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ヒーロー力士の系譜

作者: 山谷麻也

挿絵(By みてみん)


 その1 角界のサラブレッド


 二世・三世力士が大相撲を沸かせている。

 琴櫻は元横綱・琴櫻の孫で、元関脇・琴ノ若の長男。王鵬は元横綱・大鵬の孫で、元関脇・貴闘力の三男だ。今さらのように、年を取ったものだと実感させられる。


 大鵬の取組はテレビで観た。もちろん白黒テレビだった。ライバル・柏戸との熱戦に、クギ付けになっていた。


 その2 時代の証言者


 実は、この柏鵬(はくほう)時代より前に、私は大相撲にハマっていた。

 真空管ラジオの実況に耳を傾けた。その頃の人気力士は栃若(とちわか)の二人だった。

 真空管は熱を持つ。生家は徳島県西部の山奥にあったので、電波状態は悪い。大きなスピーカーに齧りつき、夏などは汗をダラダラ流しながら、放送を聴いていた。


 栃錦・若乃花の両横綱が史上初、全勝で千秋楽に相まみえたのが一九六〇年三月場所。前夜に若乃花は緊張と不安で落ち着かず、映画館に行ったところ、髷を結った大男が座っていた。栃錦だった——という、いわく付きの一戦だ。

 毎場所のクライマックスを、唇を噛みしめ、手に汗を握り握り待った。この大一番をどんな思いで聴いたのだろう。小学生の心臓は早鐘のように打っていたに違いない。


 その3 異端児


 大鵬の話に戻る。

 折から、読売ジャイアンツが快進撃していた。いつしか「巨人・大鵬・卵焼き」などという流行語が生まれた。ついでながら、世の中は豊かになり、卵焼きはすっかり家庭料理の定番になっていたのである。


 巨人も大鵬も、それこそ「憎たらしいほど」強いとされた時期があった。

 大鵬は私のヒーローだった。少年たちの話題も大鵬で持ち切りだった。

 盛り上がりに水を差すかのように「ボク、佐田(の山)や」と言った友達がいた。佐田の山は時折、大鵬や柏戸に立ちはだかっていた。

 選りによって、そんな佐田の山を応援しているとは。

「変わったヤツだ」

 私にはまるで異端児だった。


 その4 ラジオ回帰


 成人して、野球場へ何度も足を運んだ。国技館の升席を買ったこともあった。若乃花・貴乃花の若貴兄弟が、横綱を張っていた。郷土出身力士・時津洋(ときつなだ)に大声援を送ると、まわりから温かい笑いが起こった。


 Uターンに伴う慌ただしさもひと段落したので、ゆっくり観戦に出かけようかと密かに考えていた。ところが、視覚障害が思いのほか早く進んでしまった。

 あきらめて、相撲や野球はラジオで聴くことにした。特に大相撲は年六場所あり、一年を通じて程よい興奮が持続する。


 半世紀余で放送関連のテクノロジーは、長足の進歩を遂げていた。スマホは熱を持つこともない。音質は申し分なく、会場の雰囲気をよく伝えている。 呼び出しの声ももどかしく、声援がひときわ大きくなる力士が後から後から登場する。人気者なのだろう。黄色い声も混じっていて、ファン層の厚さがうかがえる。


 その5 瞼の大横綱


 ラジオを聴いていると、古い友人を思い出す。

 彼には推しの力士がいたのだ。なんとも渋い小学生だったことか。流されることなく、自分を貫いていた。


 我らが大鵬は甘いマスクをしていた。長身でスマートだった。ややいかつい感じの柏戸と比べて、テレビ時代のスターの要素をたくさん持っていた。

 孫の王鵬がどんな風貌をしているか、少しく興味はある。見ることはかなわないので、せめてあの大横綱の記憶を手繰(たぐ)ってみよう。

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