麺
それから、走り出した電車の車内には長い長い閑散とした時間が訪れた。
車内へ新しい変化をもたらしたレグルスは酔い潰れて眠り、他の乗客も発車直後から手慣れた早さで眠り始めていて、ポラリスだけが太陽を無言で凝視し続けていた。
そして、ポラリスの姿のまま席に着いた太陽は、彼と目を合わせないように、真っ暗な窓の外を見ていた。
そう、残念ながらここは地下鉄なのである。
トンネルの壁すらも見えてこない真っ黒な窓に映る、やや長い黒髪の白人男性が鏡写しのようにそっくりな顔を突き合わせて二人仲良く座っている奇妙な光景も、すぐに見飽きて他の乗客へ視線を移す。
手すりに頭を預けて眠るカペラも、寄りかかりあって眠るアルトゥーロとベガも、当分起きそうにない。
そうして10分が経過した。
太陽の手に手汗が滲む。
20分経過。
車両が揺れる音と仮眠組の寝息だけが車内に大きく響いているように感じられ始めた。
30分経過……。
「太陽」
カペラの声だった。
いつの間にか起きていた彼女は、退屈そうに太陽へ二言目をかける。
「私達は多くの異界を渡り、多くの奇餐と辛酸を啜ってきたわ」
「はい?」
「基本的に停車駅でやる事は食料集めなんだ」
と、ポラリスが太陽を凝視しながら補足する。
「駅にある食品店なんてコンビニが大半だからポテチとかジャーキーとかのありきたりで持ちが良い保存食が多いけど、明らかな廃駅の朽ち果てたコンビニで錆び付いた棚に並んでた物を食べるような奇人から、クトゥルフもどきの売るバイオレットブルーの肉が浮いた真っ赤なシチューを買って食べるような偉大な先駆者まで、この車内には勢揃いしているのさ」
「え……」
太陽がポラリスからカペラの姿に変わった。
「無垢なる新星よ、その一心に注がれる眼差しは畏怖と受け取っておこう。それで本題だけど、あなた、麺は何味がお好き?」
「麺……類……?」
「彼女が言ってるのはスープヌードルだよ、パスタじゃない」
と、ポラリス。
「え?あ、ラーメン!?は……ゆ、柚子塩?」
「フン」
カペラがその答えを鼻で笑った後、少しずつ、くつくつと笑い始めた。
「何と浅慮!大味!アメリカンな答え!」
席から立ち上がり、高笑いと共にそう叫ぶカペラに気圧され、困った顔を浮かべる太陽。
「ええぇ……アメリカンではないよ……」
困り顔をした自分の姿を高飛車に見下ろし、構わずカペラはまくしたてる。
「麺の味と言ったら!豚骨、牛骨、鶏白湯!そして海鮮ベース! そこからも貝類、魚類、甲殻類と多岐に渡る!更にジャージャー麺や担々麺などの多様なフレーバーも存在するというのに!」
「……うん。でもアメリカンではなくない?」
「それを"味噌"の二文字で済ますとは!」
「味噌!?言ってないよ!?」
「さっきからずっと寝てるフリしながら考えてたのかい?その演説」
カペラが一瞬、停止した。
「……ともかく!」
「考えてたんだね」
「次の駅でお互いの舌を天秤にかけようじゃない!私は海鮮ベースに賭けるわ!」
「えっずるい!こっち自動的に味噌ですか!?」
「ハッ!二言があると言うの?」
「二言も何も柚子塩だよ!それに海鮮は広過ぎるからもっと限定しようよ!広東系とか……そう!貝柱ベースとか!」
「ええ、それでも構わないわ。慈悲を、かけましょう」
「なんかムカつくなとか言っちゃいけない……」
そして、車内には再び閑散とした時間が訪れた。
「そういえば、車内放送とか無いみたいですけど、運転手さんっているんですか?」
「いないよ」
「はあ……」
「運転室は空っぽだ」
「ですよね〜……」
それから更に一時間、二時間、三時間……。
どれだけの時間が経っただろうか、電車が少しずつ減速し始めた。
「次なる異界よ」
「キサラギステーションだといいね」
「きさらぎ……?」
太陽がまばたきした直後、轟音と共に大きな衝撃が乗客達を襲った。
ふわりと宙に浮き、そして床に叩きつけられた乗客達の間に、緊迫した空気と沈黙が漂っていた。
カペラ
中国人。
厨二系女子。
多分一番メンタル強い。