五十七話:命は天秤にかけられる
『ねえ、生きたいの? そこんとこどうなのさ』
……誰だ、お前。
『僕は君さ。君の人格の一部から構成された、君が生きたいと願うたびに出てくるお助けキャラさ』
わかりやすい説明ありがとう。いつの間にそんなのが……なかなか胡散臭い。信用ならん。
『まあまあそう言わずに。ねえ、生きたいんでしょ? 生きるために力が欲しいんでしょ?』
御名答。俺は今史上最高に都合のよくて現実離れした、都合のいいお願いをしているところだ。全部生きて笑いあいたいからだ。
『そうするしかないもんね。そんな奇跡じみたことでも起きなきゃ死んじゃうもんね。大丈夫、僕はお助けキャラ、君に力をあげる』
やっぱり、そういう感じか、お前が出てきたの。初対面でサラッとお前って言えるの、珍しいな。こいつが俺だからなのか? 本当にそうなのか? わからない。
『史上最高に都合いいだろ? でも、都合いいだけじゃ成り立たないのがこの世界、対価はもらうよ』
なんなんだ、その対価って。俺の死以外ならなんだっていい。俺にとって生以外に大切なものなんかそうそうないからな。
『まあ、そのうちわかるだろうよ。それより、早く力を使わないと、君が生を渇望する意味がなくなるよ?』
外の様子がなんでか見える。アズサが今まで見たことのないような戦いぶりで、異形と応戦していた。そんなに戦えるなら早く言ってほしかった。
でも、もう限界が近い。多分残り一分と待たずに戦闘は終わる。俺の一番見たくない未来が見える。確かに、早くしないと。
どうやったら力は使える?
『君が僕の存在を認めるだけさ。でも一つ。取引として君には力が与えられる。でも僕にはそれと等価の報酬にプラスして君の頼みを聞き入れてやったっていう恩の分も対価を貰わないといけないのさ』
つまり?
『つまりだね、この世に等価交換なんか存在しないのさ。君は力を得る代わりに、それを超える地獄に見舞われるけど、それでも僕を認める?』
ああ。認めるさ。生きてりゃ安い。死んだら力以上の地獄とやらより地獄だ。絶対耐えてみせるから、力を……ください。
『契約成立。じゃあ、思う存分使いな。それじゃまた会う日まで』
声は去った。すぐさま力を行使する。アズサは魔法を逃れ、俺は異形の体内から脱出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
活力は十分だ。でもどう戦おうか。剣は取られ、魔力は切れたままだ。魔力まで回復するなんて、これ以上の都合のいいことは起きなかった。
しかし、立ち上がってしまった以上戦いは始まってしまう。すぐに触手を伸ばして俺の体を貫きにかかる。それをアズサが防ぐ。
なんだろう、力はみなぎっているというのに、触手を防ごうとしても体が上手く動かない。でも異形に向かう足は止まらない。
そうか、俺が一番やりたいことをするためにこの力があるんだ。なんだ、それは。アズサは確か、逃げる手段があると言っていた。
今はアズサの元へ向かうどころの話じゃない。アズサが迎撃してるとはいえ、触手が多すぎていくつか俺へ飛んできている。
避けられない。防げない。俺に残っているのは異形に向かう力だけ。抉れて削れて、それでも地を踏みしめる力はとどまることを知らない。
「がっ、あぁぁぁぁ!!」
止まらないその一歩ごとに、頭が割れるような痛みが起こる。しかし不思議と立っていられる。頭を抱え、異形を睨み、歩から走へと行動を移した。
「動きが鈍いな! そんな遅い動きじゃ、俺に近づける訳ない!」
さっきと同じで、近づくほどに攻撃の密度が上がっていく。多分一発食らったらその隙に何発も食らう。
ーー避けるしか、手段がないな。俺はやるべきことをやるまでだ。
「避けないといけないなら、意地でも避けてやる」
何もかもが遅く感じた。俺の動きも、触手の動きも。近づいて、一発食らう。その辺りからか、少しこの遅さに慣れてきた。
俺の動きを触手に合わせる。見えなかった触手が遅く見えて、反応できるようになってきた。右、左、左……次は上。
もう少し。あと少し踏み込めば、射程圏内。だがどうしたらいい。俺はこいつに触れない。
『委ねろ』
どこからかそう聞こえた。もう頭が回らない。考えることもできずにその言葉に身を委ねた。次に感じたのは、さっきとは比にならない頭の痛み。
そして、地面の感触と切り裂かれる空気。次は、拳が頬に当たる感触。対して格闘が強いわけでもないが、人生で一番強いパンチは多分、これだ。
「な、何故!?」
手応えはあった。でも一切ダメージは通っていないようだ。痛覚がないのか、はたまたそもそも効いてないのか。だが異形は激しく動揺している。
異形の触れないはずの体に触ったからだ。その理由はと言うと……
「知らない」
アズサを救い、俺を脱出させ、異形に触れることができる。方向がバラバラすぎて自分でも能力を割り出せない。
その先はもう本能で動いていた。何を考えようが知ったことではない。ただ勝手に体が動き、殴り合う。効果なんかない。
そうしてしばらく、急に動けなくなった。そこを突かれ、吹き飛ばされる。腹は抉れて、また距離が遠くなった。
しかし、また立ち上がる。疲労感と活力が混じった、感じたことのない感覚だ。倒れそうなのに、立っている。
また近づく。まだ動きが遅く感じる感覚は続いている。近づくことは容易だった。でもどうしたらいい?
素手じゃどうしようもない。攻撃力が足りない。あの確保されている剣をどうにか……
『捻り出せ』
捻り出せ? 何をだ。もう奥の奥から捻り出してるっていうのに。
『魔力だ』
魔力を? 魔力が残ってない状態で魔法を使うと恐ろしいことになるようだが。確か命に関わるとか言ってたぞ。
『うるさい。いいから委ねればいいんだ。君はもういい』
体が意思に反して動いた。いや、動かされた。地を駆り、触手に乗り、それを進んで前に一回転、かかとから異形の手に蹴りを入れた。
一撃の威力がかなり高く、剣をはたき落として取り戻すことに成功した。
「馬鹿な……いきなりこんな動きができるものなのか……」
異形は驚いている。単調な動きしかしていなかった俺がいきなり変則的な動きをしたからだ。違う、俺じゃない。
そもそも、なんでこんな俊敏に動けた? 周りが遅いまま、俺だけ速くなっている気がしたが、それはどういうことだ……
「嘘……だろ……」
体を見てわかった。雷が纏わされている。強制的に、魔力が尽きた状態で魔法を使わされた。その瞬間、全身の激痛に襲われる。
「ぐはっ……」
無意識に手で抑えた口から血が出ていた。抑えた手の甲をそっとなぞるように、違う血が滴る。目から出たものだった。
それも厭わず、異形の首に剣を当てる。残る力全てをそこに込め、異形はそれを振り払おうと手で剣に力を加える。
「くっ、くそっ!」
僅かに俺の力のほうが上だった。さっきとは比べ物にならない力が異形の首の宝石に加わる。ミシミシと音を立て、異形の体にヒビが入っていく。
その時、パキパキという甲高い音も聞こえる。それがなんの音なのか、集中していてわからなかった。
「ぐ、あっ! あぁぁぁぁぁぁ!!!!」
渾身の力を込めた剣先が宝石を二つに分けて通り過ぎていった。声も上げず、異形の体が崩れ去っていく。
その瞬間、みなぎっていた活力は全て消え失せた。残るのは、尋常じゃない痛みと底なしの疲労感だけ。もう、立っていられない。
アズサが駆け寄ってくる。その顔は微笑みを浮かべていた。俺が生きていたからだろうか。だったら嬉しい。一番見たかった顔だ。
「テンリ君、大丈夫?」
近づいてどうするんだろう。お前から俺に触れないじゃないか。でも、敵はいなくなり、俺もアズサも生きている。どうしようもなく安心してしまって、すべての力が抜けた。
でも、地面に倒れることはなかった。まるで何かに支えられるかのように。アズサの顔が、何かに対して戦慄としたものに変わった。
全身が痛くて、痛覚が鈍ってきているが、少しだけ腹が痛むのを感じた。ふと、下を見た。その瞬間だけ、朦朧としていた意識がはっきりとして、恐怖した。
腹を、触手が貫通していた。その下には血溜まりができていて、腹よりも上からも血が滴り落ちていた。口だろうな。
これは……まずい。魔力が回復して治癒が使えるようになったとしても、これは無理だろうな。後ろを見れない。
でもやったのは間違いなく異形だろうな。多分、ここにいたら死ぬ。だから、移動したい。あと一回、頼む、出てくれ異能。
頭の上から黒い何かが俺を覆おうとした。その前に、なんとかアズサの前まで離脱することができた。
それを感知してすぐ俺を貫きにかかる。異形が残っていたのは、右手だけだった。しかし、それすらも馬鹿にならない威力だ。
「テンリ君、飛んで逃げるから、お願い。耐えて。私も耐えるから」
そう言ってアズサは俺の体を自ら抱えた。一番やってはいけないことをしてしまった。すぐに崩れる音が聞こえる。
「アズサ……お前……」
「君が受けた痛みと比べたら、このくらいなんてことないよ」
そっと微笑みかけ、異形に向き直る。よく見ればよかった宝石のかけらが右手にむき出しの状態でくっついている。
そこをアズサは右手で狙い、地面に撃つように、魔法を放った。
「ファイア」
そう唱えたのが聞こえてすぐに、あたり一面が吹き飛んでなくなってしまうほどの魔法が放たれた。
地面に向かって撃ったため、反動で大きく飛び上がっている。攻撃と逃げを兼ねた、現時点で最高の魔法だった。
なんだかわからないが、俺を抱えているアズサがとても凛々しく見える。アズサの体から温度は感じないはずなのに、とても暖かく感じる。
感じることができる、生きているからこそだ。俺達は、生き延びることに、成功した。