第3章《託された国、守る王》
■ 第一幕:静寂の街と、民の笑顔
月日が流れた。
リアナは、城壁の外に出ることを許された。護衛はついたが、鎖はなかった。彼女は、変わり果てた故郷の街を、静かに、一歩一歩踏みしめて歩いた。
焦土と化した場所もあったが、街の主要部は再建が進んでいた。略奪の痕跡はない。驚くべきことに、かつての蒼国の民は、灰の王の支配下で、穏やかに生活を営んでいた。
彼女は、市場の片隅で、かつての兵士の妻とすれ違った。彼女は、リアナに気づき、深く頭を下げた。
「陛下……いえ、リアナ様。ご無事でしたか。」
リアナは言葉を失い、問いかけた。
「皆……どうしているの?」
「はい。陛下のご命令で、私たちの暮らしは守られています。復讐や略奪も一切ない。子どもたちも、安心して学んでいます。」
別の老人が、近くの畑で作業をしながら、リュザードの名を口にした。それは、恐れや憎しみの言葉ではなかった。
「灰の王は、私たちの生活を壊さなかった。彼は、亡くなられた前の陛下(リアナの父)が願った通りの静かな平和を、実現してくれている。」
リアナの胸に、激しい痛みが走った。それは、敗北の痛みとは違う。
――彼は、私が死の瞬間に託した、最後の祈りを、裏切らなかった。
憎むべき征服者は、彼女の最後の願いを、彼自身の「責務」として、完璧に遂行していた。
■ 第二幕:王の執務室にて
ある日、リアナはリュザードの執務室に呼び出された。
石造りの広大な空間。机の上には、統一された領土の大きな地図が広げられていた。リュザードは、領土の境界線に新しい線を淡々と引いている。
「民は生きている。それでいいだろう。」
彼は地図から目を離さず、リアナに尋ねた。それは問いというより、確認の言葉だった。
「お前が託したのは、単なる命ではない。この国の未来と、お前の人生だ。それを守り、新しい形を与えるのが、俺の責務だ。」
その「責務」という言葉に、彼女の心はもう怒りで満たされなかった。
リアナは問いかける。その問いには、彼女自身の深い迷いが込められていた。
「なぜ、そこまで……? あなたは、私たちを憎んでいたのでは?」
リュザードは、地図の上にあった手を一瞬だけ止め、ゆっくりと顔を上げた。その視線は、遠い過去を見ているようだった。
「憎しみは、戦いの始まりにしかならない。そして、お前は俺に国の未来と人生を託した。ならば、俺はお前を守る――それが、勝利した者の義務だ。」
彼にとって、征服とは「奪うこと」ではなく、「背負うこと」だった。
リアナの心に、強い波紋が広がった。それは、憎しみの火花でも、屈辱の冷気でもない。
敬意という名の、切実で温かい感情だった。
■ 第三幕:元女王としての誇り
リアナは、この城で新しい立場を得た。形式上は外交顧問、実質的には、王であった者として、リュザードの政治を支える役割だった。
彼女は、捕虜でも、従者でもなく、会議の場で意見を求められた。彼女は、かつての蒼国の民の言葉を代弁し、彼の政策の方向性を定める一助となった。
「蒼国の北地は、水利の再構築が優先されるべきです。それは、かつて私の祖父が……」
家臣たちは、元敵国の女王が王の隣にいることにざわめいた。「陛下はなぜ、あの女をそばに置くのか」という陰口は絶えなかった。
ある夜、家臣の一人が勇気を出して、リュザードに進言した。
リュザードは、その進言を一蹴した。
「俺は王であった者に敬意を払う。敗れたとはいえ、彼女は最後まで、国を守るために剣を捨てた。」
彼の声は低く、抑揚がなかったが、そこには揺るぎない信念があった。
「これは慈悲などではない。王としての、王であった者の責務だ。彼女の知識と経験は、この新しい国に必要である。」
その言葉は、リアナに、失われたはずの誇りを取り戻させた。彼女は、敗北の果てで、再び王としての責務を果たす場を得たのだ。
■ 第四幕:夜の庭にて(感情の転換)
満月の夜。リアナは、城の静かな庭で、独り月を見上げていた。
そこにリュザードが現れた。彼はいつものように外套を纏い、庭の闇の中に静かに立っていた。
「お前がこの国を託した夜を、俺は忘れない。」
彼の声は、月光のように静かで、深く響いた。
「あのときの、お前の、すべてを捨てた祈りが、まだ俺の胸に残っている。」
その言葉を聞いた瞬間、リアナの瞳には涙が溢れた。堪えることができなかった。
彼女は、震える声で問うた。
「あのとき……あなたは、私を哀れんだのですか?」
リュザードは一瞬の沈黙の後、明確に答えた。
「違う。俺は、お前を敬った。」
その瞬間、すべての鎖が外れた。彼女が死にゆくときに託した、切実な願いは、この男の心に、正確に届いていた。
そして今、その敬意が――彼女の命を、生かしている。
彼女の中で、憎しみは静かに溶け、リュザードの冷徹な仮面の下にある、孤独な信義に、深く強く惹かれていくのを感じた。
■ 第五幕:終章への橋渡し
リアナは静かに微笑んだ。その微笑みは、初めて、何の影も屈辱も含まない、心からのものだった。
「もし、もしもう一度生まれ変わっても、私は、この国をあなたに託すでしょう。」
それは、敵への降伏ではなく、王としての、そして女としての、最大の信義だった。
リュザードは、それを見て、初めて、その硬い表情を微かに緩ませた。それは、笑みと呼ぶにはあまりに儚かったが、確かに光を帯びていた。
「ならば、次は同じ王座に立つがいい。」
彼は一歩、リアナに近づいた。
「共に国を見よう――託した者と、託された者として。」
二人の間に、征服者と敗者、憎しみと屈辱はもうなかった。ただ、新しく生まれ変わった国と、それを背負う二つの心だけが、静かに息をしていた。




