四十九話:奔走
ソレイユさんの研究施設から逃げ出して、早くチナテラトから出るためにどれだけ暗くなっても眠ることもせず、走り続けた。
「ごめんアズサ、もう無理……」
この世界は森が国境として機能している節がある。また森の中に入り、そのままリテンシスまで行きたかったが、遂に体力が切れてその場に倒れ込んだ。
息は絶え絶え、腹も減ったし、体は汗だくだし、眠い。抗う術はなく、眠りについた。夜の森って、大分危険だよな……。
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テンリ君の謝る声が聞こえて、いきなり体が宙を舞った。転げ落ち、勢いは止まらず少し転がる。痛みなど感じないから別にいいのだけれど。
「キャッ!」
ただ、少し驚いただけ。暗くてよく見えず、少し雷で照らして見ると、倒れ込んでいるテンリ君がすぐそこにいた。
「テンリ君!? どうしたの……なんだ……」
寝ているだけ、この状況で、か。本当にやりたいことをやりたいだけやってしまうな、テンリ君は。どこまでも真っ直ぐで、そんなだから悪い人に狙われてしまうのだ。
いわれのない差別に耐え続ける、その苦しみは想像を絶するはずだ。それなのにまた新しいテンリ君にはまた新しい苦しみが。
いずれ終わる。苦しみながら終わる。痛い、苦しい。胸が締め付けられ、突き刺されるように痛い、苦しい。
ふとした瞬間、自分が息すらできなくなっていたのに気がついた。息苦しい、嫌な思い出だ。また戻っている、苦しい。
それならもう終わらせてしまえば……テンリ君がこれ以上苦しむ前に終わらせてしまえば……手を突き出していた。
私は何をしているの? 一番やりたくないことじゃないか。正常な判断ができなくなっている。やっぱり、一人はいけないな。
今日はもう何も考えない。テンリ君の隣に座る。電気を炎に切り替え、空中に留める。とりあえず、明かりが消えることはない。
もう安心して寝れる……ふとテンリ君の顔を覗く。真夜中の危険な森の中、デコボコした地面の上とは思えないほど、穏やかに眠るその顔を。
なぜ私ごときがこんなことを思うのか、それでも耐えられず、卑怯なタイミングで言葉を放つ。多分、テンリ君は起きた時覚えてない。それでいい。
「ありがとう……あとね……あと……」
少し言葉に詰まったが、結局、追加で四文字ほど言葉に出した。この気持ちを抱えたまま終わるのだろうか。私はどうすべきか。
全てわからないのだ。
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目が覚めたとき、夜が明けていた。危険なのかどうかは知らないが、本当に森の中でなんの対策もなく夜を明かしたのだろうか。
いや、そんなことはなかった。近くで炎がふよふよと浮いていた。アズサのものだろう。獣避けか? 気遣いを感じる。
アズサは隣で木に寄りかかりながら眠っていた。流石にこんなところにずっといるのは嫌だ。
アズサの体をそっと浮かせ、今は走らず、刺激しないようにそっと歩く。とりあえず地図を見るが、リテンシスまでまだ遠い。
暇なので、妄想に耽るとでもしよう。妄想とは、腹いっぱいスイーツを食べること。実は俺、チナテラトを出る時にしれっと依頼を受けていた。
もう依頼を受けて入国拒否を免れる事ができるかどうかわからない所まで来てしまっているが、とにかく、その依頼の中に一際目を引くものがあったのは間違いない。
それは岩糖削りのお手伝いだった。店の砂糖がなくなりかけで、取引先が機能してないので手伝ってほしいとのこと。
この世界の砂糖は岩から採れるんだな。岩塩みたい。報酬は500万テルと、まさかのお菓子食べ放題。確定演出ですよこれは。
お菓子と聞いてスイーツバイキングを渇望しっぱなしだった俺にとって、これは受けるしかないのである。アズサも興味があったので、無論受けた。
どんなお菓子があるだろうか……ひたすらにケーキ食い尽くしてやろうか……色々知らないものに手を出すか……楽しみで仕方がない。いけない、よだれ出てきた。
早く行きたい……そう思って歩いてしばらく経った頃、アズサが起きた。
「ん……テンリ君、おはよう」
「ああ、おはよう」
寝ていたら体が浮いている、この状況に一切の違和感を感じなくなってきている。慣れというのはつくづく恐ろしいもんだ。
近くから何かが流れる音が聞こえる。寄り道して見に行ったら、川が流れていた。おお……冷たくて気持ちよさそう。
「アズサ、そこで待っていてくれ」
「え? ちょっとなにするつもり?」
誘われるように、服も脱がないまま川にダイブした。服はどうせ電熱で乾かせるし、洗濯の代わりになるだろ。あと、体がベタベタしてて気持ち悪かった。
そんな状況で川、入らないのは無粋というものだろう。全身の力を抜いて水面に浮く。とてつもない爽快感。このまま魚になってしまいそうだ。ちなみに俺は泳げない。
水中でくだっとしていたら、水が跳ねる音がした。そこを見たら、超上空から縦向きにアズサが水にドボン。
そしてしばらくして、両手を上げながら背筋を伸ばして水から出てきた。さながら飛び込みの選手、笑うしかない。ふざけ倒してやがる。
「ふふ……アハハハハ!」
「アズサ選手、今回の得点は……」
得点を求められた。そうだな、飛び込みそのものはきれいだけど回転とかしてないからな……。
「62点」
「微妙だなあ……」
それからしばらく笑いが響き渡り、ふと我に返る。俺達何してるんだ? そうだ、水浴びしてたんだ。しかし、ずっと浸かってて寒い。
「そろそろ上がろ。アズサはどうする?」
「じゃあ私も上がろうかな」
それから、それぞれ雷と炎の熱で服を乾かしながら、びしょ濡れで朝食を取った。料理とかやりようがないので、適当に作っておいたおにぎりを頬張る。
結論から言うと、そんなに食えなかった。走りすぎて、逆に食欲が湧かない。むしろ眠い。水に浸かって幾分か収まったが。
アズサは普通に食べたが、進みが遅い。だから食べ終わった頃には服が乾ききっていた。
「食い終わったところで、飛ばしていこうか」
また走り出す。歩いて距離を稼いだと言っても本当に微小だ。やっぱり走っておかないと。さて、どれくらいでリテンシスにはどれくらいで着けるかな……。
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早朝、リテンシスについた時、結局体力は切れかけでベタベタだった。川に入って走り出してから二日の経った。
一日は普通に着ける気がしなかったら野宿したけど、二日目は欲張りすぎた。さっさと着きたくて無理しすぎた。
流石にここまで頑張らなくてもいいと今更思ったのだが、なんでなんだろう。やっぱり甘味に頭を支配されてるんだろうか。
「入国……されるのですか……?」
前が霞んでよく見えないが、声でわかる。くっそ嫌そう。でも他の国と比べてまだ対応は良さげ。とりあえず依頼の紙を見せる。
「代行なさるのですか……どうぞ」
入国成功。入って見えてきた町並みはというと、特に何の変哲もない、木造の家屋が並んでいる。ただ、かなり賑わっている。
菓子の店とお茶の店がいい感じに並んでいて、多分それが理由で人が集まるのだろう。
店の近くを通るとほのかに甘い匂いがしてきて、食欲をそそられる。しかし、不思議だ。人が集まっているのに、差別の目で見られてない気がする。
「こんにちは。旅人さんですか? ごゆっくり」
それどころじゃない。挨拶までしてもらった。明らかに俺の扱いが良すぎる。どういうことなのだろうか。俺の顔を見ていないわけでもあるまいし。
「あの、なんか俺に対する扱い良くないですか? 今まで行った国で大体差別されてきたもので」
気になって聞いてしまった。自分でもかなりおかしい質問をしたという自覚がある。
「旅人さんは大体お菓子を食べにここに来るんです。甘いものが好きな人に悪い人はいないですよ」
リテンシスってこういう認識が根付いてるのだろうか。周りの人もうんうんと頷く。何だこの国、最高かよ。
「差別しない国もちゃんとあるんだよ。よかったね、テンリ君、めいいっぱいお菓子食べられるよ」
菓子をめいいっぱい……よっしゃ、やる気出てきた。さっさと依頼こなして、たらふく食ってやる。依頼の場所はどこだったかな……。
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着いた、ここが依頼主の住んでいる場所だ。店のようだが、他の店より一回り小さい。新し目の店なのだろうか。外装はきれいだし。
「すみません、依頼に来ました……えっ?」
扉を開けていきなり目に入ったのは、かまどに頭を突っ込んでいる人。その人は少年のようだ。かまどに火は付いていない。
「ん? 依頼を受けてくれた方っすか? ようこそっす〜」
顔が真っ黒だ。その人は近寄ってきたが、少し後ずさってしまった。
「どうして逃げる……あ、顔真っ黒っすね。すみません、かまどの掃除してたんすよ」
その人は体を洗いに行くと言ってしばらくその場を離れた。お客はいない。よく見たらまだ開店前だ。まだ店頭に菓子も並んでいない。
果たしてどんなものが食べられるのか、それを楽しみにしながら、依頼の事も考えず、依頼主を待った。