第5話 第1章 播種 第5節 ピッツァはローマで気持ちはサンバ
悠太君が私の家に、私の部屋に来る事で生まれる要素と、私が悠太君の家に行く事で生まれる要素。それらを私が欲しい目的と結び付け、そこから導き出した答えから、私が避けたい因子をかけ合わせた結果として、私が悠太君の家に行くことを選択した。こういうところ、花楓から面倒な人間だと言われるけれど、言語化できないバカには憧れない私がいる。
大学から私の家までの往復時間に1時間の準備時間を考えて行動した。急ぎ足で家に戻った私は、とにかくシャワー(謎の歯磨きも)、普段やらない慣れないヘアセットを終わらせて(乾かすだけと言えばそうなんだけど)、固くなり過ぎないけど普段着ではない洋服(昨夜花楓にスマホのビデオ通話で選んでもらった)に着替えた。
食事の事など不明な事が多かったけれど、あまり気を回し過ぎるのは良くないと思ったので、自分が飲むペットボトルだけを持って悠太君の家に向かった。スマホがあれば、誰だって、どこにだって行ける時代。悠太君が送ってくれた住所をタップすると、自動的に地図アプリが立ち上がり、乗り換え情報まで教えてくれる。地味に素晴らしい時代だ。
マンションのエントランスまで来た。オートロックのマンションなので、悠太君が住んでいる2階の部屋番号と呼び出しボタンを押した。
[ピンポーン]
ガチャ「はい、今開けます」
私は悠太君のドタバタした様子を目に浮かべながら、開いたエントランスのガラスドアの向こうへと進んだ。2階ならと思い、エレベーターの隣の階段でワンフロア上がると、奥の方の玄関ドアが開いて悠太君が出てきた、
もう駅を降りてから、いや朝起きてから、なんなら昨日、花楓とランチをしている時に届いた、悠太君からのSNSメッセージを読んだ瞬間からずっと、私の中でフェスティバルやらカーニバルやらが開幕している。サンバが流れて心臓がアップテンポで踊り続けている。寿命が縮む。自分が怖い。
悠太君に促されて玄関ドアの中に入ると、香ばしいとても良い香りがしている。
「あと数分で焼けます。生地から作ったピザです。今日は美咲さんへの勝手なイメージで、薄いカリカリのローマ風にしました。もしかして美人女子あるあるの『肉は苦手』な可能性を考えて、アンチョビ、香草、チーズたっぷりです。大丈夫でしたか?」
――ああ、もう、もう、もう、たくさんのイタリア人がサンバを踊り出した。
「うん、好き嫌いはない。カリカリも好きだしモチモチも好きだよ」
「じゃあ次はモチモチ焼きますね」
――次とか言ってる。次はとか言ってるし。次はって何なのよ!
「すごいね。生地からピザ焼ける高校生男子って、あまり聞かないわよ」
「お父さんが良く焼いてくれていたのですが、ピザに関しては今では僕の方が上ですね」
「今日はご家族は?」
「母は僕が幼稚園の時に死にました。兄弟はいません。その後はお父さんと二人の生活です。たぶん2時間後位に帰ってくると思います」
悠太の発言を聞いた美咲は、眉間にしわが寄るくらいに、目をグッとつぶったままでうつむき、そのまま顔を天井に向け、何度か頷いて目を開けた。
――お母さんが幼稚園の時に亡くなった?お父さんと二人で生きてきた?もうダメだ。本当にもうダメだ。私が悠太君を幸せにする。この十数年の寂しさを、倍返しで私が幸せ満タンにしてみせる!
「色々予想外ね。ちょっといいかしら」
美咲はキッチンのオーブンの隣に立っていた悠太の側まで行き、オーブンミトンを両手にはめていた悠太の顔を両手で挟んだ。
「普段はこんな事しないからね。初めてだから技術レベルは許してね」
美咲は悠太の意思を確かめもせずに、初めてのキスを悠太とした。10秒くらいのキスの後、オーブンのブザー音が、ピザの完成とキスの終了を告げた。
「次は悠太君のピザを頂くわ」
少し膝がガクガク震えていた私は、初めてのくせに大人ぶってみせた。