第4章《王と女王》
第一節 訪問 ― 敗者の女王の言葉
午後、執務の合間を縫って、リュザードがリアナの客間を訪れた。
扉が開く音。以前よりも頻繁な彼の訪問に、リアナは慣れてはいたが、心の奥底にある「敗れた者」としての痛みは消えていなかった。彼女は窓辺に立ち、振り向かないまま、冷ややかに言葉を投げかけた。
「……敗者の女王に、何の用ですか?」
その声には、自嘲と、わずかな抵抗が混じっていた。
リュザードは、彼女の背中を見つめ、僅かに眉をひそめたが、怒りの気配は見せなかった。彼は静かに一歩、室内へ足を踏み入れた。
「敗者とは、死んだ者のことだ。生きることを諦めた者のことでもある。」
リュザードの声は、常に変わらぬ抑揚のなさを保っていた。
「だが、そなたはまだ立っている。生きようとしている。我は勝ったかもしれぬが、そなたは負けたのではない。ただ、勝てなかっただけだ。」
その言葉は、リアナの冷え切った心を、不意打ちのように貫いた。それは、彼女の敗北を否定する甘言ではない。生きる者として、戦い続けた者としての尊厳を、この征服者が認めているのだ。
リアナは、息を呑み、反射的に彼の方へ振り向いた。
第二節 怒りと誇り ― 王たる者の対話
彼女は、胸の奥から湧き上がる熱とともに、最も重い問いをぶつけた。
「味方を逃がすために残り、命を落とした者もいました。あなたは……彼らも敗者だと言うのですか!」
彼らは、リアナの誇りそのものだった。
即座にリュザードが首を振る。その動作には、明確な否定の意志が込められていた。
「それは違う。」
彼の声には、静かだが、強い感情の波が宿っていた。
「彼らは“全を生かすために個を捨てた”者たちだ。自らの命を、より大きな命のために捧げた。そのような者を、俺が敗者と呼べるはずがない。」
その声には、戦いを強いてきた者としての悔悟と、尊い犠牲を無駄にしたくないという、静かな願いが混じっていた。それは、勝利者の傲慢ではない。王としての敬意だった。
リアナは、その誠実さに、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「あなたは……思っていたよりも、ずっと……」
「何だ?」
「……まっすぐな人。」
リュザードは、その言葉に対し何も答えなかった。ただ窓の外の、灰色の空を見つめた。沈黙が流れる。しかし、その沈黙はもはや、二人を隔てる冷たい壁ではなかった。互いの想いが、ほんの少しずつ近づき、共鳴する、静かな響きを帯びていた。
第三節 王の信念
リュザードは、沈黙を破り、ぽつりと呟いた。それは、独り言のようでありながら、目の前の、かつて王であった者に向けて発せられた言葉だった。
「王とは常に先に立ち、後ろにあるものを守り続けねばならぬ。弱さを見せるのは……全てが終わった後でいい。」
その言葉に、リアナははっと息を飲んだ。
彼の中にある“強さの仮面”の裏に、どれほどの痛みと孤独があるか。王位に就いた彼女だからこそ、その重さを理解してしまったのだ。
「……あなたも、そうやって、一人で戦ってきたのですね。」
「戦は誰にとっても孤独だ。勝とうが負けようが、それは変わらん。」
再び、沈黙が流れる。
けれどそれは、これまでの冷たい沈黙ではない。「理解の沈黙」だった。孤独を知る者同士が、言葉を介さずに、互いの痛みを共有し合う、静かで温かい時間。
第四節 夜の静寂、胸の奥の願い(リアナの独白)
リュザードが部屋を去った後の夜。
リアナは窓辺に立ち、夜空の月を見上げていた。彼の言葉が、耳の中で繰り返される。
「王とは常に先に立ち、後ろにあるものを守り続けねばならぬ。」
静かに微笑みながら、彼女は呟いた。
「その言葉が、どれほどの痛みを伴うか……私は知っている。弱さを見せられなかった夜を、私も過ごしたから。」
孤独な夜を、彼女もまた過ごしてきた。その共感が、憎しみを完全に洗い流し、深い優しさに変えた。
「だから――あなたのその背を、今度は私が支えたい。」
そして、静かな祈りのように、言葉を紡ぐ。
「あなたがすべてを終えた時、誰もいない場所で泣くのなら……どうかその時は、私の前で泣いてください。その涙を、私は決して恥とは思わない。……だって、私もかつて、そうして立ち続けてきたから。」
月光が、彼女の頬を優しく照らした。瞳には、淡い光が宿っている。それは、かつての「女王の誇り」ではなく、ひとりの「女性としての優しさ」と、王としての「共感」が入り混じった、新たな想いだった。
第五節 対の月
同じ夜。
リュザードは、執務室の窓から、リアナが見上げたのと同じ月を見ていた。
彼もまた、リアナの言葉を反芻していた。
『……まっすぐな人。』
その言葉が、硬く閉ざされていた彼の心に、かすかな亀裂を入れる。
ふと、胸の奥が疼いた。それは、戦場で受けた傷とは全く異なる、内側からの、静かな痛み。
「……あの女の前では、何故か仮面が重く感じる。」
それが、彼の中で初めて生じた揺らぎだった。何者にも理解されず、ただ一人で背負うことだけを是としてきた征服者の心の中で、何かが、静かに、優しく動き始めた。




