束の間
BBQはこぢんまりと、訓練を終えた白バイ訓練所の隅の方に集まって行われた。
紲がいい具合に焼き色のついた肉と野菜をひっくり返し、仕分けをしていると、手が塞がっている自分の代わりに隣から箸が差し出される。たっぷりタレを付けたその肉を、口を開いて迎えた。選んだタレはやや辛口で、平時なら間違いなくビールを引っ張り出していたところだろう。
「奥さん見まして? あーんしてましてよ? あらあら、まあまあ!」
「こなれた感じが腹立つですねえ。ありゃしょっちゅうやってんぞ」
「……うぜえ。おい、そのコップにアルコール入ってねえだろうな」
「「コーラでーす」」
本当かよ。紲は組み立て椅子を占拠しているデバガメ二人に迫り、コップを取り上げて鼻に近づけた。香ばしい絡めるが炭酸に弾け、隙間に焼肉の臭いがするだけだった。
「ちょっとお、女の子が口を付けたものを嗅ぐとかへんたーい」
英がわざとらしく体を仰け反らせる。
「ほら楪、旦那が浮気してんぞ」
「大丈夫です、ただの検問ですから」
「お前も乗らなくていいんだよ」
何故か得意げに胸を反らしている楪を諫め、彼女がつまんでいた玉ねぎを掻っ攫ってコンロへと戻る。しかし、悪魔の笑みを湛えた連中が追撃にやってきた。
「ぶっちゃけな、ウチとハナならどっちよ?」
「何言ってんだお前……」
あの頃のようなダル絡みに、紲は頬を引き攣らせた。銭湯から戻ってきてからずっとこの調子である。女三人寄って裸の付き合いを経れば、こうも姦しくなるらしい。
「紲さんの好みはどっちでしょう……? オトナな女性って感じではハナさんですが、馬が合いそうなのは芽瑠さんなんですよね」
興味津々に目を輝かせて考察している楪は頼りにならない。吾妻に視線を送ると、「若いなあ」としみじみしながら焼けた肉を取り分けていた。下手に食いついてくるクソオヤジも面倒だが、引いて構えられるのも困る。
悩んだ末、紲は意趣返しをすることにした。
「そうさな、なんかアピールしてみろ。より可愛い方を選んでやる」
芽瑠の過去は知っているし、英は剣道部からの仕事一筋で不慣れと踏んでのことだった。
しかし、紲の予想に反して、奴らはウッキウキで顔を突き合わせ、何ごとかを打ち合わせた後、振り返って間を空けた。
「手と手を繋ぐ、愛のワッパ☆ 逮捕しちゃうぞ? ――ブラックはなりん!」
「命を取り上げるゴッドハンド☆ 全部診てやるですよ? ――ホワイトめるるん!」
「「二人はババキュア☆イカズゴケーズ!!」」
いい歳をした女が、満面の笑顔でくるくると回りながらウィンクをして、背中合わせにポーズを決めた。以前楪にせがまれて撮ったチュープリとどっちが恥ずかしいだろうか。
楪と吾妻は並んで、おおと拍手を送っている。
「……俺が悪かった」
「どーいう意味じゃゴラァ?」
顔を背けた紲の首筋に、芽瑠の割り箸が突き立てられた。動脈を的確に狙い、絶妙な力加減で捻じ込まれる箸先の前では下手な抵抗を諦めるしかない。
「楽しそうだな十三課は。相変わらず暇なのか?」
「あン?」
ニヤついた声に芽瑠の箸が引っ込められる。
いつも英にご執心な若手警官が三人、群れをなしてやってきた。いつも思うが、こいつらは一人でナンパができないのだろうか。仮に一人が射止められた場合、残りの二人はどうするつもりなのか。
「暇じゃないわ、小休止。貴方たちだって食事くらい摂るでしょう?」
彼らを一瞥しただけで、その後は一切視線を向けずに英が肉を頬張る。
芽瑠がこちらに耳打ちしてきた。
「なんですかこいつら。いくらなんでもあのボンバヘ騒動くらい耳に入っとるべや。無能か?」
「そんなところだ。ハナの方も分かった上で遊んでやってるから、任せといていいだろ」
「今更ですが、こんなオスの巣窟みたいなところにいて、楪は大丈夫なんです?」
「皆さんお優しいですよ?」
「うん、聞いたウチがアホだった」
芽瑠が肩を竦め、傍観の姿勢に入った。紲も万が一楪に手を出してこようものなら相手もしてやるつもりではいたが、その辺は弁えているのか、それだけ英にお熱なのか。
吾妻の「許可はとってやってるよ」というフォローに、若手警官は出鼻を挫かれ、開きかけた口を不機嫌に閉じた。
「焼肉ったって、スーパーの肉でねえか」
リーダー格らしき男がゴミ袋を見やって鼻を鳴らした。
「オレたちに言ってくれれば、ちゃんと焼き肉屋さ連れてってやるっけのに」
「お生憎様。好きな男が焼いてくれた肉が一番に決まってるじゃない」
「……は?」
若手警官が訝しむ声を漏らしたのは紲と同時だった。悪戯な視線の主がぺろっと舌を出す。野郎、俺を巻き込みやがった。
「顧問様がねえ。どうせこんな風に雑な料理しか作れないんだべ?」
「男飯ってやつな。なあ長南さん。オレらのほうが料理上手いっすよ」
どうにか誇りを保とうとする彼らに、「失礼な」と声を上げたのは楪だった。
「紲さんはお料理もできるんですよ。はじめたのはおヤチさんがいなくなってからですけど、最近じゃあ紲さんの方が熱心で、私を台所から追い出そうとするんです」
「それは危ないからだ。込み入った手順は難しいだろ」
「いーやーでーすー。私だって紲さんに手料理作ってあげたいんですぅ!」
「……お前はこの話をどう持って行きたいんだ」
引っ掻き回すだけのロキ神の口を塞いで黙らせる。傍らでは芽瑠が惚気だなんだと腹を抱えて笑っていた。
コンロの上で取り残されたピーマンの焦げた臭いがする。さてどうしたものかと紲が頭を悩ませていると、トール神が赤色灯を回してやってくるのが塀の向こう側に見えた。
「誰かしょっ引かれて来たみたいだぞ。行った方がいいんじゃねえか?」
「オレたちの班に連絡は来てない。どのみち本日の勤務は終わりだ、帰るところだよ」
言ってから、若手警官はしまったという顔をした。
「よしじゃあ帰れ。駐車場はこっちじゃねえぞ」
手を払う。英や芽瑠からも素知らぬ顔をされていることに気付いた若手たちは、捨て台詞を残して去って行った。
それを見送ってから、紲は英を睨みつける。
「どうすんだアレ。もう厄介オタクだろ」
「許して。放っておいたら放っておいたで、私たちの執務室にまで来るんだから。ああやって少しずつガス抜きさせて、いつか飽きてくれるのを待つしかないわ」
「だといいですけどねえ……」
暴徒と化した人間の恐ろしさを知っている芽瑠が目を伏せ、炭酸の抜けかけたコーラを煽って呑み込んだ。
「何か事件があったんでしょうか?」
暮れなずむ空を煌々と照らす赤色に、楪がもくもくと野菜に噛り付きながら首を傾げる。
「さあな。本課様が対応しているなら普通の犯罪だ。俺らが出張ることじゃねえよ」
紲は今にも炭になってしまいそうだったピーマンを拾い上げ、お茶とともに流し込んでから、煙草に火を点けた。
コンロを冷ました頃には、もう空は星でいっぱいだった。吾妻に持たせるわけにはいかないと、紲はたたんだコンロと火消し壺とを担ぎ上げた。
ゴミ袋を捨てて来た女性陣と合流し、車に荷物をつける。そのまま帰る吾妻に頭を下げて見送ってから、一度執務室へ戻ろうかとした時だった。
一般用駐車場の方に停めた車から、見覚えのある女性が降りてきた。彼女は焦ったように視線を揺らしながら、紲たちの前を足早に通り過ぎようとする。
間近に来てようやく合点がいき、彼女を呼び止めた。
「矢野目さん……?」
声をかけると、女性はびくっと肩を縮こめ、怯えたように一歩距離を取る。
「あ、あなたは。それに楪――行才先生まで」
こちらが知っている顔だったことに気付いて、矢野目美優はほうっと息を吐いてから、頭を下げた。
「すまない、驚かせるつもりではなかったんだが。というか芽瑠も知ってたのか」
「担当は違うですけどね。初診はウチでした」
「はい、おかげさまで。けれど皆さん、どうして警察に……?」
目を瞬かせる彼女に、今の紲と楪が警察所属であることと、芽瑠も仕事で訪れていたことを話した。さすがに『十三課』ということと、その職務内容は伏せたが。
「美優こそ、こんな時間に何があったの?」
おそるおそる楪が踏み込むと、美優はじっと口を引き結び、瞳にいっぱいの涙を滲ませた。
「職場に電話があったの。大輔が……私のお父さんを殴ったって。それで、お父さんが通報したって……っ!」
自分でも状況が呑み込めてないのだろう、徐々に過呼吸気味になり、座り込んでしまう。
咄嗟に楪と芽瑠が動き、彼女を支えて容体を見た。
「大丈夫、きっと大丈夫だから。大輔くんがそんなこと、何かの間違いだよ」
「でも、でも……もう私、どうしていいかわからないよ!」
悲痛な叫びが空に吸い込まれる。
知る限り今夜のパトカーの凱旋は先のBBQ中の一件だけ。知らぬ間に留置所に移送されていなければ、まだ署内で取り調べを受けている最中だろう。
紲と英は視線を交わし、頷き合った。