第56話 第7章 怒涛 第6節 女神が今ここに降り立つ極低確率
「あ、川滝大臣」響子は驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔になった。
「林葉さん……」川滝の先ほどまでの弱々しかった顔が、ぱっと明るい笑顔になった。
冴子は川滝が響子に目を奪われている隙に、響子に視線を送りながら片手を胸の前でこぶしを握るような動作をし、その腕を水平に動かし、川滝大臣を指差してから声を出した。
「川滝大臣、ワクチン開発と製造について、お見せしたい資料があるので、Opsルームから持ってくるまでお待ち願えますか?」
川滝はハッとした顔をした。「もちろん」
「じゃあちょっとお待ちくださいね」
そう言うと冴子は響子と入れ替わりでチームルームを出て行った。
響子は川滝大臣が座っているソファーの隣に座った。
「久しぶりですね。やっと会えた」響子は川滝の太ももの上に手を乗せた。
「……林葉さん」川滝の目が充血してきた。
それを見た響子は、川滝の頭をギュッと抱きしめて言った。
「ほんの数分だけ、私に全部ゆだねなさい。私が全てからあなたを守ってあげるから」
川滝は全身の力を抜き、響子に抱かれたままでポロポロと涙をこぼし始めた。
「しょうがないわね、太郎は」そう言うと響子は涙を舐めとるように、川滝の眼と頬に口づけた。
響子はフッとソファーから立ち上がり、シャツの裾を持ち上げた。彫刻のように鍛え上げられた腹部を露出させると、川滝の顔をその腹に引き寄せるように抱きしめた。
川滝は響子の腹部に顔をうずめ、響子の腰あたりを両腕で強く抱きしめた。
「さぁ、ゆっくり癒してあげられないけれど、パンデミック問題が落ち着いたら思う存分時間をあげるから。今はもう少し一人で戦えるかしら?」響子は聖母のような落ち着いた声で川滝に語り掛けた。
数分後、川滝はうなずいて腰に回した両手を解いた。
響子は最後に川滝の頭を撫でて、川滝の唇に軽いキスをして自分のシャツを直した。
ガチャ
「川滝大臣、お待たせしちゃってゴメンナさいね~」
冴子は『わざわざ』紙媒体の資料を抱えて戻ってきた。
その資料には、現状でアリシアと美咲がプランニングしている、ワクチン開発と製造に関する思考。日本国民へのワクチン配布手順と世界への配布手順が書かれていた。アリシアと美咲は、この窮地に予算組した80兆円の内、10%の8兆円をワクチン製造で回収するプランを立てている。それらの予算詳細も細かく出来上がっていた。
「これはワクチン開発に関する思考実験の一つと言っていいと思うのだけど。これに目を通して、利己的にこの危機をチャンスと考えているおバカさん達に、国が投資したものは、国が回収することをしっかり教えてあげてくださいな。ピンチはピンチでしかなくって、チャンスな訳無いでしょってことも教えてあげてね。もっと突っ込みたい部分があれば、連絡くれれば更なる詳細をお渡ししますので」
冴子からもらった資料を眺める川滝の目は、もはや先ほどまでの弱々しさなどみじんも感じない目に変わっていた。
「わかりました。いや……アリシア凄いですね。正直今回の予算を回収する事なんて、まったく考えていませんでしたよ」
「ちなみにそれは、アリシアだけではなくて、アリシアを作った女医さんと二人で組んでいるプランですからね。そこはお忘れなきよう」
「安田美咲先生ですよね……」
そう言うと川滝は姿勢をピシッと伸ばしてチームルームを出て行った。
それを見送った響子が言った。
「なんですか?突然のサイレントシグナルで『CoverMe』(そいつを援護しろ)だなんて」
「だって川滝大臣、もうボロボロだったのよ。そこに川滝大臣の女神さまが降臨したんだから、使わない手はないでしょ?」
「冴子さんに7人目の川滝大臣とはもう『やるな』って言われてから、結構冷たくしてたんですけどね」
冴子は面白そうに笑った。
響子は鼻を鳴らして紅茶を入れた。




