第88話 第10章 覚悟 第8節 弱き良き者の正しさが、世界の秩序を壊す日
ブラジル大統領が絶叫する。
「お前たちは、今生き残っている60億人を殺すつもりか!?このままじゃ、ウイルスよりも早く戦争が世界を滅ぼすぞ!」
日本の首相が、ようやく重い口を開いた。
「……わかっています。わかっているんです。私たちは、自国民を守りたい。ただそれだけです。だが、その行為が世界の秩序を壊すなら……我々は、歴史の重さを背負ってでも、別の道を探さなければならない」
イギリス首相が冷たく告げた。
「それは共産主義国に属するという意味か?我々に属するという意味か?その両方と戦うという意味か?日本は言動も行動も不明瞭なことが多い。リーダーであればしっかり示せ」
アメリカ大統領が、右手を挙げ、親指をゆっくりと立てた。
その指は、やがてゆっくりと下に向かって……突き刺すように、画面越しに倒された。
日本の首相が席を立った。
「それでも私は、北海道に、日本に核ミサイルを撃ち込ませるわけにはいかない。旅客機は引き返えさせる」
カメラには映らない席から川滝厚生労働大臣が叫んだ。
「ダメだ総理。それでは日本が終わる。世界が終わるんだ」
デスクを殴りつけた川滝大臣の拳から、血が流れだしていた。
総理大臣は大会議室から出て、首相執務室に入った。
受話器を取り上げたままで、後からついてきた内閣官房長官に告げた。
「私はこれから共産主義国の主席に電話を入れる。すぐさま各旅客機に引き返すように伝えてくれ」
総理大臣は受話器のボタンを押して、交換手に対して共産主義国にホットラインをつなぐように告げた。
「もしもし。日本国総理大臣です。プロテオブロックを積んだ旅客機に対して、引き返すように指示を出しました。北海道に対する核ミサイルの発射準備を直ちに中止していただきたい」
「……5分後に各旅客機の軌跡を確認し次第、発射準備を中止する。もしあなたの発言と結果が違った場合、当然予定通りの発射となる事は伝えておく」
「すでに指示は出しました。すぐに中止指示を出してください」
「それはできない。結果が伴わない言動はどこにでも転がっている」
「あなたは主席として、世界を手に入れたいのか?」
「我々は共存共栄を望んでいる。日本がどのようにウイルス無効化薬の製造を行ったのか、それについても今後説明を願いたい」
「私たちはMORSウイルスが、あなたたちが人工的に作成したものであることを知っている。こんな力任せのやり方で共存共栄など望むべくもない」
「……我々はあなたの発言を信じることにした。各旅客機が引き返している軌跡を確認した。よって……」
突然ホットラインが途切れた。
「もしもし?もしもし?!」
交換手が言った。
「途切れました。再電話は受け付けていません」
「なに?何が起こった?」
首相執務室のドアが開き、防衛大臣が飛び込んできた。
「総理、緊急報告です。横須賀司令部から緊急報告が入りました。米軍第七艦隊からの情報で、太平洋上、南シナ海に展開中のオハイオ級潜水艦が水深50Mに浮上。ミサイルハッチを開放し、バラストタンクに海水充填を開始したとの報告が入りました。つまりトライデントⅡD5核ミサイルの発射準備です。同時に、インド洋ディエゴガルシア近海のイギリス海軍ヴァンガード級潜水艦も水深40Mに浮上、ハッチを開けたとの情報が英MI6から入っています。こちらもトライデントⅡを装備しています」
「何?!発射までどのくらいですか!!」
「最短で10分です。発射後、米軍ミサイルは北京まで約8分、イギリス軍は約18分で着弾予測。抑圧軌道ならそれぞれ4分と9分に短縮されます」
「抑圧軌道?その場合のリスクは?」
「共産主義国の迎撃システム、HQ-19やロシア製S-400に捕捉される可能性が上がります。迎撃率は通常軌道の10%に対し、抑圧だと30~40%に跳ね上がります」
「両方の軌道で発射は可能か?」
「はい、5分程度の時間差で調整すれば可能です。通常軌道で牽制し、抑圧軌道で確実性を狙う戦略かと。米英の連携なら実行に移せるでしょう」
総理大臣は再度受話器を上げて怒鳴った。
「240秒しかない。交換手、ただちに共産主義国との緊急直通回線をつなげ!」
交換手は受話器を耳に当てている総理大臣に伝える。
「総理、拒否しています。電話に出ません」
防衛大臣が言った。
「総理、総理!共産主義国も米軍やイギリス軍の動きは察知しているはずです。交渉のテーブルには戻らないでしょう」
「じゃあ!じゃあどうしろって言うんだ!」
普段は穏やかな総理大臣は受話器を片手に防衛大臣に怒鳴った。




