五十三話:必然は手の上で
拳が一発、二発と飛んでくる。地を割り、木を砕く。当たったら終わりなそれを紙一重のところでかわし続けている。
「ちょこまかとうざったらしいな……」
どちらも動きが直線的なのだ。だから対応はお互いに行っている。何なら攻撃を当ててもダメージを入れられない分こっちが不利だ。
そう、外側から今の俺達がラブカさんにダメージを与えるのは不可能に等しい。だから、内側に衝撃だけ叩き込む。
どれだけトラップを置き続けただろうか。気がつけば俺もラブカさんもトラップの下で走るようになった。頃合いだろうか。
アズサに目配せをした。自信ありげ、準備は完了したようだ。なら俺の仕事もここまでだ。
「一斉起爆!」
「!? まずい気がするな……」
ラブカさんは速度を上げる。何か、本能的に俺がやろうとしていることを……わかってないかもしれない。ただ今速度を上げたのなら、何かしら感じ取っているだろう。
だがもう遅い。あなたは全身に雷を纏ってしまった。だからもう近づけない。なす術なく俺とは向かい側にふっとばされていく。
「っ! 近づけない……」
踏み入った先はトラップだらけ。続々と爆発に巻き込まれていく。魔法によるダメージは受けていないだろうが、爆発だからな。衝撃はかなり強い。
受け続けたら、感知器官は壊れるだろう。
「これは、まずい。……」
動きが止まった。爆発以外の音は一切しない。このまま爆発を受け続けるつもりか? そうなるとめんどくさい。それは予想外だ。
ほんの少し油断した。あれだけ駄目だと言い聞かせていたのに。
「死ね」
気がついたら目の前にいたのだ。油断を誘って、賭けに出たわけか。まずい、これは避けきれない。しかし、トラップから出たということは、ぶつけられるな、土を。
「集合」
メドレー、寄せ集めという意味。アズサの魔力で出した土魔法とそこら辺の土をごちゃ混ぜにしてぶつける。ほぼ物理技だ。
この広い森、土はいくらでもある。木を利用して隠れるように集めてもらっていた。中身はほとんどただの土、微弱すぎて感知されても取るに足らないと思われるだろう。
出来上がった土塊は俺にラブカさんの拳が届く寸前でラブカさんを押しつぶした。拳の勢いと土塊の勢い、二つを同時に受けて後ろに転がる。
再び前を見た時、ラブカさんは重くのしかかる土をどけ、立ち上がる。しかし、こちらに走り出すことはない。恐らく、俺達の場所がわからなくなった。
「まさか、ここまで用意周到に……ぬかった……」
ラブカさんの基礎スペックはおかしいほど高い。その代わりに明確な弱点を抱えていたからピンチを乗り切れた。
しかし、弱点をついたところでダメージを与えることができるようになったわけではない。俺達にできることは逃げることのみ。
また見つかることのないようにできるだけ遠くまで走った。目的の場所からはどんどん遠ざかるが、この際しょうがない。
しかし、俺がそこにたどり着けるのはいつになることやら。さて、戦闘が終わったところで少しアズサと話をしなければ。
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「……しくじった……目の前の相手以外にも注意すべきだった……」
「まあそう言うな。お前が時間を稼いでくれたお陰で俺は間に合いそうだ」
失意の中のラブカに一人、真っ黒な服に、いや、服はなく、体ですらない。体を持たぬそれはラブカの肩に手を置き、そっと話しかける。
「そうですか……社長の役に立てたなら何よりです」
「後は俺がやる。力でねじ伏せるのは俺の仕事だからな。お前はゆっくり石炭を食っておけ」
石炭を残し、それは消えた。否、潜ったのだ。だから見えない。潜って向かう。裏切り者の元へ。
それは深く暗い深淵の中から二人を覗いている。ただ深い絶望を与えるために、その時を今か今かと待ち構えている。
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俺とアズサ二人、その空間には気まずい空気が流れている。理由はわかりきっている。でも、触れないことにした。
「アズサ、俺は何も聞いてないし、何も見てない。何も起こらなかった。それでいいな」
「……何も聞かないの?」
「うん、聞かない」
聞いたらもっとお前が壊れる気がする。もしかしたら俺がお前の拠り所になるなんて言わなければ傷つけなくて済んだかもしれないな。
だって、自分で言うのも何だが、自分の支えの人に仇で返しているという罪悪感は、きっと凄まじいものだ。俺がアズサにとってそういう存在であるならば。
俺がいなければよかったのかな……なんだよ、目とか関係ないじゃん。何やっても迷惑かける……。
だったらアズサは裏切ってなどいないと信じてやれれば、これ以上お前は傷つくことはないだろう。
そもそもアズサは裏切ってなんかいないのかもな。だって俺を殺す命令を放棄したってことじゃないか。ならアズサは俺の味方なのだ。
アズサは俺に何もしていない。きっとそうだ。……何考えてんだ、俺。結局これは、俺が責任から逃れたいだけ。アズサを苦しめた責任から、逃れているだけなのだ。
「呪いの侵攻を抑えるんだろ? だったら早く行こうぜ」
「……うん。テンリ君、ありがとう」
「いつかまた会お……」
「それは無理だな」
一瞬時が止まった気がした。いや、俺が止まっていたのだ。圧倒的な寒気を感じて、思考が一瞬停止したのだ。え、待って……そこは首……。
「テンリ君!!」
アズサが俺に魔法を撃ち、ふっとばされてすんでのところで首への攻撃を回避した。何が俺を……氷だ。よりによってか……今でもこれを見ると体がすくむんだよ……。
「外したか、やっぱりめんどくさい女だなお前」
確かに俺の後ろにいたのに、そいつはアズサの首を掴んでいた。何してんだよ、やめろよ。何するつもりだよ。
首を掴まれているのに、アズサの体は崩れない。
こいつは一体、何なんだ……。
「ぐっ、あっ……」
「やめろよぉーー!!!!」
振り下ろした剣はそれを切り裂く。だが手応えは一切ない。まるで空気を切ったような感触だ。それは二つに分かれた体を一瞬にして一つに戻した。
それは俺を吹き飛ばした。黒くて、人なのか、魔物なのか、何もわからない。さっき体を持たないような切れ方をしたのに、なぜそれはアズサの首を掴んでいる?
「まあ待て。よく見てみろよ」
アズサは首を掴まれその手を離そうと必死にもがいている。しかし、苦しそうには見えないのだ。
「そんなに離してほしいか。なら離そう」
そう言って俺の方にアズサを投げ捨てた。
「あっ!」
「アズサ……何するんだよ、お前!」
「不思議だと思わないか? 今までこいつは"痛い"と言ったことはないだろう。一度も。血を流したこともない」
そいつに言われて気づく。たしかにそうなのだ。確かにアズサは血を流したことがない。だからといってそれがなんだ。ただ攻撃を受けなかっただけじゃないのか。
「では教えてやろう。こいつの秘密を。裏切りの決定的な証拠になるだろうな」
「嫌……やめてよ……」
「うるさい」
いきなり現れ、アズサを蹴り飛ばした。こいつの移動の速さはなんだ。それに、なぜこんな残酷なことができるのだ。
「オッドアイよ、こいつは無でできている。人に触れないのも、痛みも血もないのも全て同じ理由だ」
その口から語られた。その内容は俺を一度失意の底に落とすのには、十分すぎるほどだった。
「笑えるだろう。その理由は名前と似合いすぎている。梓という花に花言葉はないのだ。すなわち……」
俺以上に、アズサがどんどん傷ついていくから、その話を止めようと駆け出したが、結局弾かれて終わる。
「そこにあるのに何の意味もない。そこに存在するのに命がない。そいつは、死んでいる。ラブカも言ってただろう」
合致させてしまった。アズサは死んでいる、何を言っている? そんなはずはないだろう、心の奥がそう告げる。
「わかっているんだろ、お前も。死んでいるのだから、血は通ってない。痛覚もない。腐る体を止めてなくなった器官を魔力で補っている。もはや魔物に近い」
「そうだとして、それが人に触れないことと何が関係するんだよ」
「人間の命はエネルギーを持っている。しかし死んでしまえばそれを受け入れることができなくなる。触れるだけでそれは他人に移るものだ。すなわち……」
他人から移った生命エネルギーを許容できず、内側から壊れていく、それが、アズサが人に触れないことの理由。呪いなんてなかった。
死んでいることの証拠、それは裏切られていたことの証拠、現実から逃れることはできない。……いつからだよ。
「いつから……アズサは俺を殺そうとしていた?」
「認めたか。……考えてみろ。教われているお前をちょうどよく助け、会ってすぐに打ち解ける、出来すぎてやしないか? まるでそれが必然だったかのように」
ああ、そういうことか、もうそこからだったのか。俺に近づいてきたのも、そもそも学園に来たのも、最初から全部、か。
「必然は、いつも誰かの手の上で踊らされているのと同じ意味を持つものだ」
色々な考えが頭の中を巡る。泣きじゃくるアズサに向かってゆっくりと歩を進める。全部バラされたらそうなるよな。
隠そうとしてたのに、聞かないでおいたのに。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
俺への謝罪、というよりかはもっと他のものに対する謝罪、そして恐怖。何をそんなに怖がっているのか。
「そうか……そうだよな。裏切られたんだから怒るよなオッドアイ。じゃあ介錯はお前に譲ろう。どうせ殺すからな。恨みくらい今のうちに晴らしておけ」
違う。俺がしたいのはもっと別のことだ。ただ、俺は自分の罪を償いたいだけだ。そのために、アズサの前で歩みを止めた俺は、その異形に様々なことを聞いた。
どんな答えが返ってくるか、楽しみではない。むしろ吐き気がしたのだった。