第5章「誓いの灯」
◆第1節:戦火の果てに
それは、新領地視察の途上、未だ灰燼の残る小さな村で起きた。王を快く思わない残党勢力による、短く、しかし鋭い奇襲。
一瞬の静寂の後、刃が風を切る音が響いた。リュザードの護衛が遅れる一瞬、その殺意の塊は、王の背中めがけて一直線に迫った。
間に割って入ったのは、リアナだった。
身体が弾けるような衝撃。血飛沫が舞い、灰色の地面を汚した。彼女は、かろうじて膝をついたリュザードの背中に、自分の身体を押しつけるようにして倒れた。
倒れゆく視界の中で、彼女は、リュザードが動揺していることに気づいた。そして、痛みよりも早く、満足感が胸に広がった。
「王を守れたなら……悔いはない。」
リアナは、かすかに微笑んだ。その瞬間、リュザードの仮面が完全に剥がれ落ちた。
「……リアナ、目を開けろ……頼む、まだ……!」
彼の声は、これまでのどの命令、どの宣言よりも震え、切実だった。征服者の瞳に、初めて恐怖の色が浮かんでいた。それは、敗北の恐れではない。誰かを失う恐れ。
彼の中で何かが音を立てて変わった。リュザードにとって、リアナはもはや、ただの「王を託した者」でも「補佐官」でもない。守るべき、そして失ってはならない、唯一の灯となっていた。
◆第2節:目覚めと問い
数日後。リアナは、柔らかい寝台の上で意識を取り戻した。
ここは、王が私的に使う、簡素だが温かい私室だった。周囲を見渡すと、リュザードが、硬い木製の椅子に腰掛け、彼女の傷を見守るように、傍を離れずにいた。
彼女の視線に気づき、リュザードが静かに顔を上げた。
静寂の中、彼は、まるで自らを責めるように、低く問うた。
「なぜ俺を庇った。お前が命を落としたら……俺はどうすればいい。」
リアナは、かすかに微笑んだ。身体は重いが、心は軽かった。
「王の代わりなど、いません。ですが、私の代わりはいるでしょう。」
彼女はゆっくりと息を吸い込んだ。
「私が庇うのは……当たり前じゃないですか。あなたは、私の国を託した人なのですから。」
沈黙が支配した。リュザードは、その蒼い瞳に深い痛みを宿したまま、ゆっくりと頭を振った。
「お前の代わりになれるやつなど、いない。」
彼は、絞り出すように言葉を落とした。その声には、冷たかった征服者の響きはもうなかった。
「……俺には。」
二人の間に、はっきりとした「想い」が生まれた。それは、王としての敬意や臣としての忠誠だけではない、互いを必要とする、静かで切実な愛の始まりだった。
◆第3節:王国のざわめき
元女王が、自らの命を顧みず王を庇ったという事実は、瞬く間に宮廷に波紋を広げた。
「元女王が王を庇った」という噂は、貴族たちの間で囁かれたが、それは好奇心から敬意へと変わっていった。反対派は動揺し、リュザードを政略で貶めることの難しさを悟る。側近たちは、王の静かな動揺と、その後のリアナへの配慮を見て、黙して二人の関係を見守り始めた。
リュザードは、政務を再開したが、その隣には常にリアナがいた。
形式上は「補佐官」「王政顧問」として――だが、その配置に誰も異を唱えられなかった。
彼女の行動が、“忠義そのもの”であると、命を賭して証明されたからだ。彼女の命が、この新しい国の平穏にとって、不可欠なものだと、皆が理解したのだ。
◆第4節:宣言 ― 王の前で
リアナが傷の回復を終えた数日後。
彼女は、王の間で開かれた貴族・文官・騎士が集う評議会に、正装で現れた。その蒼い衣は、かつての女王の威厳を取り戻していた。
場のすべてが、静まり返る。
リアナは、玉座の前の床に、静かに跪いた。
「――私は、もう女王ではありません。国を失い、すべてを託した敗者です。」
彼女の澄んだ声が、広間に響き渡る。
「ですが、臣として、この人――リュザード様を支えたい。この新しい国を、彼と共に護りたい。その願いを……リュザード様は叶えてくださいました。」
その言葉は、私的な愛情ではなく、公的な誓いだった。
場が静まり返る。貴族たちは顔を見合わせたが、誰も口を開かない。
やがて、リュザードの代からの老貴族の一人が、重々しく口を開いた。
「王を支える者を咎める理由は、もはやない。その忠義は、血と命をもって証明された。リアナ様は、この国の誓いの灯です。」
反対派すら沈黙した。王の揺るぎない信任と、命を賭した忠義――その両方が、リアナを「王の傍にいることを許された存在」へと、不可逆的に変えた。
◆第5節:灯の下で(エピローグ)
厳粛な儀式の後の夜。
宮殿の廊下を歩くリアナを、リュザードが、いつものように静かに呼び止めた。
月明かりが、廊下の窓から差し込み、二人の間に、長い影を落とす。
リュザードは、言葉を重ねる必要がなかった。彼の視線だけで、すべてが伝わった。
「……俺から離れるな。ずっと傍にいろ。」
それは命令ではなく、懇願だった。
「嫌でなければ、だが。」
リアナは微笑む。その微笑みは、女王のものではなく、すべてを知り、すべてを愛した、ひとりの女性のものだった。
「じゃあ、もう少し……私のそばで、弱くなってください。」
それは、彼女なりの、最も深い、静かな願いだった。
短い沈黙の後、リュザードは小さく息を漏らした。それは、彼が初めて見せた、諦念にも似た、穏やかな感情だった。
「……お前には、敵わん。」
夜風が二人の間を抜け、遠くで、城下の鐘が鳴る。それは、征服の終わりと、新たな国の始まりを告げる、静かで、確かな誓いの音だった。
【章ラストメッセージ】
王は孤高であっても、孤独ではいけない。 支える者がいて初めて、国は立つ。 そして――リュザードにとってその灯は、リアナだった。




