第85話 第10章 覚悟 第5節 世界一路構想と、支配なき支配の始まり
【アリシアの初報366日目】
延安市棗園革命旧址。共産主義国にとって、かつて革命の中心地だったこの地で、国家主席が姿を現すこと自体が異例だった。その特設会場では、国家主席による「世界一路構想」の発表が続いていた。
「世界の皆さん。私たちは今、かつてない困難に直面しています。人類の進歩は、科学技術によって飛躍しましたが、それと引き換えに、地球という我々の母体は限界を迎えつつあります。その証こそが、今回のウイルスなのです。自然の摂理を無視し続けた結果、MORSウイルスのような凶悪なウイルスが現れました。これは偶然ではなく、必然です。自然の怒り、我々への警告です」
主席の背後にあるスクリーンには、様々な人種が、様々な色のシャツを着て笑顔で手を握り合っている画像が映し出された。
「だからこそ、今こそ世界は一つになるべきなのです。我々はこの混乱の時代を、統合の時代への転換点としなければなりません。分断ではなく、融合を。競争ではなく、共生を。強い者が弱い者を救い、知のある者が導く世界。それが我々が提唱する『世界一路構想』です。この構想において、すべての国家は兄弟となり、境界を超えてひとつの文明共同体となるのです」
背景の映像が、泣いている黒人の少年に、手を差し伸べる東洋人の少年の画像に変わった。
「その最初の一歩として、我々はMORSデルタ株に対するワクチンの開発を完了しました。我々人民は、この成果を自らを優先することなく、まず兄弟たちに分け与えます。ただし、我々と兄弟の契りを結ばない者には、分け与える義務はありません。72時間以内に『世界一路構想』への参加を表明し、北京にて調印してください。これは協定ではなく、誓いです。参加国の代表者たちは、自国民を救う護符を手に入れることができるでしょう。それが、このデルタ株に対応したワクチンなのです」
ここで主席は手元の書類を掲げた。巨大スクリーンに感染シミュレーションが映し出される。
「デルタ株の特徴は以下の通りです」
・感染再現率(R0):9.0
・致死率:75%
・潜伏期間:最大24時間
・重症化まで:発症から24時間
・死亡まで:発症から48時間
・感染から死亡まで3日間
「皆さん、このワクチンは単なる予防薬ではありません。今後さらなる変異が起きた場合にも対応できる多価設計で作られた、我々の化学力の総決算です。世界の皆さん。どうか、良き判断を。兄弟となるか、孤立するか。これは選択ではありません。歴史に名を刻む、誓いの時です」
世界中ではマスコミ関係者に限らず、一般市民も当然この中継を見ていた。
会見を見ている人は、唇をかみしめたり、指先でペンをゆっくり回したり、貧乏ゆすりをしたり、色々な形で怒りや恐怖や不安を表現していた。
NSSではOpsルームの大きな画面に、共産主義国の記者会見が映されていた。機嫌悪そうな光也が、鈴カステラをもぐもぐ食べながら言った。
「思ったよりいい条件じゃん。もう日本も世界一路構想に参加しちゃえ」
冴子は光也の頭に手を置いて言った。
「光也は何でそんなに機嫌が悪いの?世界にはどれくらい、一帯一路構想の世界版だと勘違いしている人がいるんだろう?ただの世界経済圏の話だと思っている人もいるわよね?」
「いつものスーパーで、シベリアが無かったんだ。僕は毎日その店で必ず3個買うのにだよ?厄日だよ。一帯一路と同じとは思っていないだろうけれど、その延長戦くらいに考えている人はそれなりにいるだろうね。もしかすると、一帯一路を言い出した時から、ここまでがストーリーだったのか?」
「まあ指導者が変わっていないからね、その筋もなくはない。参加した国への縛りの強さはどう予想する?」
マネージャー席で爪を削っていた上村課長が言った。
「そんなもん、香港見れば最低ラインは出てるだろ。吸収合併だろ。イギリスから返還された時に、50年の高度自治保証があった。結果は20年で共産主義化された。今回これだけのリスクを犯してるんだ。武力持っている国から数か月で統制されるだろうな」
光也が上村の方を見て言った。
「課長はどう予測してるの?賭けようよ。12時間以内の参加表明は10か国。最強はパキスタン。つまり4日後に人民軍が入るのはパキスタン」
「俺は12時間で、30ヶ国を超えるんじゃないかと思っている。現状の一帯一路構想に参加しているのは155国。そのうち1割と、アフリカ系でメチャクチャ金を突っ込まれている国をあわせて30ヶ国。初めに人民軍が入るのはロシアだろ」
「え?ロシアは参加しないんじゃない?プライド高いよ?」
「いやいや、あえてロシアが影番長狙うってのは、ありだろ?もう初めから決まった出来レースって道もな」
冴子が笑いながら言った。
「あなた達、いい加減にしなさいよね。不謹慎極まりないわよ?」
「冴えちゃんみたいに、人の指を一本ずつ折りながら、どこでゲロるかを賭けたりしてるわけじゃないからマシだよ」
「光也より私の方がマシ。あんたなんか人の指を切っていくでしょ?切る指が無くなったら……もういいわ。とにかく、そろそろ連絡があってもいい頃よね……」
冴子は腕時計をチラッと見た。




