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ムカサリ~オナカマ探偵漆山紲の怪異録~  作者: 雨愁軒経
第二章 過現未
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東の奥参り

 紲は声を殺し、やりきれない思いを長嘆息に乗せた。悔やんでも仕方がない、今の時点で一体何が出来たのかと、奥歯を噛んで泣き言を押し留める。

 やるべきことは、一刻も早い解決だ。そのためには足りないピースを埋めなければならない。


『被害者は鮭川村在住の方で、十六時頃に一度うちへ来てもらえるんだけど……紲くんを御指名なの。それまでには戻れる?』

「俺を指名?」

『最初にうちに連絡をくださった時にね、力を持っている人はいるんですかって。理由を聞こうとしたんだけれど「申し訳ありません、聞くべからず、語るべからずなんです」の一点張りなのよ』


 聞き覚えのあるフレーズに、紲は目が覚めるような感覚を抱いた。


『もしかして、結構ヤバそうな感じ?』

「ああ、だから説明も後にさせてくれ。奴らの縄張りで下手なことは言いたくない」


 時間には戻ると告げて電話を切る。切り替わったホーム画面に表示された現在時刻は九時半。少し早足になるだろうか。


「……二件目?」

「ああ。ただ署に戻る前に、出羽三山神社だけでも参っておきたい。チャーリーが奴に傷を負わせてくれたから暫くは大丈夫だとは思うが、庄内にいる間だけでも護衛を頼めるか」

「……ん。了解」


 電話のあいだにカウンターへ空いたカップの廃棄をお願いして戻って来た楪と合流し、水族館を後にした。






 鶴岡の海沿いから羽黒山までは三十数キロと、山形県民にとっては日常茶飯ともいえる距離である。とはいえそれは精神的疲労の話。数十分もの時間がかかるのは間違いないため、ニコラに上空からインカムを通して指示してもらい、最短ルートを走行した。

 田畑に挟まれた一本筋の直線道路を進めば、山道の入り口を示す羽黒山大鳥居が出迎えてくれる。

 その手前まで差し掛かった時、ニコラの箒が高度を下げて来た。


「何かあったのか?」

『……箒に乗ったままだと、ここからじゃないと入れないの』

「難儀だなあ」

『……お互いにね』


 縦に重なるようにして大鳥居を潜る。異端審問センサーに仏道と黒魔術が引っかかり、紲とニコラは体に走った痛みに小さく呻いた。

 さすがに霊験あらたかな土地だけあってか、肺へ突然寒気を送り込まれたように喉が張り付く。心を安らかにして頭を垂れること数秒、ようやく許しを得た。


『大丈夫ですか?』

『……楪さんこそ平気なの?』

「オナカマ『巫女』だからな。神社に入る時は御咎めなしなんだよ」


 紲が苦笑いで告げると、納得したような、羨ましがるような、そんな吐息が返される。


『「ウメヅ様」は、ここに入ってくることができるのでしょうか?』

「どうだろうな。奴を呼び出した時、信徒たちは数珠を持っていた。そのクセ呼び出しは三山拝詞、拠点は魔術的と来てる。仏・神・魔、何でもアリの滅茶苦茶な存在だからな」

『……まるでキメラね。見た目もメデューサかゴルゴーンのようだったし、改めて寒気がしてきたわ』


 羽黒山の中腹は広く整備されており、ここから2446段という数の石段を登るルートに入ることができる。仏教側も含めれば熊本の釈迦院が段数日本一であるが、神社だけで括ればここ出羽三山神社の石段が日本一である。

 蕎麦屋の前辺りでバイクを停めると、箒を次元の狭間に仕舞いながら、ニコラが不思議そうな顔でやってきた。


「……山頂まで行かないの?」


 彼女が指をさす方には、さらに道が続いている。優しいことに、そちらから回れば石段をすっ飛ばして直接、山頂の出羽三山神社・三神合祭殿に着くことができるのだ。

 楪の手を引いて歩き出しながら、紲は首を横に振った。


「参拝も兼ねてるんだよ。一〇八の境内社のうち多くが山道沿いにある。片っ端から回って、決意表明をしなくちゃな」

「勝てますようにという願掛けではなく?」

「普通の神は、現世ごときに干渉して願いを叶えたりはしないんだ。せいぜい、例の九頭龍王の時みたいに神使を寄越すだけさ。いい機会だから覚えておくといい。詣でる時は決意表明をして、達成した暁には感謝を込めてお礼参りをする。成し遂げるのはあくまで自分だ」

「わかりました」


 握り返してくる手に、きゅっと力が籠る。隣で「……意外。まともなこと言うのね」とほざく失礼な輩は、もう一方の手で髪を掻き乱しておいた。

 厳かな態度で石鳥居をくぐり、随神門を越えればすぐに石段へ差し掛かる。道すがら、路肩に築かれた社殿に片っ端から手を合わせた。

 のっけから五十猛神社や少彦名の天神社などというビッグネームの社が立ち並ぶ様は壮観であった。社も毳毳しく塗られているわけでもなく、木目の色をそのままにした静謐な佇まいで、その神性がどれほど丁寧に守り伝えられてきたかがよく分かる。


「そういえば、小さい頃からそう呼んできたんですけど、出羽三山ってどうして一括りにされているんですか?」

「羽黒山で現世の幸せを、月山で死の世界――つまり往生を祈り、湯殿山で新しい命をいただく。三つ詣でることがセットだからだよ」

「……輪廻転生、永劫回帰、生々流転、リインカネーション。人が求める命の在り方ね」

「わあ、素敵ですね。それなら、お姉ちゃんと結ちゃんの分も祈らないと」

「そうしてやれ」


 思いがけない答えに、紲は図らずも頬を緩めていた。まったく相変わらず、自分事より他人事を優先する。自分だって、呪いに巻き込まれた悲劇の当事者だろうに。

 何か事情があるのかと視線で尋ねてきたニコラは、紲が己の右目と薬指を示すと、それで察してくれたようだ。

 そうこうしているうちに、石段が石畳に変わり、そこで一度途切れた。この先で秡川を渡る必要があるからだ

 月山から引かれた須賀の滝の音に耳を澄ませて「マイナスイオン!」と表情を綻ばせていた楪だったが、ふと、きょろきょろと忙しなく伸びを始めた。


「どうした?」

「あちらにあるのは、道ではありませんか?」


 そう言った彼女の視線を追うように覗き込むと、なるほど確かに、土を踏み固められた程度ではあるが、舗装されたような道が見える。

 これも何かのお導きかと丘を進むと、すぐに開けた場所があり、紙垂の取り付けられた斎の垣根に囲まれて大岩が鎮座していた。

 紲は近づいてみて驚いた。立札には『白山神社』とあったからである。


「御祭神は白山比、なんとかの神……?」

「……白山比咩神。ククリヒメノミコトのこと」

「どうしてここだけ社ではないのでしょうか。出羽三山を開いた蜂子皇子は、ククリヒメの化身に手招かれたんですよね?」


 首を傾げる楪に、紲は少し考え込み、やがて得心が行った。


「おそらく、白山神社が白山島にあるからだろう。これは推測だが、きっと蜂子皇子にとって、出羽三山とはあそこから始まっているんだ。そして、すぐそこを流れる秡川は三途の川に見立てられ、こちら側が俗世、向こう側を神域として隔てている。その手前に分社のように岩を置いているということは……」

「置いているということは……?」

「わからん。何か意味がありそうだってことは判るが、内容はさっぱりだ」

「……探偵の名折れね」

「『霊能』探偵だ。俺たちはホームズってより安倍晴明だろうが」


 肩を竦めて道を戻り、正規のルートを進む。橋を渡ってしばらく行けば、樹齢千年にもなる大杉や、国宝でもある五重塔が見えてくる。一説には五重塔は平将門が創建したとされており、皇族の開いた土地に朝敵の築いた建造物という異彩に、改めてこの霊峰の懐の深さを思い知るようだ。

 法隆寺、瑠璃光寺と共に日本三大五重塔に数えられるそれと、うんとバンザイをした楪とで背比べをしながら、先へ。ここからは一の坂、二の坂、三の坂と難所が続く。

 かつて武蔵坊弁慶が、あまりの急勾配に奉納する油を零したことから『弁慶の油こぼし』と呼ばれる二の坂や、道中で蜂子皇子が休憩のために腰かけたという御座石を超え、休憩を挟みながら山頂に着いた時には、たっぷりと陽が昇っていた。


「わあ……」


 最後の鳥居をくぐり、前方を仰げば、立ち並ぶ立派な社殿に視界が彩られた。

 中央に座す朱塗りの大社こそが、出羽三山神社。この霊峰を統括し現世を司る、聖域の最奥である。

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