大聖女の役割
朝、ハミガキをしていると、リツキが後ろから抱きついてきた。
「うわっ」
「今日分の神聖力~」
日本にいた時とは違い、身体が大きいので犬みたいだ。
抱きつく以外はしないので、そういうクセの子だと思えば納得してしまう。
だけど、リツキは異性として好きなんだよね……。
「……やっぱりさ。こういうのやめよう」
「でも、今日からミューは瞬間移動だから必要でしょ」
それはそうなんだけど。
すごくややこしい状況だ。
「枯渇すると倒れちゃうんでしょ?」
それもそうなんだけど。
だけど、このままじゃエスカレートする気がするし、よくない気がする……。
気分的には女の子と感覚が似てる。嫌じゃないけど、普通みたいな。
だけど、姉としては良くないと思う。
「なんでミューは黙ってるの?」
話しかけられて、我に返る。
腕から抜け出して口をゆすいだ。
「ハミガキしてたから」
だけど自分が神聖力がいる自分の環境と、行動が優しさからだと思えば、なにも言えなかった。
昼間。
アンリの家に行って、勉強をする。
瞬間移動をしたので時間に余裕があって良かった。
「今日も弟と抱き合ってきた?」
アンリに話しかけられて、コントロールして動かしていた服がバサバサと床に落ちる。
もう少しで畳んだ衣類を動かすテストが成功しそうだったのに、やめてほしい。
「え、なに?」
「聞こえてるくせに」
悪びれもしない言葉に、ため息をつく。
鑑定をかけられていて、神聖力をチェックされているのだろう。
「今日は歯磨き中に抱きつかれただけだよ」
「それだけでこんなに……やっぱり大聖女なのかな」
深刻そうな顔をしていた。
本当は大聖女だけど、大きな意味があるんだろうか。
「私が大聖女だとしたら?」
隠しながら、探りを入れてみる。
別にアンリには話してもいい気がしてるけど、なんとなく言いたくなかった。
彼女はこちらを見ると、小さくため息をつく。
「気をつけないと魔王の嫁にさせられる」
「……え?」
どういうこと?
「ちょっと意味がわからないんだけど」
混乱気味に聞くと、アンリは立ち上がって本棚から一冊本を取り出す。
本を開くと、地図がのっていた。
「この国と、魔王が管理する魔族領は共存関係にある」
「魔王が上手く統治しているから、うちの国は生かされているといっていい」
地図には、自分がいる国と、倍近くある魔族領が載っていた。
「魔王は、常に自分の闇に囚われないように、神聖力を喰うことで正常でいられるんだ」
「大聖女の巨大な神聖力は、魔王に喰わせるために巨大だから、嫁ぐ義務がある」
本を見ながら、つらつらとアンリは説明をしてくれる。
地図や絵を見ながら、血の気が引いていくのが分かった。
「義務って……人間は、誰かのために存在しているわけじゃないのに」
「巨大な力を持てば、なにかしら義務はつきものだから」
そうなのだろうか。
じゃあ、私の意思はどうなるの?
「いわば、この国は魔王にとっては植民地みたいなものかもしれない」
「ドロテアは魔王の嫁になりたいから、他の一級聖女を殺したんだし、そこまで悪い話でもない」
一言も返事をしない私を気遣って、アンリが本を閉じた。
ドロテアが嫁になりたくても、私は嫌だ。
知らない人間と義務で結婚するくらいなら、まだ……。
(……まだ、何?)
考えていけない気がして、頭を振る。
消去法で考えるのは相手に対して誠実じゃないし、それは見たことがない相手に対しても同じだ。
「ドロテアが結婚したいくらい、魔王の嫁になるといいことがあるの?」
気を取り直して質問する。
アンリはウーンと首をひねった。
「魔王は金があって権力もあって顔もいいらしい。この国の皇族は顔が良くないから」
「もっとこう……大事なものがあるでしょ」
「何を人生で大事にするかは人によって違う」
「そんなものなのかな」
じゃあ、魔王はドロテアに譲るよ。
ズンと頭が重くなる感覚があった。
昔なら、政略結婚とかは当たり前のことだったらしいし、個人の意思なんてこの国でも不要なのかもしれない。
そんな現実は嫌だけど、この世界にやってきたばかりの一個人が逃げられるとも思えなかった。
「私が大聖女だったら、どちらにしても選択肢が少ないね」
四級聖女として生きるには、好きな相手とは誰とも接触できない。
大聖女として生きるなら、相当頑張らないと魔王の嫁にさせられる。
「そうだね。国としては聖女を魔王との取引に使うから、神聖力が高い聖女を差し出さなければならないし」
「……そっか」
いずれにしろ、リツキは選択肢にないってことか。
気持ちが、なぜか落ち込む。
絶望したような顔をするのかなとか、差し出されたら二度と会えないんだろうなとか。
リツキとゆくゆくは付き合いたいとかは思っていない。
別に恋愛感情とかじゃないだろうけど、可能性がないと突きつけるのはキツイと思ってしまった。
「つらい?」
アンリが顔を覗きこんでくる。
「選択肢がないのは辛いよね」
「わたしは、ミユに聞かないし、人には言わない。できるだけ隠す」
「……ありがとう」
アンリの言葉の意味を、分からないわけがない。
(負担をかけてるな)
暗い気分になりながら、午前中の授業を終える。
自分の意思にかかわらず、時間は過ぎていくし物事は動いていくものなのかもしれない。
それが辛かった。
午後になると同時に、下着が届いた。
お店の人をさんを室内に連れてくると、アンリは外に出ていってしまった。
「見たことがない商品でしたので、胸が高鳴って数パターン作ってしまいました!」
ドンとテーブルに出された商品は、おしゃれで既製品のものより豪華だった。
やっぱり、大切なものはプロに頼むべきなんだなと思ってしまう。
「では、つけてみてください」
「はい」
ひとつ手に取り、つけてみる。
ふちに手編みのレースがつけられていて可愛いし、縫い目もきれいだ。
自分が作ったものとは雲泥の差だった。
(なんて気分が上がる! かわいい!!)
既製品とは少し付け心地は違ったけど、まったく問題がないどころか、こちらのほうがフィットしている。
「いい感じです!」
「よかったです。私も付け心地が気になってサンプルとして作ってみたんですが、すごく良かったです」
「ですよね! 気に入っていただけて良かったです」
「あの。アンリ様にも後で確認しますが、うちの商品として作りたいのですが……」
ええ! ブラ流通するの?
でも、それならこっちに安く欲しいな! オーダーメイドは高いし。
「あ、こっちに安くしてくれるならいいですよ!」
「いえ。お金は……無料でプレゼントします」
「わー! 本当ですか! やった」
苦労せず! ブラが手に入るルートができた!!
午前中の衝撃的な話を忘れて、思わずはしゃいでしまった。
正直、魔王とかそのへんの話は、現実だと思えなかった。
思えなさすぎて、信じてもいなければ、ただの空想上の話にも思えた。
そう思わなければ、この世界に来た私の人生は、いったいなんだというのだろうと思ってしまう。
人生のレールが整備された異世界転生なんておかしい。
だけど、その思考の片隅で、元の世界だってレールが整備された人もいただろうと思う。
考えていると、嫌な考えに取り込まれそうになり、考えることをやめた。