第61話 第8章 原因 第1節 噂の灰が世界中に降り積もる夜に
【アリシアの初報23日目】
共産主義国の外交部記者会見室は、グレーの壁に赤い国旗が掲げられていた。数十人の欧米やアジア系の記者達が、カメラとノート、レコーダーを手に詰めかけていた。
この日、共産主義国は記者会見を行った。その内容は驚くべきものであるし、失笑を禁じ得ないものでもあった。デジタル技術が進化して、ミラーレスカメラがプロのカメラマンにも浸透してきたせいか、報道官が壇上に現れた時の一斉に押されるシャッター音は、昔より静かだった。
壇上のリン報道官は、シャッター音よりも静かな口調で話し始めた。
「各位記者、皆様に重要な発表があります。本日、我が国にイギリスから帰国した人民が、悪性の肺炎を発症したことが確認されました。この症例は、イギリスで発生した未知のウイルスと関連があると強く疑われます。我々は速やかに患者を隔離し、治療と調査を開始しました。しかし、このウイルスの起源と特性について、イギリス政府が十分な情報を提供していないことは極めて遺憾です。我々は科学的事実に基づき、イギリスが発症源である可能性が高いと判断します。イギリス当局に対し、直ちにウイルス解析データ、ゲノム配列、感染経路の詳細を国際社会と共有するよう要求します。隠蔽や遅延は許されません。共産主義国は被害者であり、世界の健康を守る責任を果たす立場から、この危機に立ち向かいます。以上です」
イギリス人記者が手を上げた。
「リン報道官、イギリスが発症源との主張ですが、根拠は?河南省で通信途絶が続いている件との関連は否定できますか?」
「質問ありがとうございます。根拠は明確です。患者はイギリスからの帰国者であり、潜伏期間を考慮すれば感染源はイギリス以外に考えられません。河南省については、システム障害とインフラ整備の一環であり、ウイルスとは無関係です。憶測に基づく報道は控えてください」
アメリカ人記者が手を上げた。
「イギリスに情報開示を求める一方、共産主義国は自国の症例データをいつ公開するのですか?WHOへの報告は?」
「我々はすでにWHOに必要な通知を行いました。具体的なデータは調査中であり、適切なタイミングで公表します。我々は透明性を持って行動しています。逆に、イギリスが速やかにデータを公開しないことが、国際社会の懸念を高めているのです」
日本人記者が手を上げた。
「共産主義国は他国からの入国制限を検討していますか?また、イギリス以外からの帰国者の発症は?」
「現時点で新たな入国制限は計画していません。人民の安全が最優先であり、状況に応じて適切な措置を取ります。他国からの帰国者については、現在のところ同様の症例は確認されていません。イギリスが焦点であることは明白です」
再度日本人記者が手を上げた。
「河南省のロックダウン疑惑が解消されない中での発言は、共産主義国の信頼性を損なうのでは?」
リン報道官は語気を強めた。
「ロックダウンという言葉は不正確です。河南省は通常のインフラ工事と通信復旧作業中です。我々の信頼性は、迅速な対応と事実の提示にあります。イギリスが責任を果たさないことこそ、国際社会が問うべき問題です。次の質問を」
やや感情的になった報道官を見た司会者が、遮るように声をあげた。
「時間が参りました。これで会見を終了します」
NSSのOpsルームで会見を見ていた光也が言った。
「なんかさぁ、大阪の新喜劇とか見ているみたいだよね。記者たちは椅子から転げ落ちたらいいのに」
腕を組んだ冴子が返した。
「光也ならやりそうね」
「そりゃそうだよ。僕は期待を裏切らない男だからね。今回が介入班案件じゃなかったら、速攻で北京に潜って記者会見で椅子から落ちて見せるのに」
光也は少し悔しそうに言った。
【アリシアの初報24日目】
厚生労働省の役人となった美咲と、アリシアが古い情報に囚われるバイアスを除去している悠太と、今日も楽しく動物の写真集を読む予定である翔子の三人は、いつものように一緒に朝食を食べていた。
もはや点けっぱなしになっているミュートがかかったテレビでは、英国健康安全保障庁の会見が映されていた。声が聞こえなくても、画面に出てくるテロップを読んでいれば大体内容はわかる。
「イギリスでは感染者が1000人を突破」「サフォーク州では医療機関の限界が近い」




