第64話 第8章 原因 第4節 名は体を表していることもあるし看板倒れなこともある
【アリシアの初報33日目】
自宅で情報集めや、小さい問題のプランニングなどを少しずつ進めていた美咲にアリシアが言った。
「美咲。アストラゼネカ社がワクチン設計を完了したようです。WEBで臨時発表を行いました。2時間後に記者会見を行うようです」
「え?アストラゼネカだったのかぁ。一番乗りはモデルナかファイザーだと思っていたから……アストラゼネカはウィルスベクターワクチンの専門家という印象だったから、ちょっと驚き」
「美咲。アストラゼネカはイギリスケンブリッジにある製薬会社で、ゲノム解析の検算をしたのは、ケンブリッジ大学ですから。イギリス政府としても、一つくらい良いことがないと割に合わないと判断したのではないでしょうか?」
「?……えぇぇぇ……本当はもっと早くウイルスゲノム解析が終わっていたってこと?先にアストラゼネカに情報をリークしたってこと?死神の足音が聞こえないのかしら?本当にバカばっかりで嫌になる」
「もちろんこれは、私が人間を真似た面白おかしい推理です。人間は可能性が高い推理より、可能性が低い推理を楽しむところがありますから。3日前のリーク情報と読みます」
「いやいやいや。あながちね。ない話じゃないでしょ。そもそもアストラゼネカって、メッセンジャーRNAワクチンなんて、量産体制持っているの?」
「美咲。私の知っている限りでは、アストラゼネカ社でワクチン設計は出来ても、量産を行う事は出来ません。ですが現在世界には多くのメッセンジャ―RNAワクチンを生産できる工場が存在しています。日本にはまだ存在しませんが、韓国や共産主義国、インド、南アフリカ、スイス、スペインにある工場は設計は行わずに、量産に特化した工場です。今回もそれらの工場に依頼する形となるのでしょう」
「でもそうなると、アリシアが計画した北海道の生産ラインって、将来的にライバルが多い中での運用になるけれど、勝ち目はあるの?」
「美咲、私は経済産業を目的としたAIではなく、医療に特化したAIです。私が北海道の特区を、医療工場へ改修するよう提案した理由は、今後世界的にパンデミックが起こり、その時に海外からのワクチン供給が絶たれるからです。10年先の経営状態ことについては、私が関知するところではありません」
「まあ、そうよね。私も10年後には、厚生労働省にはいないだろうし。その時代にマッチした工場に改修すればよいだけの話よね……税金でだけどね」
【アリシアの初報34日目】
アストラゼネカがワクチンの設計を完了させたと発表した翌日、モデルナ社もワクチン設計を完了したことを発表した。即日原薬の製造を開始し、2週間以内の少量製剤を目指すことも発表された。
アリシアの人間が好きそうな邪推を前提にすると、3日間のスタートの遅れを1日に縮めてゴールしたモデルナは、さすが社名が「ModeRNA」(モードRNA-モデルナ)、「RNAワクチン」のスペシャリストであると言い切っているだけのことはある。
同じ日に共産主義国では、河南省をロックダウンしたと発表した。同時に上海、河北省、広東省など共産主義国内のメッセンジャ―RNAの製薬工場拠点において、GISAID(世界ウイルスゲノム共有データベース)にアップされたゲノム配列を元に、メッセンジャーRNAワクチンの製造を開始する発表を行った。
またしても茶番劇を行った共産主義国に対しては、すでに日本政府は何の意見もない状態であった。日本政府としては、30日前から事実上ロックダウンを行っていたことを知っているし、他の国も同様に、河南省が事実上のロックダウン状態だったことを知っていたからだ。
「美咲。このタイミングでの共産主義国の発表について、念のため、私の懸念を伝えてもよろしいですか?」
「もちろん」
「はい。皆さんは今回の記者会見を『どうせまた嘘だろう』と軽く見ているようですが、戦略的情報発信と考えた時に、私には日本やイギリスの会見と同じくらい『意味のある発表』に見えます」
「つまり、何を発表したのかじゃなくて、何のために発表したかの理由が重要と?」
「そうです。たとえば日本はICAOルールに則って、入国制限を発表しました。イギリスは、mRNAワクチン製造に必要なゲノム情報を共有するために、解析の完了を発表しました」
「じゃあ……共産主義国は?ロックダウンと、ワクチン製造の発表。何のために?」
「美咲。それが、私の疑問です。共産主義国は、ゲノム解析やワクチン製造の技術において、世界有数の能力を持っています。本来なら、もっと前から製造開始できたはずなんです」
「なのに、今日から始めますって言った。それって、行動の事実より発表のタイミングのほうが大事ってこと?」
「はい。これを『ファクトスタッキング』と呼びます。事柄を巧妙に積み重ねて、意図的に印象を操作する手法です」
「……『河南省をロックダウン』『ワクチン製造を開始』。一見まっとうに見えるけど、どちらも遅れて出された情報よね」
「その通り。あえて『いま』情報を出したことで、『また嘘を』というネガティブな印象を与えてしまいますが、人間の目はその『嘘情報の発表』という事柄に向いてしまいます。そこで思考を止めてしまうのです。しかし目的が、様々な嘘情報を出す事により、他の重要な情報を『埋もれさせる』ことにあるとすれば、見事に目的は果たしている事になりませんか?」
「情報のノイズで、本当に見てほしくない何かから目をそらす……まるで、マジシャンが一方の手を大きく動かすことで、もう一方の手でトリックを実行できるようにする、ミスディレクションのように」
「適切な比喩です。情報の洪水によって、核心に目が向かなくなる。仮に、共産主義国がウイルスの発生地だとしたら、いま一番避けたいのは、発生地の奥にある発生源なのかもしれません」
「賠償とか、国際的非難ではなくて発生源?」
「賠償回避や非難回避の手法を選択したければ、これまでにもたくさんの道があったと思います。そんな事よりも重要な理由があったのではないでしょうか?」
「……行動に結果はついて来る。ほとんどの場合は理由もね。共産主義国が発生地であるにもかかわらず、イギリスが発生地だと暴れまわる。これによって多くの人の目は、共産主義国の横暴に目がいってしまう。本当は共産主義国なんだろ?位までは思考しても、どうやってこのウイルスが発生したのか?までは話が及ばない状況を作っている。発生源に目を向けさせない……」
「これら私の推理は、人間が好きな確率の低い方の可能性かもしれません。ですがもしその可能性が否めないのであれば、変異種に注意が必要かと。共産主義国にウイルスが発生した理由、発生した行動が隠したい事柄だとすると?」
「アリシアの言わんとしている事が、私の中に今あるモヤモヤした不審と同じだとすると、変異の仕方にも、何か意図があるかもしれないってこと?」
「はい。自然発生したウイルスであれば偶然とされる変異にも、目的を果たすための行動結果でウイルスが発生したとすると、『人工ウイルス』は変異にも目的を果たすための仕掛けが含まれている可能性があります」
美咲はしばらく険しい顔をしていたが、すぐに冴子に電話をかけた。
【アリシアの初報47日目】
この時点では、すでに全世界での感染が確認され、感染者数は100万人を超えていた。
アリシアが予想している捕捉率(CDR)を基に計算すれば、すでに1000万人の感染者が存在するということになる。




