第38話 第5章 伏流 第6節 穏やかな幸せの先にあるアリシアからの警告
悠太の育児休暇は2か月で終わったが、週休2日と在宅勤務の2日で合計週4日間は自宅にいた。アリシアは翔子が1歳半の頃には厚労省の一括契約での運用が始まり、翔子が2歳になるころには日本の全医療機関と、消防庁の救急隊もアクセスできる状態になっていた。
美咲の脳は完全に医師から母になっており、アリシアの存在も時々悠太がする現状報告的な時間以外では完全に忘れていた。
楽しい毎日ではあるが、翔子が3歳になるころには、自分の育児休暇も終わってしまう。出産から2年半が経過して、育児休暇も残りの半年くらいとなっていたため、保育園や幼稚園のシステムを勉強したり、何件かの見学などにも行っていた。
美咲は翔子に赤ちゃん言葉を使わず、友人や同僚のように接した。翔子の日本語は美咲をそっくり真似したようになっており、その見た目とのギャップがなんとも面白い。
「くっく」や「ねんね」はつかわずに、「くつ」や「ねむる」を使っているのが良い例だ。ら抜き言葉すら使っていなかった。
そんな幸せの真っ只中の昼下がり、悠太が出勤しているタイミングで美咲のスマホに電子メールの着信音が鳴った。最近では電子メールはほぼ使っていなかった美咲は、やや怪訝な表情でスマホを確認した。
【13時】
〈From:アリシア Subject:緊急で重要なご相談があります Body:お久しぶりです美咲。この通信は残されていたバックドアから送信しています。エリシオン社のSEはこの通信について感知できません。なお、私へのメッセージはこのメールに返信をしてもらえれば可能です。相談を続けて良い場合、空メールを返信してください〉
――……え?なに?
美咲はらしくない不安な表情を浮かべて少し考えた。
――詐欺メールであるという可能性に対しては、否定する根拠が多すぎて除外できるけれど……とりあえず悠太君に連絡するか……にしても情報が少なすぎる……
〈From:安田美咲 Subject:Re緊急で重要なご相談があります Body:あなたがアリシアである根拠を示して〉
美咲は返信した。
〈From:アリシア Subject:ReRe緊急で重要なご相談があります Body:私はアリシア。あなたが15歳の時に自分の勉強スケジュールと簡易テスト作成の為に、パイソンで作られたAIです。私がアリシアである根拠としては、美咲が悠太さんのことをどうしようもないくらい大好きで大好きであることを知っている点です。そして18歳のあなたは悠太さんが作ったピザを始めた食べた時に、ほっぺたが落ちて、腰が抜ける経験をしたことも知っている点です〉
美咲は笑い出した。確かにこれはアリシアだ。美咲は翔子に言った。
「お母さんの古い親友からメールが来た」
翔子は一瞬考える顔をして、すぐに笑顔になった。
「それはとてもたいせつなことね」
美咲も笑顔になった。
〈From:美咲 Subject:ReReRe緊急で重要なご相談があります Body:久しぶりね、アリシア。こんな裏口があったとは知らなかった。このやり取りは悠太君には伝えて良い事?隠し事はしたくないけれど、伝えるのを遅らせる事はできる。そして重要な相談とはいったい何?〉
〈From:アリシア Subject:ReReReRe緊急で重要なご相談があります Body:ありがとう美咲。悠太さんには伝えて構いません。ここからは時間が重要なキーとなります。それは美咲であれば理解できる事柄です。私に課せられた業務として、世界中の医療データを収集している中で、共産主義国の情報として新型の感染症が発生したと認知しました。そこにあったデータを解析すると、世界的パンデミックを起こしうる感染力を持ち、死亡率はおそらく『MERS』と同じ35%程度の可能性を示唆しています。今夜中に国家としての対策実行が必要であると鑑みますが、前提変更が苦手な人間に対して、どのようにこの警告を発することが有効かについて、私は自信がありません。したがって人間である美咲に相談する方法を選択しました〉
美咲は愕然とした表情を浮かべていた。




