第101話 第12章 春雷 第3節 平穏と引き換えに役目が終わった日
WHOが配布した『プロテオブロック』の効果は絶大で、一部の新薬服用拒否者の死亡例は報告されたが、世界全体としてみた時に、感染者及び死亡者は確実に減少していった。
半年後には各国でのプロテオブロックの服用率は90%を超え、新規感染者は急減し、致死率も大幅に下がっていた。
世界において入国制限が緩和されており、日本でも入国時隔離は3日間に引き下げられていた。
この段階で沖縄の感染地域指定が段階的緩和に入り、沖縄本島民が本島外に出るときには、PCR検査の陰性証明があれば島から出る事が許された。島民に支給されていた7万円は、6か月後に打ち切りが発表された。「普通」の生活が戻ってくる。
美咲は自分が「パンデミック調整官」という仕事において、これ以上できる事は無いと判断し、厚生労働省の医療情報連携室時田室長に相談を持ち掛けた。
時田室長は新たな変異などの心配から、あと1年は残留してほしいと言ったが、自分が役に立てたのは「突然」に対応する必要があったためであり、今では他の専門家の方が確実に有用であると返し、自分の意思を通した。時田室長も最終的にはそれを受け入れ退任となった。
即日応慶大学病院に戻ることも考えたが、翔子が幼稚園入園までもまだ間があることを考え無職を選んだ。もちろん応慶大学医院長に『少し休みたい』と話を通したうえでだが。
結果的にアリシアは、医療AIの専門性を超え、各省庁間をつなぐプラットフォームとして、その立ち位置を確実なものにしていた。あらゆる専門性を有する、大変ユニークな存在となっていた。
MORSウイルス感染拡大により、全省庁の職員がアリシアにログインするという、一時的なユーザー数の拡大から、このユーザー数での運用を恒久的なものにするために、悠太も在宅勤務から現場に出て動くことが増えていた。
幼稚園へ通い始めた翔子は、毎日楽しそうにしていた。まさに「おませさん」である。見た目は美咲に大変良く似ていた為「ミニ美咲」と言えたが、実際の翔子は美咲と違い、多くの友人を持ち、人の世話をするなどを率先的に行っている。そこは悠太のDNAが強く効いているように美咲は感じていた。
翔子の幼稚園が終わる時間が14時であったため、美咲は実家の黒田病院に午前中だけの非常勤として勤務した。直接患者とかかわる時間が少ない放射線診断医は、午前中だけの勤務と、午後の自宅での勤務でも、十分に役立つことができた。
さらに時間が経過し、沖縄の感染指定地域も完全に解除され、しばらくの間、日本人や海外からの観光客がごった返していた。
北海道特区のRNAワクチンや、マスクなどの医療品を生産している国営工場については、アリシアが設計した、WHOが呼ぶところの『万能ウイルス無効化薬』が世界に流通して以降も、のちに設計されたデルタ株対応ワクチンをフル稼働で生産していたが、生産量を引き下げていき、今後アリシアと連携しゲノム解析や、抗ウイルス薬、診断ツールの開発を行う「パンデミック対応研究拠点」となる事が決まった。
国立感染症研究所の小曲博士は、本来業務である小曲所長に戻り業務をこなしていた。国立感染症研究所RNAワクチン設計部は、抗ウイルス薬設計部と名前を変更し、北海道のパンデミック対応研究拠点と連携を取りながら、設計特化部署として存在していくこととなった。東京大学医学研究所から出向してきていた、安堂助教授が部長となった。
その後、北海道パンデミック対応研究拠点は「国家戦略医療バイオ防衛施設」として恒久化され、政府は厚生労働省の配下に『感染症対策庁』の設立を検討し始めた。
今回のMORSウイルスの影響により、世界人口は22億人が死亡し、世界人口の3割弱が亡くなった。この影響は産業やロジスティックスに大きな傷跡を残し、これらの回復にはまだ数十年の時間が必要であるというのが、経済学者などの考えとなっている。
それから月日は流れ、翔子はついに小学一年生となった。
美咲は相当悩んだが、悠太と話し合いを重ね、丁寧に翔子にも情報を伝え、3人が選んだのは公立小学校だった。
美咲は応慶を気に入っていたし、できれば幼児舎から応慶を選ぶことで、安定した毎日を送って欲しいとも考えていた。だが美咲はMORSウイルス感染拡大を経験し、自分があまりにも特化専門型の人間であることを認識した。
それを間違えているとは考えていないが、唯一の正解だとも考えていない。だから3人で話し合った。
最終的には、翔子の「わたしのことだもの。どこだってもんだいないわよ。ただたくさんのひとに、たくさんのことをおしえてもらうのは、すばらしいことだわ。いしゃをべんきょうするのは、だいがくせいからでじゅうぶんでしょ」という、幼稚園児とは思えない将来設計を見越した、小学校時代の過ごし方の提示があったので、多くの価値観に触れあえる公立を選んだ。