第69話 第8章 原因 第9節 考える力と生き残る力はまた別の話っぽい
【アリシアの初報115日目】
「美咲。変異種についてですが、ニューヨークとパリでも拡大しています。置き換え状態に向かうと考えます。確率は89%。まだデータは少ないですが、致死率が20%前後になるのではないかと予測します。確率は97%」
「これは良い情報と認知すべきかしら……」
眉間に目一杯のしわを寄せている美咲を見て、悠太は笑いながら言った。
「美咲ちゃん。美人はそんな顔していても美人だね」
一気に表情を緩ませた美咲が言った。
「フフフフフ。翔子の弟でも作っちゃう?」
「それは今夜のお楽しみに取っておくにして、問題でも起こった?」
「実は変異種が発見されているの。これ自体は想定の範囲内の話だから問題ないのだけれど、致死率が35%から20%位に下がる可能性が高いの。だから良い情報なのかな?って悩んでいたところ」
「致死率が下がったのであれば、それは良いニュースなんじゃないの?」
「それが感染力が少し上がっているっぽいのよね。大盛りのざるそばが、わんこそば20杯になったというか、バス―カ―砲がマシンガンになったというか。感染者が増えちゃうから結果的にはそうでもないのよね」
「それはワクチンの影響?それともウイルスの弱毒化?」
「まだどっちとも言えないし、どっちともいえる感じかな。あくまで一般論だけれど、ワクチンっていうのはそのウイルスのゲノムに合わせて作るから、変異した場合はそのワクチンでは効かなくなるのよね。例えばそれまでワクチンを接種すれば9割以上の確率で感染しなかったとすると、2割から5割程度に感染抑制が下がってしまう。それでもワクチンの仕事として重症化防止という側面もあるから、今回のこれがどちらの影響かはまだわからない」
「ウイルスの弱毒化が起こる理由って何なんだろう?」
「ウイルスも生き物だから、生き物の存在意義である『生き残り子孫を残す』ということを目的と考えた時に、弱毒化することにより自分たちが生き残る術を探るのよね」
「でもウイルスに脳みそはないでしょ?」
「生存戦略は脳みそが行っているとは限らないのよ。いうなれば単細胞生物でも生き残る方法を実行する。悠太君は『単細胞群』って聞いたことがある?」
「高校の生物で出てきたような、出てこないような……」
「単細胞生物は自分を分離して増殖していくだけではなくってね、自分たちが生き残るためにたくさんの単細胞が集まって、大きな『モノ』となって生き抜いていったりするのよね。これはもう『思考』しないとできないような方法論だけれど、何せ単細胞だからね。思考はできない」
「僕らや動物もたくさんの細胞でできている訳でしょ?だとすると単細胞群との違いは何?」
「私たちの細胞は色々な専門職の集まりなのよね。複合的な細胞の集まりでできている。単細胞群は同じ細胞の集まりである。専門性が低いから、対応力が比べ物にならない位に低い。その半面の強みとしては、同じ細胞だから、一部が切り取られても同じ状態に戻ることができる」
「あれ?人間にもなんにでもなれる細胞ってなかったっけ?それがあれば同じ状態に戻れる?」
「多能性幹細胞と言われている、ES細胞とかIPS細胞とかのことね。複雑な話になっちゃうんだけれど、言うならば専門職になる前の細胞って言うのかな。結局はその後で専門職になるから単細胞群とは決定的に違うのよね」
「……生物っていうのは、なんだか不思議だね」
「そうね。私は脳みそが無くても、悠太君だけを愛する自信しかないけれど」
悠太は笑いながら首を左右に振った。
【アリシアの初報119日目】
変異種は症例数2000を超えて、重症化率と致死率のデータが蓄積されつつあった。
WHOは変異種を「MORS―B」としてワクチン改良の緊急性を訴えた。
【アリシアの初報123日目】
あっという間に症例数は1万件を超え、致死率が20%で確定された。既存ワクチンの感染予防率は30%とされ、重症化予防率は70%程度という数字が導き出された。
このデータの中には、MORSーA(アルファ、初期株)に感染した人の再感染の報告も少数ながらなされていた。
医療職にとって致死率が20%という数字は驚くほど高いのだが、マスコミなどでは従来の『4割弱から2割に下がった』として、あたかも安全になったような論調が見えていた。




