

「だって、邪魔だったから。駄目だった? あ、でもでも! 僕、ちゃんと燃やした後の灰も持って帰ったし、依頼(クエスト)を受けた組合に渡しに行ったら、お仕事終わりでしょう?」


事も無さげに透明な灰(ゲルクリスタル)を、ポケットから無造作に取り出す。

きらきらとした灰は、ゲルを燃やした後に残る触媒などに使われる物で、出廻る数が少なく、高値で取引されている品。


ついでに、錦の言う通り、今回の依頼(クエスト)は巨大ゲルを倒し、証として透明な灰(ゲルクリスタル)を持ち帰る事。

誰が倒したとしても、ゲルを燃やして透明な灰(ゲルクリスタル)という物証さえあれば、仕事は終了。


経験値と依頼料は、透明な灰(ゲルクリスタル)が確かに仕事目標の巨大ゲルの物であると確認されれば、仕事を振り分けられた者の内、証を持って来た者に支払われる。


今回受けたのは、人魔組合(じんまくみあい)という人間・魔族が共同で運営する組織からの依頼(クエスト)で、あそこは依頼した日から日が経つ毎に報酬が減額されるので、今回の儲けは大きい。


まあ、そもそも俺が受けた依頼(クエスト)を勝手に終了させた錦が悪いので、俺が報酬を受け取るのは間違っていない。

大体、こうして危険を冒さなければならない状況を作ったのは、錦である。職に就かないというならば、俺の経験値獲得に貢献すべきなのだ。


心の中で言い訳・・・・・・もとい結論付けて、小さな掌の上に盛られた透明な灰(ゲルクリスタル)を受け取る。

見た目は名の通りなのだが、手触りは柔らかく、ひんやりとしていた。

初めての感触に、ひっそりと感動を噛み締める最中


「ねー、ねー、リンネル。お仕事終わったら、暇でしょ? 今日ね、友達が夜にパーティー開いてくれるから、一緒に行こうよ。ローズとか、リンネルの顔見たがってたし、喜ぶよ」


一応は質問形式ながら、殆ど俺が誘いを受ける事を確信している目が一対。


「行かない。俺は遊んでいる暇なんか無い。どこかの誰かさんのせいで、経験値を稼がないと職に就けないんだからな」


期待を潔く裏切ってやり、目を真ん丸にした職業・無職(ニート)の兄の肩を、拳で突いた。

すると、気持ちが良いくらい簡単に椅子ごと後ろに倒れ込み、「あぎゃっ」という未知の悲鳴が漏れる。


「ひーどーいーよー! 僕、誕生日なんだよー! 少しぐらい優しくしてよー!」

「毎日毎朝起こしてやっているだろう。誕生日じゃなくても、いつだって優しくしている。その上で、六年も無職(ニート)でいるお前を甘やかす必要は欠片もない」


途端に口を噤むのだから、罪悪感はあるに違いない。


怒られた子供のような面持ちの兄を視界の端で捉えて席を立ち、両親に軽く一礼して「ごちそうさまでした」と一言添えた。

そうして、受け取った透明な灰(ゲルクリスタル)を空いている道具袋に詰めてから、ひっくり返ったままの錦の椅子を爪先で蹴り上げて戻してやり、外に足を向ける。


さして期待はしていなかったが、いつもの如く錦は弁明もせず、俺は釈然としないまま、食堂を後にした。

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