第27話 第4章 基軸 第5節 着地点が決められているダンス
視察先の精神科病院に到着した公用車の後部座席のドアを、先に地下鉄で到着していた浦野秘書が開けた。その瞬間大臣になれるだけの素質を持った川滝は、深刻な表情から一瞬のうちに満面の笑みの表情となり、川滝を迎え入れる為に正面玄関に並んだ病院職員と握手を交わしながら、病院の中に入っていった。
浦野は一瞬だけ車内に残った冴子に目をやり、冴子の表情を見て話がまとまった事を察知した。
視察を終えて公用車に戻った川滝は、帰りはいつものように隣に座った浦野に言った。
「お前は何をどこまで把握している?」
「何一つ把握はしておりません。把握しておくべきことがあるのであれば、大臣が仰ってください」
「これからの予定は?」
「庁舎に戻り、何軒かの打ち合わせはございますが、すべて執務室でとなります」
「では地域医療計画課の課長と話がしたいから呼んでもらいたい」
「かしこまりました」
川滝が戻った庁舎の執務室には、何人かの役人が出入りして、いくつかの報告が行われた。
「大臣。予定されていた打ち合わせはここまででございます。最後に地域医療計画課の課長が参っております」
浦野は予定を管理している紙媒体の革張りの手帳を確認しながら言った。
トントン「失礼します」
地域医療計画課課長である時田健一が執務室に入ってきた。
「お呼びでしょうか、大臣」
時田はお呼びでしょうか?というセリフに反して、必要となるであろう紙媒体の資料を手に持っている。
「お忙しいところ申し訳ない。エリシオン社のAIについて、大変有能であるという『うわさ』を聞きましてね。ご存じでしたらこのAIについて情報を頂きたいと考えました」
「かしこまりました。それではこれが資料になります」
時田は手に持っている紙媒体の資料の一部を川滝のデスクの上に置き、もう一部を浦野に手渡した。
「時田さん。このAIについてはいかがお考えになりますか?」
「はい大臣。これはアリシアと呼ばれる医療情報横断管理システムとなります。AIと考えると話が見えにくくなりますので、システムとお考えになられた方がよろしいかと存じます。厚労省が介護保険情報のデジタル一元管理やビッグデータの作成を目的として、ケアプランデータ連携システムを構築したわけでございますが、この使用率は事実上3割に満たない結果となっております。この理由はひとえにユーザー側に利点が少ないことと、システム自体の問題、使いにくさや各介護ソフトベンダーの違いによっての不具合などが原因と考えます。アリシアにおきましては、画像データや数値データ、薬の情報などを含めて、デジタルデータをデジタルデータとして収集するのではなく、各社の医療機器やソフトウェアが人間が理解できるアナログデータとして画面に表示したものを、再度デジタル化して集積するため、ケアプランデータ連携システムとは違う、高い使用率が期待できると予想します」
「もう少しわかりやすく言うと?」
「尋常ではない記憶力を持った病理医を厚労省で雇うことにより、日本中の医療データを記憶し、さらに分析してあらゆる医療機関や行政機関と情報共有が図れる。こんなところでしょうか」
「個人情報の漏洩に関しては?」
「わたくしもまだ詳しくは把握しておりませんが、どうやら個人としての串刺しをしていない情報の集合体であるデータがバラバラの塊として集積されている。AIが必要に応じて都度串を刺して情報をまとめる。つまりデータ集積場所の一部がハッキングされたとしても、日本国民の全体的な情報は開示されますが、それは厚労省が定期的に提示している情報と変わらないと言える内容でしかないと考えられます」
「既得権益者からの反対の可能性は?」
「……いうならばエクセルが世間に出回った時と同じであると考えていただければ近しいかと存じます。一部に表計算ソフトを作成している会社、昔で言えばIBM社がロータスという表計算ソフトを先行して販売しておりましたが、その能力の違いによりマイクロソフト社のエクセルに駆逐されました。その程度のことかと……」
「なるほど。AIという部分において、データベースの統合、つまり情報の抽出に使われているだけだと考えてよろしいのですか?」
「いえ、その部分はほんの『ついで』と認識すべきです。本筋的には情報からその患者の治療に関するアドバイスを医師に与えるということかと」
「ちょっとピンとこないのですが……」
「わたくしも本物のアリシアを見てはいないのですが、応慶附属病院がテスト3か月という異例の速度で本採用に向けて動き始めているようですので、あり得ないほどの能力を持っているのではないかと想像いたします」
「ある人が、このシステムを民間に出すと、共産主義国あたりが生物兵器の開発などに転用すると警告しているのですが、どう思われますか?」
時田は一瞬視線を左下に向けた。そして眼鏡のブリッジに中指を当てて押し上げるしぐさをした。




