六十三話:ファンキー爺さん
しばらく歩いていくと、ある程度の大きさの穴が見えた。近づいてみるとそこはお湯でいっぱいになっていた。多分ここが風呂なんだろう。
完全に露天風呂だ。少し心配になる。なんの仕切りもないもんだから、見られでもしたらたまったもんじゃないと思うのだ。
まあ、しかし、俺は大事なとこさえ見られなければまあそんなに気にしない。というわけで、早速体を洗って風呂に入ろうと思う。
「っく、あぁぁぁ〜」
極楽そのものだ。芯まで温まる。おまけにこの家は土地が高いため、景色がいい。これが日常なのか、ここは。
しかし不思議だ。温まるのとはまた別に、とても心地よい何かを感じる。一体何なんだろうかこれは。
「お前さん、いい湯じゃろ、これ」
振り返るとグスタフさんがいた。学校からして間違いなく風呂に入りに来ている。流石に出会ったばかりだから大事なところは隠して欲しい。
「そうですね。とてもいい湯ですね」
グスタフさんが顔をしかめている。何かしたんだろうか、俺。それにしても、俺はこの人に教わるんだな。この先どうなるんだろう。
ただ漠然と、聞いてみたくなった。
「グスタフさん……いや、もう師匠って呼んだほうがいいのかな……俺はこの先どうしたらいいんですかね」
「テンリ、お前さんはもう儂に敬語禁止じゃ」
目上の人にめっちゃへりくだらないとしないとブチギレられるのが当たり前な世界で、敬語使って怒られると思わなかった。
「それは……どうして……?」
「儂嫌なんじゃよ。上司と部下みたいな明らかな格差のある関係。お前さんは一度根付いたらもう直せなさそうだからの」
「でも、俺はあなたに教わる立場で……」
「ここは学校ではない。教わるって言ったってそこまで敬意を必要とする場ではない。……お前さんにはそう呼ばせるだけで勝手に差を作り出してしまいそうじゃな」
グスタフさんはそこから少し考え出した。しばらく唸った後、結論を俺に伝えた。
「お前さんは儂のこと師匠って呼んだりグスタフさんっていうの禁止じゃ」
「なんでですか? リィレンは師匠呼びしてるじゃないですか」
「あいつはそう呼ばせてもそんなに敬意を払ったりとかしないからの」
それは褒めるべきところではない。だとしても、それがこの人にとって大事なことなのだろう。
「ある程度差を作ってしまうとな、そいつのことがようわからなくなるんじゃ。そいつが何を思ってるのかとかな。それで昔後悔した」
「じゃあ、なんて呼ぶべきです……これが駄目なんだった」
「まあ、取りあえず気軽に"爺さん"とでも呼んでおくんじゃな」
爺さんって……この人はすごい人だから、そう呼ばなければならないことに引け目を感じる。でも、そう呼ばないと怒られるんだよな。
「わかったよ……その……"爺さん"……」
得も言われぬ罪悪感が背筋を伝う。対象的にグスタフさんは気分が良さそうだ。
「それでいい。これからはそう呼ぶんじゃぞ」
なんかこう、人間関係で色々あったのだろうか。取りあえずこの人がこう呼べという限りは、俺はこの人を"爺さん"と呼ぼう。
「話を戻すが、この湯は魔力が多くてな。魔力回路にいいんじゃ。これに浸かって、ある程度の訓練をし、体が戻るのを待つことじゃな」
「そうさせてもらいま……そうさせてもらうよ」
「うんうん。時にテンリよ、儂の修行はキツいぞ。ついてこれるか」
「絶対についていきますよ」
いい気分だ。この先のことにある程度希望が湧く。それをものにできるかは俺次第だ。とりあえず、今は体を治すことに集中しよう。
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「どう? 生かしておけないでしょ」
「引き込んだほうが楽なんだが、多分性格的に無理だな。取りあえずあれをのさばらせるのはまずい。様子見てきてくれ」
「僕裏方なんだけど……まあ僕が一番速いか。いいよ。代わりにお楽しみを用意しておいてよ」
「わかった。方角はあっちだ」
「あいつらにはきついかな。オッケー、僕一人で行くね。バーイ」
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爺さんのところに来てから一週間だ。魔法を教わり、教えているリィレンと爺さんの近くで、俺はそれを眺めながら筋トレしていた。
アズサも木の下に座りながらそれを眺めていた。
見た限り、高度な遠距離戦の応酬が続いている。水を凝縮して貫きにかかるリィレンと、その水を、自分で水を出しながら淡々と受け止める爺さん。
速度が速い。水を撃ち出す速度も、それを受け止める動きも。だが、素人目から見ても差は歴然だ。
リィレンは全力でやっている。顔から汗を垂らしながら隙を作り出そうと必死に魔法を撃っている。
しかし、それが逆に自分の隙を生んでしまうのだ。変わらず爺さんは余裕綽々といった感じで攻撃を受け流しつつ、じっくりとリィレンを追い詰めていく。
「……そこか」
爺さんに向かって打たれた水を右に避ける。そこにリィレン本人が向かっていた。速い。もう目の前で拳を振りかざしている。
そのまま前に向かって拳は進んでいく。えげつない速度のそれを、当たり前かのように右手で受け止めた。
「それ、終わりじゃ」
爺さんは手を広げ、リィレンの腹に向かって手を当てた。
「くはっ……あっ……」
だらりと下に向かって崩れ落ちるリィレンを爺さんが肩で抱える。意識はあるようで、悔しそうに目をかっ開いている。
「い……いつもこうなる……」
リィレンが何やら小さくうめいている。聞こえることはない。俺とアズサは今何が起こったのかよく理解できず顔を見合わせていた。
「アズサ……あれ何かわかるか?」
「全然わかんないや」
もう何がなんだかわからない。実際、今見た光景は人の腹に手を当てたらその人が倒れたというものである。暗殺術か何かか? そうならそんなもの弟子に使うなよ。一応魔法の修行なんだし。
「うおっ!?」
「大丈夫!?」
しまった。夢中で爺さんの方を見ていたらうっかり足を滑らせて木から落ちた。痛いぞ。しかし、立ち上がるのは問題なさそう……
「知りたいかの? 今の」
「え?」
上を見上げたら、爺さんが俺を見下ろしていた。爺さんがいた場所、ここから結構距離あったはずだよな……?
「まあ、気になります」
「おい」
しまった、また敬語出た。やりづらいなぁもう。
「あれ、お前さんは知らんほうがいいぞ。この世界の闇に生きる者の技じゃからの。それでも知りたいかの?」
「この先出会うかもしれないし、知っておいたほうがいいと思うから」
爺さんは手を見せた。特に変なところはない。今のところは。そしてすぐにおかしくなった。なんか異常なまでに強い魔力を感じる。
かと言って、それがなんの魔法なのかと言ったらわからない。というか、多分魔法ですらない。これは魔法になる前の、イメージを加える前のただの魔力だ。
「これ、ただの魔力だよな。これが一体何になるんだ?」
「なんにもならん。ただ触れた時に流し込むだけじゃ」
魔力を流し込む?そんなのただ相手を強化するだけ……待てよ?
「アズサ、魔力って過剰すぎるとどうなるんだっけか」
「回路が破れるんだけど……これってそういうこと?」
「そういうことじゃ。相手の許容量を超える魔力を流し込んで内側から破壊するものじゃ。うまく使うとこんな感じで戦闘不能くらいで済ませられるんじゃが……」
肩に担がれているリィレンを見た。なんとも哀愁漂う顔でこちらを見ている。
この先を爺さんは言わなかったが、大体わかった。加減しなければ確実に相手を殺せる、ということだろう。
「ただこれ、相当魔力量が多い者でないと使えないんじゃよ。お前さん程度じゃ無理じゃ。というか、使える者が世界で二十人くらいじゃから、使えたら人間超えとる」
もうそんなレベルの世界の話か。でも俺、肉弾戦あんまし得意じゃないんだよな。大体武器持って戦うし。だからこれを覚えようとすることはないだろう。
精々、敵に回したときの知識として頭の片隅に留めておこう。
こんな感じで、爺さんからはいろんなことを学んでいた。しかし、それはあくまでも見るということであり、実践で学んだわけではない。
一体いつ、俺は実践で爺さんから学べるようになるだろうか。学校ですら知らないようなことを知れるかもしれないと考えると、ワクワクして仕方がない。