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6 田舎貴族の口どけは甘く、苦い

 

 

 

 月日を過ごすうちに、春宮殿に訪れる季節は秋へと移っていった。


「はい、どうぞ。シャラの大好きなチョコですよ」


 目の前に光沢を帯びた茶色の粒を差し出され、シャラは唇を曲げる。フランツはチョコの粒をつまんだまま、にっこりと笑っていた。


 春宮殿での新婚生活も半年が経とうとしている。

 フランツが土いじりをしたり、厨房に入ったりするのは結局、直りそうにないので制限をつけることで落ち着いた。

 花の世話をするのは彼が故郷から取り寄せた薔薇だけ、厨房に入って良いのはお菓子を作るときだけだ。そのくらいなら、シャラも譲歩した。


「まだ味見をしていないから不安ですが」

「……どうせ、美味しいんでしょ? 知っていてよ」

「さあ? 確かめてください」


 指でつまんだまま口元に差し出されると、なんだか餌づけされている気がして癪だ。シャラは、しばらく黙って口を曲げていた。

 だが、フランツの菓子はなかなか気に入っているせいか、どうしても視線がそちらへ向いてしまう。

 シャラは素早く向き直ると、フランツの指先をかじる勢いで口を開けた。フランツは身の危険を察したのか、指が食べられる前に俊敏な動作でチョコをシャラの口に放り込んでしまった。


「行儀が悪いですね」

「…………」


 シャラのささやかな反撃は失敗に終わる。フランツは楽しそうに笑うと、指先についたチョコを舐めた。


「あなたって、わたくしをからかうときだけは本気出すのね」

「私はいつでも本気ですよ。得手不得手があるだけです」


 とは言え、フランツも貴族として充分すぎる教養が備わっているのも確かだった。

 文章は綺麗だし、楽器も弾ける。読書量もかなりのものだし、語学はシャラの何倍も流暢で、現地の人間と会話しても遜色ないほどだ。マイペースなのと、争いごとを好まない性格のせいか、堪能であるとは言い難いが武術も心得がある。

 いくら政治的な目的があっても、全く教養のない男が皇女の花婿に選ばれることはないので、当たり前と言えば当たり前だ。その点は、きちんと選ばれていたということなのだろう。最初は何処かの農民を連れてきたと思ったのも事実だが。


 それに、フランツは妙に人から好かれる面があった。

 この半年で春宮殿に勤める使用人のほとんどと仲が良くなっていたし、出入りする商人からも好かれている。

 帝都の宮殿では彼を嫌う者もいるが、宴の席に参加するうちに味方を少しずつ作っていった。

 シャラには決してない才だ。

 父帝も「婿より、外交官をやらせても面白かったな」と漏らしていた。なによりも、お転婆と名高いシャラを手懐けたことに周囲は一番驚いていた。


「美味しいですか?」

「自分も食べてみれば?」


 シャラはテーブルに置かれた皿から、二つ目のチョコを手に取って口に放り込んだ。


「じゃあ、遠慮なくいただきます」


 言い置いて、フランツは唐突にシャラの肩を自分の方へ引き寄せた。そして、有無を言わさぬ速さで唇を塞ぐ。

 口に入れたばかりのチョコが二人分の熱で溶かされていく。

 一気に甘い味とカカオの風味が口いっぱいに広がった。それを綺麗に舐めとって、フランツが悪戯っぽく微笑んだ。


「な、なにしてるんですッ!」

「シャラの方が美味しそうだったから、つい。リンゴみたいで可愛いですよ」


 真っ赤に熟れたシャラの頬を両手で包むように撫でながら、フランツが笑う。シャラは唇を尖らせてむくれると、フンと鼻を鳴らしながら顔を背けた。


 だが、程なくして廊下が騒がしいことに気づく。

 執事のアルバンだろう。「殿下、大変です!」と、廊下を走りながら叫んでいる。

 なにがあったのだろう。シャラは慌ただしく扉を開けたアルバンを見て眉を寄せた。


「大変ですよ、殿下! ランスがロレンディアを占領しました!」


 唐突に放たれた言葉の意味がわからない。

 シャラは無意識のうちに、隣のフランツに視線をやった。

 フランツの顔はシャラの比にならないくらい青ざめ、沈黙している。いつもの平和ボケしそうな笑みすら、忘れてしまったように思えた――。




 突如、火ぶたが切られたランス王国の侵攻。

 原因は強引に決行した帝国の婚姻政策だろう。

 皇帝も予感はしていたが、まさか、戦に適さない冬を迎える直前、ランスが行動を起こすとは思っていなかった。少なくとも、普通は春まで待つのが定石だ。北隣のアトレイ公国は静観しているが、国境に軍備を配して待機しているらしい。


 報せを受けてすぐに、シャラとフランツは春宮殿から帝都に呼び戻された。


「ロレンディアはランスと通じて、此度の侵攻に加担したものと思われる」


 ロレンディアを占領した後に出された帝国への宣戦布告の文書には、フランツの弟の名もあった。兄の婚姻話の裏で密かに敵国と結んでいたのだ。勿論、フランツ自身は知らないことである。


「ロレンディアが公を見限ったのか、それとも、公も一緒に我々を裏切ったのか。説明していただけますかな?」


 謁見の間に並んだ貴族の間からこのような声が上がる。

 シャラは我慢出来ずに、黙ったまま座っているフランツの代わりに前へ出た。


「フラ……ロレンディア公はこの件に関して、知らないと言っています。勝手な推測は控えてください。それよりも、今議論すべきはこの事態をどうやって収拾するかでしょう?」


 シャラに指摘された貴族は苦い表情を浮かべて腕を組む。

 誰もが苛立ち、議論がまとまらない。

 自分の領地が侵されないか心配する者、戦地へ赴く役回りが来ないよう逃げようとする者、帝国貴族の使命を全うするため侵略軍を迎え討てと声を荒げる者、外交政策を進めるべきだと主張する者……大国故にまとまらない貴族たちに、シャラも苛立ちを覚えていた。


 父帝ヴィルジット三世は彼らをどのように治めるのだろう。

 玉座に視線を移すが、父は黙って様子を見ているだけだ。老いの刻まれた無表情の顔は長年帝位に座り続けた巌を感じさせるものの、まだなにも言わない。


「とにもかくにも、侵攻を食い止めなければはじまりません。誰かをロレンディアに派遣せねばなりますまい」

「それならば、当のロレンディア公が適任ではございませんか? 公が行って忠義を示せば、要らぬ嫌疑もかけられますまい。疑いを晴らすには、絶好の機会かと存じますが」


 先ほど、シャラに窘められて黙っていた貴族が口を開いた。

 その提案にシャラは思わず反論する。


「ロレンディア公は軍務の経験が乏しくて、とても、そのような大役は務まりません」

「だが、一応は幼年学校の兵科はご卒業されているという話ですよ?」

「あんなもの、ただの通過点でしょう。財さえつぎ込めば貴族は誰だって卒業出来るではありませんか! ここにいる方々も、同じようなものでしょうに!」


 シャラが癇癪を起すと、場が一気にざわめきはじめる。


「皇女殿下はすっかりと田舎者に飼いならされてしまったようですね」

「誰もが手を焼くほど元気な皇女様には、帝都の男では物足りなかったのでしょう」


 何処からか嫌味が聞こえ、シャラは怒りで顔を染めた。周囲が皆似たようなことを言うので、怒りの矛先が見つからず、途方に暮れてしまう。


「では、こうしよう」


 玉座からの一声で、ざわめいていた場の空気が水を打ったように静まり返る。

 シャラも父帝を見上げて、唇を閉ざした。皇帝ヴィルジットは組んでいた足を元に戻すと、厳格な声でこう言った。


「その役はロレンディア公に任せよう。ただし、ヒュラーク将軍を補佐に就ける。彼ならば、戦の経験も豊富だし、公を補佐することも可能だろう」


 シャラは父の決断が信じられずに再び立ち上がってしまう。確かに補佐に指名された将軍は優秀な軍人だし、的確な戦運びが出来るはずだ。


「お言葉ですが、お父様――」


 声を荒げた瞬間、強く腕をつかまれる。振り返ると、隣でフランツが立ち上がっていた。議論がはじまって初めて発言しようとする青年の姿に周囲の視線が一気に集まる。


「その任、謹んでお受けします」

 

 

 

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