第23話 第4章 基軸 第1節 ドクターズドクターとしてのアリシアの第一歩
研修医を終え、専攻医としての科目を放射線科とした美咲は、自分を高く評価して誘ってくれていた、有名心臓外科医の川野辺教授には、一度詫びを入れておかねばならないと考えていた。
――さすがに私も少しは大人になったんだな。
美咲は川野辺教授の部屋に向かいながら、微笑を浮かべていた。
コンコン
「失礼します」美咲は川野辺教授の部屋のドアをノックした。
「はい、どうぞ」
美咲はドアを開けて教授室に入った。
「ご無沙汰しています。苗字が変わったのでご挨拶に来ました」
「おお、美咲ちゃん。えっと、黒田さんから……」
「はい。今は安田になりました」
「そうかそうか。僕は教授としても男としてもフラれちゃったんだなぁ」
「ご冗談を。ですがせっかく誘っていただいていたのに、心臓血管科ではなく放射線科を選んだのは事実ですので、ご期待に応えられずに申し訳なかったです」
「しょうがないよ。お母さんから黒田病院の将来の為に、放射線診断医を選ぶように強く言ったと聞いているから」
――どうやら母が事前に手をまわしてくれていたようだ。
「申し訳ありませんでした」
「それはそうと、お母さんが言っていたAIについて興味があってさ。詳しく聞かせてよ」
「え?アリシアのことですか?」
「そうそう。美咲ちゃんが作って、美咲ちゃんの旦那さんが仕上げたAI。黒田病院にテスト導入したけれど、メーカー問わずに薬まで横断管理して凄いって聞いたからさ」
――私は現状のアリシアについての説明を簡単にするのと同時に、スマートグラスを私の胸ポケットから取り出し、腕時計型のスマートウォッチを取り外して川野辺教授に渡した。
「では教授、初めにアリシアと言ってから、病理医と話している感覚で、患者についての見解の議論を行ってみてもらえますか?もし画像データなどがあれば、それを見ながら話をすると、アリシアはその画像の解析も同時に行います。患者の個人情報は、会話終了から5分でデータ削除されるので、個人情報については問題ないです」
川野辺はスマートグラスをかけて話し始めた。
「ええ?なんだか信じがたい感じだけれど、やってみるね。アリシア。初めまして。応慶大学の川野辺と言います」
「初めまして、川野辺教授。応慶病院の心臓血管外科教授でいらっしゃいますね。お会いできて光栄です」
「……これは驚いた。ちゃんと僕のことを把握しているんだね。では、試しに相談してみよう。ええと、最近、冠動脈バイパス術を予定している患者がいるんだけれど、ちょっと気になる点があってね。彼は60代の男性で、糖尿病の既往がある。冠動脈造影ではLAD(左前下行枝)に75%以上の狭窄が見られたが、内科的治療で安定していた。ところが、最近になって頻繁に労作時の狭心痛が出るようになった。血圧もやや不安定になっているんだ。バイパスの適応についての見解を聞かせてもらえるかな?」
「一般的な医療データと、川野辺教授のパソコン画面に表示されている、現在の画像診断データを照合し解析を行います……。川野辺教授、ご提示いただいた患者の冠動脈狭窄75%は、中等度の虚血リスクに分類されます。ただし、安定期から急に症状が悪化した点、糖尿病の既往歴、そして血圧変動の増加を踏まえると、進行性の狭心症も考慮する必要があります』
「うん、まさにそれを気にしていた。で、バイパスの適応については?」
「現時点でのバイパス術の適応は、SYNTAXスコアが15-22の範囲である場合、PCI(経皮的冠動脈インターベンション)とCABG(冠動脈バイパス術)は同等の選択肢となります。ただし、この患者の場合、糖尿病の合併症による血管内皮機能の低下が懸念されるため、CABGのほうが長期予後の点で優位である可能性が高いです。特にLIMA(左内胸動脈)をLADにバイパスする戦略が最も有効と考えられます」
「……なるほど。確かにLIMA-LADバイパスは王道の手術プランだね。ちなみに、もしこの患者の腎機能が少し低下していた場合、何か考慮するべき点はあるかな?」
「eGFR(推算糸球体濾過量)が60未満である場合、造影剤の使用による腎機能のさらなる低下が懸念されます。PCIの選択肢として、造影剤の使用量を抑えたIVUS(血管内超音波)ガイドのアプローチが可能ですが、CABGを行う場合は、術後の腎不全リスクを低減するため、補液管理と術後血行動態のモニタリングを厳密に行う必要があります」
「……参ったな。ここまで一瞬で返してくるとは。美咲ちゃん、君たちはとんでもないものを作ったね」
「嬉しいお言葉です。川野辺教授クラスが驚くレベルであれば、どこに出しても恥ずかしくない娘だと自負しちゃいます」
美咲は嬉しそうな笑顔で言った。




