本当の制限に気付いた時、幸せの道が見えた。
私は、何も持っていなかった。
思い出すのは小学生の夏の日。
母の恋人だった男が、私に手を出そうとしていた時のことだった。
母が帰ってきて、怒って男と出ていった。
助けられたと思った。
だけど。
その日から母は帰ってこなかった。
近所の人には言うと怒られるから何も話すなと言われていたから、何も聞けなかった。
料理は作っていたから、食べることには困らなかった。
火が使えなくなった頃、食材がなくなって。
やっと自分が捨てられたのだと気付いた頃、父がやってきた。
見た目はちゃんとしていたはずなのに父は泣いていて、私は恥ずかしい見た目なのかなと思ったことを覚えている。
父に連れていかれたのは一軒家。
そこには優しい女の人と男の子がいて、家族だと紹介された。
それからはずっと幸せで。
家族っていいなと思った。料理すると喜んでもらえるし、失敗しても怒られない。
リツキはちょっとスキンシップが多いけど、困っているとなんでも助けてくれる。
夢は喫茶店だった。男女は上手くいかなかったら離れてしまうけど、お客さんは気に入ったらいてくれる。
いなくなっても当たり前の存在なら傷つかない。
流行のゲームも友達と楽しんだり、少し恋愛の気分を味わうのにはちょうど良かった。
高校の頃、元の母が死んだ。
私を置いて出ていった男とはすぐに別れたとは聞いていたけど、それからも色んな男の家を転々としていたらしい。
祖母に連れていかれた葬式で、久しぶりに母の顔を見て年齢のわりに汚いなと思った。
すぐに男に溺れて、快楽に溺れる癖に浮気性。最後も男に振られて自暴自棄になったらしい。
祖母は、母がいやしいから死んだのだと言った。
辞書で調べてみたら、欲望をあらわにしていて下品みたいな意味だった。
確かにそうだと思ったが、自分の身体に流れる血の半分がそうだと思うとゾッとしてしまった。
だけど、結局は。
私だって与えられたら単純に嬉しくなって、簡単に与えてしまって。
母みたいに、与えすぎてすぐに捨てられると分かっているのに。
二人とたくさん抱き合ってる時は、そういう対象でしかない、汚いと思ってしまうのに。
愛とか好きとか結局体なんだなと思いながら、喜んでいる自分を受け入れながら嫌悪した。
最初からずっとそう。
楽しいはずのことが、結果的にシンと冷めた頭になることも多かった。
初めての時も二人ともなんて嬉しくなんてなかったけど、うまく断れる言葉も思い浮かばなくて、いつか受け入れるしかないなら今だなと思って諦めた。
だって私は、大聖女だから。
大聖女なんて立派な肩書があったとしても、誰かに略取され愛されないと存在価値すらない道具なら、好きな相手に捨てられないように要望を聞くのが国のため。
気持ち悪い大聖女という存在に、最初から人権なんてない。
けれども好きとか愛してるという言葉に単純に喜んでしまう安易な喜びに、本音をいつも隠すことができた。
唯一無二だと思っていた関係も、ただの男女に堕ちて。
新緑の葉が落ちて、茶色く汚れていく様に思えた。
姿が変わった体は怖かったし、ああ、弟と思って大切にしてたけど、こういうことがしたかっただけなんだなと理解する。
だけど、それでも大切で捨てられない。
二人は犠牲者だけど、離れなかった。
二人なら、私なんかじゃなくても誰でも選べるのに。
だから、ようやく自分と相手の愛情に気付いて結婚したのに。
結局もう一人、犠牲者を生み出すなんて。
あーあ。
私は、結局 そういう人間。
頑張ってたのに。
認められたかったから、みんなを幸せにすれば、自分も幸せになれるって思ったのに。
大事な人の犠牲の上で成り立つ幸せって、一番悪いのに。
私は、人を愛していないのかもしれない。
どうせ私は捨てられる。母の様に。
相手を一人だけ選べない食べ飽きた大聖女なんて、母の様に捨てられて朽ちる。
分かっていたのに、ひとりになるのが寂しくて、相手の寂しさも見捨てられず、一番なりたくなかった人間になってしまった。
だけどひとりは寂しくて辛いのは苦しいくらい分かるから、求められると好きな分だけ手を離せない。
だって、あの夏の日。
家族が居なかったら私は死んでいたから。
人一人が苦しんで死んでも、世界は何も変わらない。
他人は誰も救ってくれない。他人なのだから当たり前だけど。
お父さんだって、私を救ってくれたのは、家族だったからだ。
だから。
私は私が好きだと思う人は拒絶できない。
家族じゃなくても、私は助けてあげられるから。
これが世間一般で言う愛じゃなくても。
いつか壊れる砂の城でも。
ひと時でも手を繋いで、幸せに生きてほしいと願ってしまった。
フッと目を覚ます。
「あ、聖女様。起きましたか? お水ですよ」
声をかけられてまわりを見ると、私の部屋で、ジュディがいた。
(なにしてたっけ)
考えて、飲み会で酷くみっともないことを話したことを思い出す。
「ごめん……なんか、みっともないこと言ったよね」
「いいんですよ。本心なんて、話さないと分からないんですから。今ね、ゾーイさんが怒って坊ちゃんと弟さんと話してます」
「えっと……なんで?」
「最初から人としてじゃなくて聖女様に身体を求める回数が多すぎたんだって、まぁ本当に酷い怒り方でした」
「え……アンリは本当に自分からは進まなかったし、リツキも我慢してたよ」
「でも、欲求に応えていたのには変わりないですからね。生理の時のふれあいは、なくなりましたけど。二人共お若いですから、やっぱり」
でも、それは夫婦だから普通じゃない?
回数とかは……だってそれは、私がきちんとしてないからいけないわけで。
「あれは大聖女の役割もあって……それに私が言ったら少し減ったからいいのに。誤解で喧嘩になっちゃう。行かなきゃ」
慌ててベッドから降りようとする。
「だめです。いけません。聖女様も変わりましょう。ええと、そうですね。恋や人を愛することを罪だと思う必要はないし、人の愛情をもっと信じてください」
止められて、意味が分からなくてジッとジュディの顔を見る。
「えっと、不幸にしてるなとは思ってるけど、罪だと思ってないけど」
「もうぅ、難しいですね。なんでこんなに愛情深いのに何も分からないんですか」
なんの話だろうと思ったけど、私が話した内容があまりに病んでたから、きっと心配したのかもしれない。
あんなこと言うつもりなかったのに、お酒って怖い。
ゾーイが怒るなんて考えていなかった。誤解だから仲直りさせないと。
とりあえず靴を履いていると、フッと目の前に足が現れた。
「ミュー……」
「リツキ?」
顔を上げると、三人ともいた。
アンリがリツキを止めていて、ゾーイは心配そうにこっちを見ている。
「ミユ、具合はどう?」
「あの、ごめんなさい。お酒の失敗と言いますか……別にそういうことが嫌とか言ってない気がするけど、そう伝わったのかもだけど、二人共ぜんぜん大事にしてくれてて、ただちょっと胸の奥の不安とかがね、間違って出ちゃったっていうか。だから気にしないでほしいし……えっと」
三人も出てきちゃったので慌てて色々言ってから、言い訳みたいになったと口を閉じる。
アンリは、ニコッと笑って私の隣に腰を下ろした。
「ゾーイに言われて、色々話しあったんだけど、デートしたり、寝る時以外は小さい家で一緒にいようかって話になったけど、どう思う?」
「デートは嬉しいけど、小さい家?」
突然の提案にビックリしてしまう。
「ミユが小さい家を借りたいって言ってたろ。家族みたいに過ごす家って。ベッドは置けないけど、しばらく住んじゃおうって話」
「いいの? 週末以外も?」
「ミューは寂しかったんだよな。前の家の時はリビングとか適当に座れるとこがあって、みんないたし」
リツキがアンリとは反対側に腰を下ろした。
どうなるんだろうと思っていたけど、怒ってはいなかったのでホッとする。
「うん。前の家の方が楽しかった。ここも嫌じゃないけど、広すぎる。でもジュディと会えるのがいい」
「聖女様。寝るところはこっちなので、毎朝お会いできますよ」
私達から少し離れた場所でジュディが笑っていた。
「いいのかな。なんかゾーイが怒ってたって聞いたから、酷いことになるって思ったのに」
「僕らのことをなんだと思ってるんだ。確かに付き合ってからは合わせてもらってたし、ミユと僕らは性別が違うぶん考え方も違うから言われないと分からないことも多いけど、酷いことなんていうはずないだろ」
「そういう意味じゃなくて、ゾーイが怒って二人と喧嘩になったり、極端なことになったらどうしようって……」
価値観が合わないから別れようって言われたら、私は受け入れるしかない。
それも怖かったけど、口には出せなかった。
「喧嘩なんてしないよ。話を聞いていてユキは自分の価値を体なんだと思ってて、だけどそういうのがなくても傍にいてくれる人が欲しいんだ思ったから、そう話した」
「ちょっとね。俺は流石にショックだし、ミューがそう思ってるのは可哀想だし嫌だから、信用されるように一緒に寝るだけにする」
「僕も。身体を重ねることも大事だと思ってるけど、こっちと張り合う気持ちもあったから悪かったなって。ジュディが女は身体も必要だけど心のおまけだし、ミユは合わせようとしすぎるって言ってたから、何もしない期間があまりなかったなって反省した」
話を聞きながら、そんなことをしたら要らない存在にならないのかなと思う。
別に一日中するのが好きって人もいるだろうし、今までも我慢させてたのに、こんなことで気持ちが離れたら嫌なんだけど……。
「ぜんぜんないのは……どうなんだろう。気持ちが離れたら嫌だし、ゾーイもそういうのなかったら気持ちが元に戻っちゃうよ」
「自分としていいってこと? それは嬉しいから、なんかどっかにキスしてくれたら、聞きながらしたいだけ対応するよ」
「気持ちが離れるなんてことはないけど、僕もミユがしたい時は手とかでいいからキスして意思表示して」
「俺もそれがいい。ほんとにさぁ、信じてほしいけど、確かにミューと恋人になりたかったし、そのせいで女の子に雑な扱いしたけど、違うから! ミューって存在がいいんであって、体のために八年も九年も追ってないんだよ!! 信じてほしい。墓に入るから!」
「僕も墓に入る。というか僕の墓にみんな入っていいよ。僕の隣はミユだけど、近くにいる分にはね」
不安だけど、大丈夫だと信じて三人の判断に委ねようと思う。
ゾーイが私の目の前に腰を下ろした。
「自分の墓はどこでもいいけどユキについてくね」
ニコッと笑ったので、思わず前のめりになって、その頭を抱えた。
「わぁ」
「うまく話してくれてありがとう」
頭を抱えたまま、前につんのめる。
身体が一瞬、ふわっと浮いて二人で重なったまま緩やかに倒れた。
「ユキ……相手の着地とか、頭をぶつけるとか考えた方がいいよ」
「ごめんね」
「まぁ悪い気はしないけどね」
ゾーイが笑うと、身体が上に持ち上げられた。
リツキだった。私を抱えたまま笑う。
「さて、と。お前ら立て。ゾーイの家をさっさと片付けて住む準備をするぞ」
「え。まだ今日は風呂つけてもらって、すぐにユキのほうに来たから片付け終わってない」
「お風呂つけたんだ。ミユと入るお風呂はよかったから嬉しい。ここにもあるけど広いから」
アンリが思い出したようにへらっと笑い、ゾーイが嫌そうな顔をした。
「お風呂。三人で入ったこともあったけど、人と入ると面白いよね」
「えっ、俺も入った?」
「入ったよ。アカタイトの虫風呂」
二人はあぁ……と苦虫をかみつぶしたような顔をする。
あれはあれで衝撃の思い出だから面白かったけど、二人にとっては嫌な思い出みたいだ。
なんか、本当に怖いことになると思ったけど大丈夫そうで嬉しいことばっかりだ。
贅沢に思えるけど、甘えちゃっていいのかな。
先はどうなるか分からないけど、アンリとリツキだから、こんな私を許してくれるんだという事実が、ゆっくりと心に染み入る。
間違いなく二人じゃなかったら、私はきっと不幸になっていた。
人を思いやれる人間がごく少数なんだというのは、私だって分かっている。
私だって、私が言っていたようなことを配偶者が言っていたら失望する。
なのに、許してくれた。
そもそもどんな理由があっても、三人目を受け入れようだなんて普通は思えない。
だけどゾーイも、いなかったとしたら、たぶん本音を言えない私は現状維持を続けていたのだろう。
私は、三人に助けられている。
(私の考え方は、極端なんだと思う。普通の人がどう思って、どうやったらそう思えるかも分からないけど)
私を縛っている過去を、いつか昇華することができるのなら。
この人生に自信を持てるように、与えられた愛というものを返すことができるのだろうか。
「本当に、ごめんなさい。本当に、ありがとう」
自分の服をギュッと握りながら伝えると、三人は穏やかに笑う。
その顔があまりに穏やかだったので、何も言えずに揺らぐ視界の中、震える唇を結んで私も笑った。
良かったなと思ったら、ブクマや星などで応援していただけると嬉しいです!