第36話 第5章 伏流 第4節 新しい命と美咲の小さな嘘
翌日放射線科の医長に対して妊娠の事実を伝えると、美咲の予想を上回るどよめきが局内を覆った。プライベートではかなりデレデレな態度で悠太と向かい合っている美咲だが、職場ではかなりドライな態度でいるため、いや、悠太の前以外ではどんな場面においてもかなりドライな人間であるため、妊娠と美咲の距離が、とても遠いイメージを持たれているようだった。
一度立てた計画をトレースするのは、美咲も悠太も得意と言える性質であったため、週末に二人で美咲の実家に行き、美咲の妊娠を報告することも、全くストレスには感じなかった。
成すべきを淡々を進め、定期的な受診も応慶大学の産婦人科で受けて、勤務体系は産婦人科の坂上医師の助言をすべて聞き入れ、美咲は一般論より少し早めの、妊娠28週(7か月目頃)から産休に入ることにしていた。
「安田先生。明日から産休に入るとの事なので、2週間後に予約を取っておきますが問題ありませんか?」
産婦人科の診察室で坂上医師は美咲に言った。
「問題ありません。放射線科の皆さんが協力してくれて、問題なく明日から完全オフに入ります」
「それはよかったです。ところで性別についてですが、知っておきますか?生まれてからにしますか?」
「どう考えても先に知っておいた方が、準備の効率が良いので知っておきたいです」
安田医師は『完全』ではないが、可能性が高いのは……と美咲に告げた。
仕事を終えて放射線科の医師や看護師に協力の礼を言って、持って帰っておくべき少ない私物をもって美咲は帰宅した。
家に戻ると悠太が先に帰宅しており、いつもより手の込んだ夕飯を作っていた。
「お帰り美咲ちゃん。今日からしばらく新しい戦いが始めるから、ちょっとした開戦前夜パーティーをしようと思って」
「悠太君と一緒だから、心配は何もないわ」
「僕も明日から3日間は休みを取ったよ。その後はできるだけ在宅で仕事をするようにすることにした」
「……ああ、もう、一緒にいる時間がそんなに増やせるなんて、ずっと妊娠していたい気分だわ」
美咲は悠太を抱きしめた。
二人は食事をしながら、とりあえず明日からの3日間の予定を話し合った。
「美咲ちゃん。とりあえずネットで調べたり、人から聞いて必要なものリストを作っておいたから、あまり無理しないように半日ずつのスケジュールで、これらの買い出しに行こうと思うんだ」
「ありがとう。大きいものからってことで、ベビーベッドとかの家具を見に行くのが明日の午後の予定ね?」
「うん。男の子でも女の子でも木目調なら問題ないと思っているんだ。洋服もどっちでも対応できる緑とか黄色っぽいものが良いのかね?」
「ん?悠太君は事前に性別告知は受けたくない?」
「うん。うまい言葉が見当たらないけれど、極論どっちでも嬉しいから、そこにこだわりたくない気持ちというか。無事に生まれてくれたら、それだけで嬉しいからこそ、まずはそこに焦点を当てたいというか」
「……オーケー。わかったわ。じゃあ効率的に片方向の道だけを準備するのではなく、2倍楽しんじゃおうって方向性で準備を進めましょうね」
美咲は微笑みながら言った。
「うんうん。2倍楽しんじゃおうって良い表現だね。そうしたい。ところで美咲ちゃんは名前に関して何か先に出しておく要素ってある?例えば親につけてもらうとか、女の子だったら『子』を付けたいとか」
「ううん、何もない。アリシアの名前の時もそうだったけれど、私はほら、そういうところ欠落した人間だから。でも二人の子だから、私たちが決めてあげたい気持ちはあるかな……。でも、こういう時の自分の思考を分析してみると、意外と古い人間なのかもって思った。俗にいうキラキラネームよりシンプルな名前の方が好きみたい」
「なるほどわかった。僕は僕とお父さんに使われている『太』の文字を入れたいとかも全然ないからね」
「わかったよ。私も美咲の文字を入れたいとかは全然ないからね」
二人はまさに幸せの絶頂にいた。




