第16話 第3章 連動 第1節 生涯をかけるんだから、やってみなくちゃわからないのは同じなのにね
美咲は実家のある片瀬江ノ島から、新宿信濃町まで1時間半以上の通勤電車に揺られていた。
――私は6年間の大学医学部を卒業し、医師国家試験にも合格し、そのまま応慶大学付属病院で研修医となった。悠太君も第一希望通りに、エリシオン社で働いている。研修医というとまだ医者ではないと勘違いされることもあるが、もう国家資格持ちの医者だ。大学5年生と6年生のときの「臨床実習生」はまだ「仮免許状態」なので医者ではないのだが、研修医はもう医者だ。
では、「研修」ってなに?という話になるが、歯科以外は、耳鼻咽喉科、産婦人科、脳外科、全部同じ医師免許だ。人間の身体はとても複雑であり、痛みや命に直結している医業の場合、ある程度の専門性を問われてしかるべきと言える。
フランスの三ツ星レストランで20年修業を積んできたシェフに寿司を握って欲しいと頼んでも、なかなか難しいと言えるのと同じだ。
そこで、自分の能力的な適性、性格的な向き不向き、さらには病院内での人間関係やキャリアの戦略といった要素を考慮しながら、どの分野に進むべきかを探る。この期間を研修と呼ぶ。
研修医としてだいたい2年間、複数の科目を回り、自分が極めたい道を見つけたら、その後は「専攻医」として一つの科目に専念する。そこでさらに経験を積み、勉強を重ねて資格を取得すれば「専門医」となれる。
まずは2年間、この応慶大学附属病院で色々見て修行する期間だ。アリシアの力も借りて。
ところが、アリシアの力を借りるには一つ問題があった。応慶大学の患者データを、私が勝手にアリシアに保存するわけにはいかない。個人情報保護の時代だし、勝手にそんなことをしたら即アウトだ。このことを悠太君に相談したら、さすが私の悠太君。もう、ホント、ね、最高のアイディアを出してくれた。大好き。
「美咲ちゃんが記録するのは、個人を識別できる情報じゃなくて、ただのパラメータだよ。例えば年齢は数字じゃなくて、『D』みたいなコードにする。0~5歳はA、6~9歳はAA、30代ならDって具合にね。さらに性別もコード化して、例えば美咲ちゃんなら女性の30歳だから最高血圧が120ならば『FD120』みたいに表現すればいい。僕なら男性の28歳だから『MCC116』になるのかな。
今回の目的は、患者さんへの口頭アドバイスなんだから、アリシアにデータを追加する必要はゼロに近いはずなんだ。すでに持っているデータのアウトプットだからね。アリシアはすでに膨大な医療データを学習している。データ総量も100テラ超えなんだ。いくつかのアカウントで、別々のデータとして保管しているけれど、クラウドから追い出される日が来るかもって心配してるくらい。
だから患者データを、データ抽出用の単なるパラメータとしてアリシアに入力するのは問題ないと思う。さらに、質問内容も解析結果も、データはその場で提示して、5分以内に消去する設定にすれば、個人情報を保護しながらアリシアを使えるはずだ。
これで応慶大学の美人先生を助けられるアリシアになれるよ。どう?」
当然私はこんなアリシア経由のメッセージを読んだものだから、次の日はゴリゴリでゴリゴリに時間を作って、夕方悠太君の家に行った。合鍵の隠し場所と暗証番号を聞いていたから、先にシャワーも浴びた。私らしく、夕飯の準備に高島屋の地下で美味しそうなものを見繕って買ってきた。もちろんお父さんの分も。あんな女子力高過ぎ男子2人を相手に何か作る勇気は、今はまだ持ち合わせていない。いつかはやってみるつもりだけど。
私が一人で悠太君のベッドに潜って、深呼吸をたくさんしていると悠太君が帰ってきた。私は澄まし顔で食事を買ってきたことと、お父さんの帰りの予定を聞いた。
悠太君は相変わらずどうしようもなくカワイイ顔で、ありがとうって言ってから、お父さんは多分1時間後位には戻ると思うと言った。
私は澄まし顔をやめ、デレデレ顔でキスをした。そのまま悠太君の手をつかんで、悠太君の部屋のベッドに押し倒した。もう大急ぎで……ね。お父さんが帰ってくる前に。ね。
ね。