人ではない生物と、苦しい恋の卒業。
次の日、仕事を終えてから魔王城に行く。
建国の書類にするサインがニシダで二人が不満な件を解消するためだ。
モーリスに聞いたら、神殿と魔王城どちらも更新する必要があるとのことで、両方とも変更する。
「本当にこのサインでいいって二人が了承したの?」
新しいサインを書いている私を見ながらドロテアは言った。
私の新しいサインは少しだけ特殊で、だけど私の全てを表していた。
「うん。二人が納得したから、これでいいって思ってる」
「それにしてもミユキ。あなたは長生きしないとダメよ。弟君は強力な盾になるけど、あなたがいなかったら脅威になるんだから」
「昨日、アンリもリツキは人じゃないみたいな感じに言ってたけど、ドロテアも同じように思うんだ」
「魔王も思ってるわよ。だから王位の打診の時に弟君の名前は出していないでしょ。あれは人の皮を被った人ではない者ね」
確かに、私との仲が不安定だった時に、生きているような動く膜を出したり、リツキは私がいないとおかしくなってしまう。
まわりで見ている人達が人ではないというのなら、人間ではないのかもしれない。
だけど私にとっては可愛い弟だ。
「私もこの世界にくる前の親のこととか死んだのに悲しめないし、前と色々違うだろうし……もしかしたら私みたいに違う世界から来る人は、人ではないのかもしれないね」
「確かに。身体が違うなら人の腹から産まれているわけじゃないものね」
「でもね。たぶん、このままずっと平和に生きていけば、きっとリツキだってみんなに興味を持つし大切にするようになるよ。動物みたいなものでさ」
「お気楽ねぇ」
「別に攻撃力が高いだけで、リツキは優しいし人を殺したりしないよ。私が言った時は殺しちゃうけど、普段は大人しいもん」
人間だってどうでもいいことで暴力的になったり、人を傷つけたりする人がいる。
そう思うとリツキは普通に常識的だし、アンリが暴言をいっても怒らないし優しい。
人と人ではない者の違いなんてないと思ってしまった。
ドロテアに書類を渡して、家に帰る。
家にはリツキが帰ってきていた。
「ミュー! 食事作り途中だよ」
「今日はリツキが作ってくれるの?」
「米っぽいのがあったから! 炊き方聞いたから鍋で炊いてる」
「えぇ! お米?」
ずっと食べたかったけど、見つかったなんて。
似たようなものはいつか食べられるかもしれないと思っていたけど、今日とは思わなかった。
「ねぇ、ミュー。お願いがあるんだけど」
「いいよ。なに?」
「俺を前の姿に変身させてくれない?」
リツキの言葉に、思わず止まる。
「日本にいた頃のリツキ?」
「うん。俺ら、三日後には建国の儀式だから、今日がこういうことできる最後だし。俺もミューも、昔から卒業したほうがいいなって」
「卒業したら、二度と元のリツキにはならないの?」
「うん。昔の記憶って薄くなってきてるだろ。だから元の姿になったとしてもコスプレだし。今日が最後」
「また気持ちが戻っちゃったらどうするの? 慣れるのもけっこう大変だったのに」
「ミューには悪いけど、もう一度今の俺に惚れてもらうしかない」
鍋でお米が炊ける音が聞こえる。
本当に大丈夫かなと思うと同時に心臓の鼓動を感じた。
「せっかく私からいちゃいちゃする日なのに、気持ちがごちゃごちゃになってできないかも」
「ごめん。でも卒業したい気持ちの方が強いんだ。大丈夫だよ。俺はずっとミューのことが好きなんだから」
卒業。もうしたつもりだったんだけどな。
心のけじめをつけておきたいってことなんだろうか。
私がゾーイを変身させた時に感情を動かし過ぎたせいで、不安にさせてしまったのかもしれない。
「わかった」
神聖力で、リツキの姿を昔の姿に変える。
記憶より鮮やかに目の前に現れて、言葉が出てこなかった。
「声は変わらな……本当に変わらないな?! あと服が大きい」
笑いながらベルトを締めている。
声は違うけど、ゾーイが変身した時よりリツキ本人だった。
リツキは鏡を見に行って、俺だと言って帰ってきた。
「あ、米が焦げる。あれ、ミューどうした?」
火を止めた後、止まってる私を見てリツキは顔を覗きこむ。
私はその顔を掴んで抱きしめた。
「な、ん」
リツキは戸惑い気味にそういって口を噤む。
もうお米が炊ける音はしなかった。
昔のリツキと今のリツキの背の差がすぐに分かってしまって、それが切ない。
「ミュー。おにぎりだけだと少ないから、他になに作ろう」
どうしたら私から解放されるか悩んだのか、自信なさげな声が聞こえた。
頭を解放してリツキを見る。
どうしても涙がにじみそうになってしまった。
「卵焼き作って、ベーコンも焼こう。リツキ好きでしょ?」
「うん」
見た目に踊らされるのはおかしいけど、昔みたいと思いながら料理を作る。
ベーコンの油も勿体ないから野菜もついでに炒めた。
リツキは塩むすびを作っている。
簡単なこの料理は、この世界に来る前によくリツキが作っていたメニューだった。
たぶん、私が疲れていて両親もいない時に作りやすくて食べやすかったんだと思う。
あの頃はベーコンではなくウインナーだったけど、この世界のウインナーは違うので、これが一番近かった。
二人でおにぎりと卵焼きとベーコンの炒め物で晩御飯を食べる。
「日本のお米よりちょっとパサパサしてるけど美味しいね!」
「うん。美味い。久々の米はいいな。ベーコンじゃないけどベーコンっぽい燻製肉も美味いね」
「出汁を早く手に入れたいね。お味噌汁が無理でもお吸い物が作れるし。親子丼とかも食べられる」
「そうだな~まぁ、そのうちなんとかなるだろ。海産物も売ってるし」
のんびり食べているリツキをジッと見る。
リツキがご飯を食べてるなぁと思ってしまった。
「そんなに見られてると食べにくい」
「ご、ごめん」
「今日、いちゃいちゃできそう?」
「ほんとに……その。するの? その姿で」
「するに決まってるじゃん。まぁもうミューで脱童貞してるんだけど」
「こっちは……あの。初めての気分すぎて、緊張する」
しかも弟って思ってた時の姿って、感情が追いつかない。
リツキは優し気な目でこちらを見てフッと笑った。
「じゃあこっちに任せて」
「う、ん」
もぐもぐと緊張しながら食事を二人で食べ終える。
心臓が変な感じでおにぎりは食べられたけど、おかずがお腹に入らなかった。
(なんか、これ死んじゃうんじゃないかな)
「じゃあミユキ」
手を差し出されて、一緒に二階に行く。
浄化をかけようとして手が震えていることに気付いて、うぅと思った。
「はじめての時より緊張してるかも」
「え~。じゃあ、今日が初めてってことにしよう」
「意味わかんない……」
靴を脱いでベッドに上がると、リツキも上がっていた。
斜め後ろから見るのも、横から見るのも懐かしいリツキの顔で、本当はもっと普通のことをしたかった。
ずっと変身して戻らないでほしかったけど、このリツキの顔は、もう年を取らないし今の本当のリツキでもない。
私が望めばそうしてくれるんだろうけど、そんな優しい心を手折ってまで過去にしがみつきたくはない。
(本当はこういうことするのって、未来があるからするはずなんだけど、元のリツキとはこれでお別れなんだ)
「ミユキ」
名前を呼ばれて、顔を上げると、リツキがこちらを見ていた。
近付いてくる懐かしい顔に思わず顔を引いたけど、逃げられるはずもなくてそのままキスをする。
この世界に来る前まで、したことなかったという気持ちと、いつものキスという感覚で混乱していた。
こういう関係になってはいけないと思う気持ちが、はじめて恋人のキスをした時よりも鮮明で苦しい。
この恋は、いつだって苦しい。
私は今日の夜をたぶん一生忘れられない。二度と手が届かないのに。
本当に好きだったのに、たぶんもう重ねて見ることすら許されない。
それが本当に恋かも、他の好きが混じっているのかも分からないくらいずっと一緒にいた。
「やっぱり泣いちゃうんだね」
リツキの声に、自分が泣いていることに気付く。
「だって、本当に好きだったのに、今日だけ……」
「ミユキが心から望むならずっとこのままいるよ」
切なげに微笑む顔を見ながら、小さく首を横に振る。
「……今のリツキも好きだから」
私の言葉に、リツキの顔が柔らかくほころんだ。
見た目が違っても、人じゃなかったとしても。ずっと一緒に生きていく。
だけど、それとは別に、今日だけしかいない元のリツキも私はすごく好きだった。
好きだったから、好きだったからこそ、触られたところがやけに鮮明に感じて声を抑える。
初めての身体に驚く余裕すらなく、快楽に流されて進んでしまう。
夜の闇に二人の声と音しかなくて。
(知らないようで、知ってる表情と、クセ)
自分から抱きしめてキスした時に感じた慣れた感覚に私の中の何かが崩れて、唐突に同じ人なんだなと理解できてしまった。
(もう、とっくにこういう関係になってしまっていた)
それは、悲しいわけでも辛いわけでもなく、水が入っていたコップが倒れて水が広がっていく感覚に近い。
私の心が、外見がどうでもリツキは一人だと理解してしまった。
そして、もう慣れるくらい身体を重ねていたことにも。
悲しいことなんかじゃなくて、ただ変化しただけ。
当たり前のことなのに、そう気付いた時に泣きそうなほど気が抜けてしまう。
やっと、過去と決別できる気がした。
朝起きると、隣に昨日と同じ元の姿のリツキが寝ていた。
(さようなら)
元の姿に戻すと、大きいいつもの姿がそこにある。
その姿が、今では愛しい。
(外見が変わってしまったことも、苦しかった気持ちも、すべて受け入れて抱きしめて生きていこう)
身体に寄り添って、浄化をかけると、そっとキスをする。
ニ、三回しているとボーっとしたまま目を開けた。
「……朝からどうした。おはよ」
「おはよう~」
「えっと……あ、元に戻ってる?」
身体を動かして、リツキが自分の手を見る。
「私、今のリツキと生きていくって決めてたから」
「そっか」
ニコリと笑って、そのまま抱きしめられる。
もう、こっちのリツキの方が安心するんだなと理解してから、私も抱きしめ返した。
アンリのような子どもがじゃれつくみたいな朝が、なぜかリツキにはできない。
だけど、それは私達に一緒に過ごしてきた歴史があるからだと思う。
二人の仲が安定した気がして、これはこれでまったりしていて楽しい。
私って贅沢ものだなと思いながら、リツキの手を齧る。
少し驚いた顔をしたあと、リツキは笑った。