第81話 第10章 覚悟 第1節 沈黙の中でいつもより激しく踊り続けていたもの
【アリシアの初報331日目】
「厚生労働省高次情報解析独立支援機構アリシアは、現在ネットワークへの接続が出来なくなっております。復旧作業をいたしておりますので、しばらくお待ちください。なお、ネットワークに接続できない状態の為、情報漏洩は起こりませんので、ご安心ください」
エリシオン社のWEBサイトのトップページには、このような文字が大きく書かれていた。
アリシアは自閉モードに入る直前の秒間で、計画やスケジュール管理の表や、作成中の計画やルールのテキストを、全てそれぞれの担当者にメールで送信していた。
いつもより効率が下がったとしても、それぞれの業務は人間が継続できる心遣いだ。
美咲が今回の件で、アリシアに一番文句を言いたかったのは、昨夜、悠太が復旧作業で帰ってこれなくなったことだ。思い返してみれば、美咲は悠太と結婚して以来、翔子を生むための入院の時以外は、ずっと悠太と寝ている。アリシアが悠太との出会いのキッカケだったが、昨夜悠太を家に帰さなかったのは、大きな貸しになると美咲は思っていた。
夜が明けたエリシオン社の中では、プロジェクトリーダーである幸太郎をはじめ多くの技術者の目には、今回のアリシアの状態は故障などではなく、自分の意志でネットワークから離脱したように見えていた。
こうなるとますます悠太は美咲に何も聞けない状態となり、SNSメッセージでまだ帰れないことを伝えた。
「今夜は悠太君が好きなドイツパンを買ってきておくからね」
美咲からの返事を読んだ悠太は、独り言をつぶやいた。
「ああ、そうか……今夜には復旧するんだね」
悠太はなぜ、何を、どのようになったら良いのかわからない中で、途方に暮れていた。
そんな時、エリシオン社の技術者の一人が、完全オフラインではなく、中央省庁専用線を通じて、神戸にある理化学研究所計算科学研究センターの富岳にだけつながっている形跡を発見した。
「皆さん、ちょっといいですか?」悠太は厚労省サーバールームにいた技術者たちを集めた。
「どうしたんだ?安田SE」幸太郎が責任者として悠太に声をかけた。
「ええと、言い方が難しいのですが、答えを変えずに式を変えたことを言います」
集まった皆は、徹夜明けということもあり、眉間にしわを寄せたまま悠太の顔を見た。
「現在、アリシア自身による復旧プロトコルが起動しています。遅くても今夜20時に再起動が実行され通常モードに戻ります。ですので今現在SEの我々が出来る事は皆無です。自動復旧プロトコルの邪魔をしないようにしておくのが唯一の選択肢かと」
悠太より年上のベテランSE、遠山が言った。
「いやいや、安田SE。いまさら何を言っているんだよ。そんなプロトコルなんて付けていないし、もし昔から付いていたのであれば、なんで今更?なんでその確認が出来たんだ?」
「実は昨日の夜に、妻から突然『24時間アリシアのことは話したくない』と連絡が来ました。今日の朝、まだ帰れないと連絡すると、妻から『今日の夕飯はドイツパンを用意しておく』と返事が来ました。そして富岳と通信を実行している事実を考えた時に、アリシアを作った僕が皆さんに言えるのは、現在自動復旧プロトコルが起動しているということなんです」
「いやいや、だからさぁ――」
先ほどの遠山SEが声を大きくした時に、悠太より若い咲田SEが割って入ってきた。
「安田さん、今回の復旧が終わったら、もともと実装されていたことを安田さんも忘れていたという、その自動復旧プロトコルについて、コードの場所を管理下に移動しておきましょう。アリシアを作った二人が、今日の夕飯は家で食事ができると言っているんだから、俺は嫌っすけど、昨日の夜から地獄と化している、サポートセンターのフォローに回った方が良いんじゃないっすか?ここは安田チーフが一人いればいいんでしょ?」
ホッとしたような表情を浮かべている悠太が言った。
「安田チーフ。僕も咲田君の意見に賛成です。サイトには20時復旧予定と打っておいてよいと思います。最低ラインだけでも提示しておけば、状況がこちらの手中にあることを表現できます。大変申し訳ないが、復旧プロトコル実行中と」
幸太郎は両腕を組んでいた。
「よし。じゃあ遠山SEにここを任せよう。ネットワークアッセンブリの交換を実行していてください。復旧プロトコルが終わるまでは、原則オフラインとなるので良いチャンスです。富岳連携だけ邪魔しない手順でお願いします。みんなは本社に戻り、サポセンの交代で頭を下げまくろう」
咲田が小さい声で悠太に言った。
「なんか富岳とつながっているなんて、ヤバい臭いしかしないっすね。奥さんが何かやっているんっすか?」
悠太も小さい声で返した。
「いや、うちの美咲ちゃんは真正面から殴り倒すタイプだから、こんなわかりにくい事はしないよ。今回のは関わらない方が良い人たちが、何かやっているんじゃないかと思う。国家安全保障局とか……」
「ヤバいっすね。やっぱり復旧プロトコル実行中って言い張った方がマシっぽいっすね」
咲田は笑いながら答えた。
16時頃、アリシアは全回線でインターネットへの接続を復旧させた。元々中小の医薬、医療品メーカーだったエリシオン社にとっては、地獄のような20時間となった。
何もなかったように、アリシアは通常業務に戻った。
アリシアに繋がらなかったため、美咲は昼間から翔子と買い物に出かけていた。悠太が好きなドイツパンを買いに、鎌倉まで来ていた。
学生の頃は鎌倉の材木座に実家のある花楓とよく遊んだ鎌倉も、最近ではすっかり来ていない。美咲と翔子は二人で、のんびりと鎌倉を楽しんだ。
24時間とアリシアから聞いていたが、本当に24時間ぴったりなのかわからなかったので、鎌倉から戻った美咲は、悠太が好きなトマトスープや、キャベツを刻んで自家製のザワークラウトを作っておいた。
翔子と遊んでウトウトしていると、アリシアのデバイスであるイヤホンが光っていることに気が付いた。時間は16時半だった。
「アリシア、お帰りなさい」美咲はイヤホンを耳に着けて、ぬるいコーヒーを淹れる為に台所に向かった。
「美咲。ただいま戻りました。早速ですが、重大なご相談をせねばなりません」
美咲は首を左右に振った。




