二人だけの雨宿り
二人だけの為の世界で、二人だけの為の演奏会。
闇が見える。屋根を叩く雨がざあざあと小石を転がすように鳴り、耳の奥でざらついた音だけが増えていく。うるさい、と瞼に力をこめた瞬間、腹のあたりに置かれた手が体を揺さぶり、眠りの縁は乱暴に引き剥がされた。
「やめろ……まだ寝たい」
「いいから。いいもの見つけたのよ」
目を開くと、暗闇の底で青い瞳が光り、短く切られた金髪が湿った光を返していた。彼女の掌には小さな木箱がある。
「それ、オルゴールか?」
蓋がぱかりと開き、金属の櫛歯と金色の円柱が覗く。彼女は子どものように笑った。
「お願い、ノエル。これの使い方、教えて」
硬い木肌を押し付けられ、そこに彼女の体温がじんわり移る。仕方なくゼンマイを巻く。ギリキキ、と歯車が抗い、一回、二回、三回。手を離すと小さな世界が歌い出した。澄んだ旋律が雨の輪郭をほどき、暗がりに薄い膜を張って、冷えた空気の隙間を優しく埋めていく。悔しいほど心地よい。
「ほら、雨が遠くなる」
彼女はそう言って横になり、あたしを抱き寄せた。大きな腕の内側だけが火種みたいに暖かい。胸の鼓動が、旋律の裏側でゆっくり刻まれる。
「いつになったら、やむのかな」
「四十日だ。まだ長い」
告げると腕の力が少し強くなる。気になって胸の中から見上げると、彼女は穏やかに目を閉じていた。まつ毛の影が頬に落ち、唇だけが薄く動く。
「それじゃあ、雨が止むのが楽しみだね」
その言い方が、まるで祭りの翌朝を待つみたいで可笑しい。
「世界の終わりに、のんきな奴だよ」
言ってから、胸の奥が痛む。外では水が土を攫い、街の名残は沈み、暦さえ溶けていく。それでも彼女の腕は確かで、木箱の旋律は、失われた人の声の代わりにそっと灯る。音が尽きるまで、せめてここにいていい。耳を澄ますと、雨のざわめきはまだそこにいるのに、旋律がそれを抱きしめて丸くする。遠い昔、誰かがこの曲で誰かを眠らせたのだろう。今夜はその役目を、世界の残骸の上で私たちが受け取る。終わりの底でも、優しさは折れずに回り続ける。彼女の呼吸が頬を撫で、塩気のある湿気が肌に膜を作る。明日もきっと暗い。けれど、手のひらの温度だけは嘘をつかない。だから私は、名前を呼ばずに、ただ沈む。遠ざかる音の最後の一粒が落ちたとき、私の意識も静かに落ちる。雨の海に、夢を浮かべる。しばらくだね。彼女の匂いを吸い、雨の匂いを遠ざける。
「おやすみ」
返事はなく、ただ抱擁だけが答えた。
「世界の終わりに……」
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
この物語の舞台は、世界が水に沈んだあとに残された「船の中」です。ノエルとナターシャは、暗い船室で雨音を聞きながら、雨がやむとされる四十日目を待っています。
外の世界を大きく語らず、湿った空気と体温、そしてオルゴールの音だけで“終末の生活”をにおわせるつもりで書きました。
二人だけの雨宿りが、いつか本当に終わるのか――その続きを想像してもらえたら嬉しいです。




