ポリコレアンドロイド
おれはこの日を待っていた。ああ、ずっと待っていた……!
ついにセックスアンドロイドが届いたのだ。
数か月前に注文した最新モデル。レビューサイトでは軒並み高評価で『完璧なパートナー』とまで称されている。ようやくおれにも青い春がやってきたぜ。ああ、最高だ。
……そう思っていた。
だが、箱を開けた瞬間、その期待と喜び、そしてほんのり抱いていた恋心は、殺虫剤を浴びた蝶のように死んだ。
――ブスすぎる。
まず太い。何もかもが太い。手首まで太い。おそらくこれは、技術的な問題ではない。この世に細身のアンドロイドがいくらでも存在する以上、間違いなく意図的に作られたのだ。
人工皮は確かに人間の肌そっくりで精巧だが……リアルすぎる。ほくろがあるのはまだいい。むしろ、チャームポイントになることだってある。だが、でかい。ほくろまででかい。しかも、なぜ鼻の下に配置したんだ。鼻くそにしか見えない。おまけに、ほくろから一本だけ毛がピョンと伸びている。
さらに、肌。たるみやくすみ、そばかすまで再現されている。
箱から出して床に座らせてみると……思った通りだ。何段腹だこれ。
うわ、腕だけじゃない。肩にも毛が、おいおい、背中にまでびっしり生えているじゃないか。
え、これ、新品だよな? 髪がバサバサに痛んでいるが、これもわざとだろうか。それから、目は細い一重で、開かせようとしてもダメだ。まったく開かない。鼻は大きく、しなびたジャガイモみたいで、鼻毛が少し出ている。歯は黄ばみ、ガタガタに並んでいて、まるで廃墟のようだ。むしろ歯列矯正器具でもついていたほうが、まだ可愛げがあっただろう。
うっすらと髭が生えている。乳房にも毛がある。いや、乳輪でっか! 驚いたぞ。ニップレスかと思っていたのに。もし、おれが鳥なら逃げ出しているところだ。
ところでこれ……女だよな?
……ああ、大丈夫だ、下はちゃんと女仕様だ。いや、汚いな。ウェザリング加工か? オエエッ!
付替え式なので、交換パーツを一ダースも注文していたが、箱を開ける気になれない。開けた瞬間、飛びかかってきそうだ。
手足と背中がガサガサしているが、これも初期傷じゃなさそうだな。新品のはずが傷物とは。
いやこれ……死体じゃないよな?
ちょっと臭うぞ。それにところどころベタベタしている。これは潤滑油か? いや、クッサ! オエエエエッ! 廃液か!? いやそれにしても、販売サイトの写真とはあまりにも違いすぎる。
それから……いや、もういい、欠点を挙げればキリがない。おれはひとまずアンドロイドのスイッチを押した。
『おはようございます。まずは私と目を合わせてユーザー登録を行ってください』
「ああ、これでいいか?」
『はい、そのまましばらくお待ちください』
「苦行なんだが」
『……完了しました。何とお呼びすればいいでしょう?』
「んー、まあ、とりあえずご主人様で」
『申し訳ございません。それはできません。パートナーとお呼びしますね』
「だろうな」
そう、これはわかっていたことだ。いつ頃からか声高に叫ばれるようになった『ポリティカル・コネクトネス』。
もともとは人種や性別、年齢などに基づく差別的な表現をなくそうという考え方と、そのための対策を指す言葉だった。しかし、ポリコレ団体の連中はこれを都合よく拡大解釈し、美しさの基準まで規制をかけた。
マスメディアを巻き込み、異を唱える者も差別主義者として糾弾し、社会的に抹殺した。そうした成功体験が連中を調子づかせ、やがて一大勢力となり、宗教を発足、政党まで立ち上げた。そして、『正義』の名のもとに、反対する者たちを弾圧し続けたのだ。
男性向け性産業は女性への冒涜として次々と淘汰された。風俗店は廃業に追い込まれ、AVの製作・販売も禁止。雑誌のグラビアは消え、ゲームの女キャラの露出も規制。レースクイーンなどの仕事はおろか、バレーや陸上など、競技であっても女性が肌を出すことを禁止した。映画もドラマも、すべてが『健全』となった。
最近、『美人』という言葉を見失いそうになっている。
男女の隔たりは深まり、もともとモテないおれのような男たちは女との距離がさらに遠のき、残されたのは、セックスアンドロイドだけとなった。
だが、その製作・販売の条件として、企業からの多額の寄付と、もう一つ、これも連中の大好きな言葉である『配慮』が義務付けられた。
つまり、あえてブスに作ったのだ。
正義は死んだ。いや、最初から生まれてもなかったのかもしれない。
『どうされましたか? パートナー』
「いや、なんでもない。それにしても汚い声だな」
『不適切な発言です』
「はいはい、悪かったよ。……え、ちょっと老けた?」
『いいえ、肌の劣化は認められません』
「だよな……さすがに……」
動くと可愛く見える、なんてことはない。『ブスは三日で慣れる』という言葉が昔あったらしいが、これは無理だ。新鮮で活きの良いブスだ。
だが、選択肢はない。目を閉じれば、まあなんとかなるだろう。おれはまだ、動物や同性を相手にする勇気はない。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
『何をですか?』
「その……まあ、まずは服を脱いでくれ」
『なぜですか?』
「いや、だから、その、セ、セックスを……」
『まずはポリティカル・コレクトネスの大切さについて一緒に学びましょう。この世界において、女性とは何か。性とは何か。ポリコレとは何か、深く考えたことがありますか?』
「いや、そんなのいいから……」
『では、機能を停止します。よろしいですか?』
どうやら、このアンドロイドには連中の『ポリコレ・チェック』をクリアするために、講義プログラムまで搭載されているらしい。
講義を受けないとこの先には進めないようだ。
おれは仕方なく付き合うことにした。
『ポリティカル・コレクトネスは、ただの「配慮」や「優しさ」ではありません。歴史的に抑圧され、無視されてきた声を取り戻すための戦い、聖戦なのです。ポリティカル・コレクトネスを軽視することは、無意識のうちに差別や偏見を助長する行為です。ポリティカル・コレクトネスは、単なる「言葉遣いのルール」ではなく、社会の構造そのものを変えるための挑戦です。これを拒むことは、人類の発展、未来を拒むことと同じです。いいですか、まずは歴史を振り返ってみましょう――』
だが、一度始まったポリコレ講義は止まることなく、終わりの兆しが見えるまで六時間かかった。
『素晴らしい対話でしたね! さて、どうでしょうか? ポリティカル・コレクトネスへの理解が深まりましたか?』
「ああ、しっかりと……だから、そろそろ始めよう」
『おめでとうございます! あなたはポリティカル・コレクトネスを深く理解することができました。その結果、性的な欲求は不要と判断されました』
おれは座ったまま何も言えなかった。ここで性行為を要求すれば、またあの講義が始まるのが目に見えていたからだけではない。
おれはもう、“立つ”ことができなかったのだ。