異世界ホテルの支配人
ホテル・シェノメールの朝は、早いのです。
日が昇るよりもずっと前に起きて、今日一日の準備をしなければなりません。
黒のジャケットをピシッと着て、タイを締めて部屋を出ると、ちょうど隣室から人が出てきたところでした。
眠そうに目をこする亜麻色の髪の、寝間着のままの少女は、どうやら私にはまだ気づいていないようです。
「おはようございます、ユイ」
「あ、お、おはようございますっ!」
このホテルの客室は二階からで、一階に住むのは皆従業員です。
なので、慌てたのか、なぜか敬礼するこの少女も、当ホテルの従業員で、フロント係でございます。
見た目は十ほどにしか見えない彼女ですが、その年はゆうに40を越えているそうです。
長命なエルフの血族である彼女は、この姿のまま年をとらないのだとか。
「今日のチェックアウトのお客様はどなたです?」
「えっと……レジド様、フェネ様、イノン様です!」
それだけ言うと、褒めてと言わんばかりにユイは目をキラキラさせてこちらを見てきます。
「了解しました。……ありがとうございます、ユイ」
「っ! はいっ!」
しかし、外見に見合う幼い言動に、ついつい子供のように扱ってしまうことも多いのでした。
彼女が森で倒れているのを助けて以来、ユイはここで働いています。
何か事情があるようで、倒れる前のことは殆ど語ってはくれませんが、とても優秀なフロント係です。
「けれど、ユイ、そろそろお客様も起きてこられますし、その格好は……」
え? とつぶやいて、そこでようやくユイは自分の着ているものを思い出したようです、顔を真っ赤にして、自室に戻ろうとして——
「う、うわぁあ!」
思いきり転びました。
寝間着もはだけかけていたので、そっとそれを直して助け起こします。
「うう……すみません……」
「いえ」
……訂正しましょう。
こういったドジがなければ、本当に優秀なフロント係なのです。
ユイが部屋に入ると、私は厨房に向かいました。
厨房にいるのは、我がホテルの専属料理人、キリュウです。
物凄い美青年であり、彼もその出自には謎の多い人物でもあります。
「おはようございます」
「……ぅございます」
無口で無愛想ですが、火蜥蜴から人魚まで、老若男女が美味しいと思う料理が作れるというのですから、その腕前は素晴らしさが分かっていただけるのではないでしょうか。
「今日の食事はどうなっています?」
「あー……朝は旬野菜の揚げ物、炒め、蒸しなんかと肉とか魚とかをバイキング形式で。昼は、メインには、ヒヌイ鳥の香草蒸しかセネ魚のきのこソース添えのどちらかを選んでもらうのと、普段のサラダにエマジュ豆のスープだ」
「なるほど」
ふむ、と手を顔に当てて考えます。特別、アレルギーがあるお客様もいなければ、アレルギーに問題がある食品もなさそうですね。
「ディナーは?」
「んー……まだ決まってないな。市場次第だ」
「そうですか、では、あとで買ってきましょう」
「お願いする」
はい、と返事しかけた時に、
「し、支配人!」
パタパタ走りながら、その可愛らしい顔を強張らせて、ユイが厨房に入ってきました。
その瞬間、キリュウが慌てたようにバタバタし出します。それから、後ろを向いてボソリと、
「ユイたん今日もマジ天使」
……。
この言葉から分かってもらえるでしょうが、褐色の肌に銀の髪のイケメンは……少女趣味なのです。
見た目が少女なら、実年齢がいくつでもよいらしく、ずっと姿が変わらないユイを、「永遠の天使」と呼んでひどく慕っているようで……。
見かけが可愛ければ少年もいけるというあたり、本当に残念なイケメンです。
「支配人⁉」
ユイの焦った声に、私はやっと思考を戻しました。
ああ、とりあえず、ユイが来た訳を聞かなければなりません。
キリュウが、面接の時の志望理由で「天使がいたから」と言っただとか、子供のお客様に異様に豪華なお子様ランチを作っただとかいう話は、また今度にいたしましょう。
「どうしました?」
「その、宿泊希望の方が来られました! さっき、ロムハという方が……」
「ロムハ様、ですよ」
「え? あ、はい!」
それにしても、随分と早い時間です。
まだ、日が昇ってもいないのですが。
「了解しました。お部屋は?」
「よ、用意しました。402室に案内しました」
402室……景色がいい部屋ですね。
「それで、あなたがここに来たということは、何か問題でも?」
「はい、そのぅ……ディナーにテベ鳥を召し上がりたいそうで……」
「テベ鳥か……」
キリュウが渋い顔をします。
ようやく彼も落ち着いたようですね。良かったです。
それにしても、テベ鳥とは。
別に、調理が難しい訳ではないのですが……。
「あれは元々凶暴な上に、今は育児中で更に気が立っていて、なかなか捕まえられないだろう。だから、市場には殆ど出回ってないはずだぞ」
そうなのです。
この季節、テベ鳥は大変高価な物なので、普通の料金でお出しするには高すぎます。だからと言って、追加料金を求めるにも、それなりの価格になってしまうでしょう。
「でも、ここに来たのはテベ鳥を食べるためだとおっしゃって……どうしてもって……」
今にも泣き出しそうなユイに、キリュウは縋るようにこちらに視線を向けて来ました。
「「支配人!」」
ふう、と息をつくと、私は安心させるために、ゆるりと笑いました。
「分かりました。では、あとで狩ってきましょう」
それぞれの仕事場を見回り終えれば、次の仕事は、お客様のモーニングコールです。
初めは、三階のアガット様でございます。
コツコツと客室をノックすると、はぁいと高い声がしたので、「おはようございます」と言ってドアの前を去りました。
お次は四階のリンデ様。
コツコツ。
返答はありません。
物音さえしなければ、何度か繰り返します。
四度目でやっと、
「んん〜、朝ですか〜?」
とのんびりした声がしました。
「朝ですよ、おはようございます」
言うと、
「今日の朝ご飯は何です〜?」
「バイキングですよ。旬野菜の料理などをお出しします」
「バイキングってあれですよねぇ、この宿……じゃなくて、ホテル? にしかない特別な……」
「はい」
と言っても、私が考えたわけではなくて、元の世界のシステムなのですが。
了解で〜す、というリンデ様に、失礼しますとだけ言って、次の方の元へ向かいました。
頼まれた時間通りにお起こしするべく、何度も廊下を行き来して、全ての客室を回りますと、恒例の仕事がまた一つ終わりです。
私は息をつくと、階段を静かに降りていきました。
森は、静まり返っていました。
テベ鳥の巣は、森でも深めのところにあります。
服を汚さないように気をつけながら、草をかき分けて進めば、ようやく見えてきました。
「ピィイ、ピィイ!」
可愛らしい鳴き声に反し、鋭い鉤爪を持つ、1mを越える巨体の鳥、それがテベ鳥です。
しかし。
「やはり、子育て中ですか……」
大きくなれば凶暴な鳥とはいえ、雛鳥は大変愛らしいのでした。
私はすこし逡巡しましたが、やはりお客様の希望を叶えることこそ、私の仕事なのです。
テベ鳥は愛情深く、他の親の子でも育てると言いますから、雛鳥には攻撃を当てないようにして、その子達が他の親鳥に拾われ生き残ることを祈りましょう。
「はぁっ‼」
意思が決まれば、一撃。
それだけで、テベ鳥は倒れました。
「それにしても——」
雛鳥は訳も分からずピィピィ鳴いています。この声が親を呼ぶので、もうじき他の成鳥がやってくるかもしれません。
「魔法とは、便利なものですね」
私は、雷の魔法によって僅かにぷすぷすと煙るテベ鳥を、大きさや重さを無視してくれる袋に詰めて、ホテルへの道を行くのでした。
私には前世の記憶があります。
思い出したのはいつ頃だったでしょうか。
そう、確か両親が死んで、孤独となった時だったと思います。
魔力が膨大も膨大、自分でいうのも何かもしれませんが、鍛えれば国直属の魔法使いになれるだろう私は、親戚たちの奪い合いの対象となっていました。
その喧騒から逃れ、自室にこもっていた時。
ふと、頭によぎる光景や声がありました。
それが私の前世——ホテルマンとして生き、そして支配人となるその前の日に死んだ、男の人生でした。
私は大いに戸惑いましたが、それ以上に、前世を思い出した私にとって、父母の遺産は非常に大きな意味を持ったのです。
両親は私に、宿屋を残したのでした。
私はその時、決意しました。
私がここの支配人として——宿屋シェノメール改め、ホテル・シェノメールを、この世界一の宿泊場所とすることを。
親戚の申し出をすべて蹴り、私は一人、ホテルを経営し始めました。
あいにくと、魔力は余るほどあります。
上下水道の整備どころか、空間拡張の魔法すらできたのでした。
当初は人を泊められるような状況ではなく、魔物を狩りお金を稼いで、どんどんと施設を充実させていきました。
父母の遺した宿をあまりに変えてしまうことに、罪悪感がなかったといえば嘘になりますが、それでも、私の覚悟は堅かったのです。
そうしているうちに、フロント係のユイ、シェフのキリュウ、他にも、掃除婦のノインたちも増え——今に至っているわけなのでした。
私は収穫を詰めた袋を手にし、反対の手には買い物のメモを持って、今日もホテルのことで頭がいっぱいなのです。
……これは、異世界に転生した元ホテルマンの男が、やがて国中に轟く名ホテルの支配人となるまでの、長くも短いサクセスストーリーである。
ホテルについては詳しくないので、これはおかしいなどのご指摘も大歓迎です!!
感想をいただけたら嬉しいです(*^_^*)