後編
※※※※
「……本当に、来たんですねぇ」
呆れを隠そうとしない声で迎えられた。
気分を害して言い返そうとしたが、息が切れて上手く声を出せない。
肩で息をする私の後ろを見た彼が、おやと眉を上げた。
「妹さんは?一緒に来る予定だった筈では?」
そうだ。本当は、今までのことを説明して説得して、アリーシャも一緒に逃げるはずだった。
そのために、目の前の男を雇ったのだが。
漸く、息が整ってきた。
最後に深く息を吸って、彼の質問に答える。
「無理だった。話が拗れたし、公爵も来たし、何故か第二王子まで来てしまったしで、説明すらできなかった」
「そうなんですね」
あっさりと興味なさそうに言う彼に、少しむっとする。
「……随分と他人事だな。拗れたのはお前の所為でもあるんだぞ」
そう詰っても、全く心当たりのなさそうな顔をする彼。
半ば八つ当たりに近いが、言わずにはいられずに、口を尖らせる。
「もうちょっとマシな婚約破棄の理由はなかったのか?私と結婚したいだなんて言うから、アリーシャに説明するどころか、話すら聞いてもらえなかった」
「一番信じて貰えそうな理由だったので」
アリーシャの婚約者だったその男、ジョンは、あっさり言う。
金至上のコイツは、金を払い契約を結べばなんでもこなす。
顔もそこそこ、一代限りの騎士爵を買い、漸くアリーシャの婚約者と言う名の盾として雇えた。
当たり障りのない不透明な緑色の目に、周囲に溶け込む茶色の髪。両親がもみ消せない程度の実力を、騎士として示せるだけの技量。
そんなジョンに出会えたのは奇跡以外の何物でもないが、まあもう必要ないものだ。
「いや、もっとあっただろう?飽きたとか、爵位を取り上げられたとか」
何を言っているんだコイツ、という目で見られた。
訳が解らず首を傾げると、深いため息と共に告げられる。
「料金を、頂いておりませんでしたから」
―――そうだよな。上手い言い訳用の余分な費用など、払っていなかったな。
こちらも負けじと深く溜息を吐く。
……どちらにせよ、彼女は説得できなかったのだ。
きっと、彼女も望んでいなかっただろう。彼女にとって、私は長年自身を虐げてきた姉なのだから。
瞬間、詮無い『もしも』が頭をよぎった。
もしも、私に隙を見て妹と話し合う勇気があったなら。
もしも、彼女が私の行動の意味を考えてくれたのなら。
……けれども、そんな過去はなかったのだから、それを受け入れて生きていくしかない。
「―――隣国への入国は、私一人だ」
「……浮いた分の費用は、如何いたしますか?」
詳しい状況を聞くでもなく、妹はいいのかと踏み込むでもなく、金の事を問う。
……本当に、この男は金に忠実だ。だからこそ、いい。
彼の世界では、金を払ったか払ってないか、それだけが判断基準で、実に明瞭だ。
口では「私に忠義を尽くす」と言いながら、裏では私欲に塗れた行動をする私の執事よりよっぽど信頼が置ける。
病んだ暗い執事の目を思い出し、背筋に上った寒気を身震いで振り払う。
奴が『主人』だとのたまう私は、奴より数段頭が悪い。
私が四苦八苦しながらする作業を難なくこなすのを横で見て、微妙な気持ちになったものだ。
奴に勝っているのは顔くらいだが、それだって微差だ。
周囲に頼りになる人間が居なさ過ぎて、どうにでもなれと貧民街で人を拾いまくった内の一人の執事。いつの間にか、屋敷に残っていたのは彼一人になってしまったが。
……本当に、なんで私に執着するんだろうな。全く理解が出来ない。
と、こんなにのんびりとしてはいられない。
ない頭を振り絞って立てた計画で、今のところ執事に邪魔をされていないが、看破されるのは時間の問題だろう。
「そうだな……浮いた分は「お嬢様」―――げ」
背後から、聞き覚えのある嫌な声が聞こえる。
振り返ると満面の笑みに暗い目の、執事が立っていた。も、もう来たのか???
「……ライアン」
「はい、お嬢様。遅ればせながら、参上致しました」
何事もない一日の様な落ち着いた笑みを浮かべて、そよりとも乱れのない銀の髪に少しのゆるみもない執事服。―――いつでも万能執事のライアンだ。
「申しつけてくだされば、何処へなりとも手筈を整えましたのに……そこの男に金など払わずに」
「は、ははは……」
乾いた笑いしか出なかった。
お前から逃れるために踏んだ手順が殆どだというのに、お前に頼むわけがなかろうなど言えな―――ん?言えないのか?私は。
目の前の、優し気に微笑みながらこちらを責める彼を見る。
それまでは、彼の機嫌を損ねないよう、これ以上面倒事を増やさぬよう、極力彼の気に障らぬよう、言動に注意をしてきた。
そんな凡庸な主などお見通しだろうから、そういう卑屈なところが気に入ったのだろう、多分、恐らく。
―――だが、今は違う。
私が気を遣う妹はもう居ないし、彼に気に入られなくてもよくなった。
多分で恐らくだが、貴族で主の私が自分にへつらうのが面白かったのだろう、趣味の悪いことだが。
……つまり、今までの態度とは真逆にすれば、この執事も私に飽きて何処か別の見知らぬ誰かを主にするのではないか????
これは、三方良しの画期的な解決方法だ。
んんっ!と咳払いをして、先程出した空笑いを散らす。
「もちろん、お前に頼むつもりなどなかったぞ。何せ、お前から逃げる意味合いもあるんだからな」
「……お嬢様」
ライアンへは今まで、天使のようと言われていた笑みと、淑女の鑑と称された雅な言葉でしか接してこなかった。
笑みの一欠けらもないこの冷酷な顔と、男のような乱雑な言葉遣いに、ライアンも驚いているようだ。
―――よしよし、効いている、効いているぞ。
「だから、お前は連れて行かないし、同行を許すつもりもない。此処でお別れだ」
「…………」
遂に、無言になった彼に最後の別れの言葉を贈ろうと口を開く。
「―――漸く、本音を話して頂けた……!!」
「―――は?」
背後からやれやれと言わんばかりの、深い深い溜息が聞こえた。
だがそれに構っていられない。
それよりも、恍惚とという言葉しか当てはまらなそうな表情でこちらを見てくる、ライアンの方が問題だ。
……お前は、私の本音を聞けたことを喜ぶより、私に自身を否定されたことを悲しむべきなんじゃないか?
困惑する私に、そのままの表情でさも大事そうな口調で彼は話し続けた。
「私に執着せず、特別扱いをせず、妬み嫉みを持たず、欲望を浴びせることもなく―――貴方の側は実に心地がよかった」
……その言葉だけ聞いていると、私が聖人か何かに思える。が、単にお前に興味がないだけだ。
「そう!それです、興味が微塵もないと如実に物語る、その目です!―――あぁ……美しい……」
ドン引きだ、なんだこの男は。どんな思考をしたら、無関心を喜べるんだ?
訳が分からな過ぎて、感情を隠すときのいつもの癖で微笑みそうになり、慌てて口角を戻す。
正直に感情を表す、というのは、中々どうして難しいな。
硬直する私の前に、ライアンが優美に跪く。
「――そんな貴方を、愛しています」
そう笑みを浮かべる彼は、『愛を告げる』という題名の芸術作品のように完璧だった。
だというのに、熱烈な愛の言葉を受けたというのに、私の心はことりとも動かない。
父に母に家族という名の空箱を踏みつぶされた時から、愛だの恋だのがいまいち理解できなくなくなったから、というのもある。
が、ただ純粋に、疑問を抱いた。
「お前の言う、その愛の中に、私は居るのか?」
虚を突かれたように、彼の全てが止まる。
それにかまわず、私は言葉を告げた。他者を慮らない自由に、少し酔っていたのかもしれない。
「私はもう、私以外の誰かになるつもりはない。……だから、その愛の相手は他を探してくれ」
微塵も揺るがぬ決意で、彼を見据える。
ためらいがちに少し開いた彼の口から、返答が漏れることはなかった。
卑怯だと言われようとも、今の私に他者を慮るほどの心の隙間はない。
だから、言い逃げにも等しい素早さで、返しのない彼から視線を外した。
そのまま、長年傍に居た執事から離れ、自分の先の見えない未来へ歩を進める。
後悔などしないように、ゆっくりと、一歩ずつ。
※※※※
―――絶対に共に行くと決めていた筈の、彼女の背中が遠ざかっていく。
私が愛したはずの彼女は、私の見知らぬ人になって消えていった。
強烈なまでの執着心が、熾火のように燻り、灰となっていく。
同時に、頼りない自分が浮き彫りになった。
自信に満ちた自分が、彼女に依存してできたものだと今更ながらに痛感する。
孤児だった私が、『私』になれたのも、主人となった彼女のおかげだったのに……どこで間違えてしまったのだろうか。
孤児院で一目見た瞬間、天使が降りてきたんだと思った。
その天使に選ばれて、ひたむきに彼女の役に立とうと思っていたはずなのに。
次から次へと子供たちが雇われ、自分は特別じゃないんだと悟った時からだろうか。
大人も子供も私に執着してくるようになって、自分以外を見下すようになった時からだろうか。
それとも――――
血のにじみ出るほど、唇を噛んだ。
それをそっと制してくれた彼女は、もう居ない。
外聞を気にしての言葉だったとしても、僕には甘く聞こえていたその声はもう聞けない。
そして、自嘲する。あんなことを言っておいて、結局自分を見てほしかっただけじゃないか。
彼女の拒絶に、自分の身が竦んだのも事実で。
けれども、偽りの彼女であることを彼女が苦しんでいたことも事実で。
お嬢様への愛を認めてくれと叫ぶ幼い自分と、己の足で立てないことを見透かされて恥じる自分が、入り乱れる。
だというのに、子供のように癇癪のまま行動のできるほど、幼くあれなかった。邪魔なプライドだ。
「……どうすれば、よかったんだろうか」
呟いた言葉は、森に吸い込まれて消えていった。
※※※※
「………どいういうこと、だったのでしょう」
思わず零れた、返事を期待していなかったソレに、力強い声が答えた。
「アリーシャ、惑わされてはいけないよ」
「シオン様……」
少し前に参加したパーティーで、いつものようにお姉様の友人に嫌がらせでドレスを台無しにされて。
庭園で一人、呆然としていたところを助けてくれた彼。
そんな物語みたいなこと、私に起きないと思っていた。私の唯一の味方。
安心させるように微笑むその彼を、いつもならば信じることができたのに。
『―――疑え』
お姉様の声が、耳から離れない。
「姉を信じたい気持ちはわかるが、彼女にされたことを思い出してほしい。優しい君だけれども、そう簡単に許してはいけないよ」
その言葉に、そうだったと思い返す。
誰も彼もお姉様のためにと、私を罵り、私を痛めつけ、私を蔑んだ。
そう、周りの誰もが。だから、お姉様を許したら――――――あれ?
頷こうとした私の体が、硬直する。
―――お姉様は、私に、何か、したかしら?
思い返してみても、そんな記憶は見当たらない。
でも、だって、一言だって私を好きだと言ってくれなかった、だから。
暴言は吐かなくても、きっとお姉様も私のことを醜いと思っていて。
暴力は振るわなくても、きっとお姉様も私のことが嫌いで。
態度にあらわさなくても、きっとお姉様も私の黒髪を蔑んでいて。
だって、誰もがそう言っているから、シオン様もそうだって、だから、お姉様も、そう…………
『―――疑え』
お姉様の声が、私の思考を複雑にする。
顔を上げると、他の人とは違う、シオン様の労わるような目が見えて。
憎悪の目、蔑んだ目、憐れみの目、怒りの目。そんな視線に晒されるたびに思うの。
……私が、何をしたっていうの?黒髪黒目なんて、それだけではないの?どうして?なぜ?
……でも。
羨んでいた、美しく輝くあの蒼い目は、私をいつだって真っすぐに見ていた。
そう、いつだって。
「わたし、は……」
「……いきなり、あんな本性を目の当たりにして、混乱してしまうのも無理はない」
優しく私の肩を包むシオン様。
頼りになる、私の友人で、私の信じられる人で。
「だから、後は私に任せてくれ。彼女もそこの王子も、私が良きように解決しよう」
―――『良きよう』って誰にとって?
一度疑問に思ってしまうと、全てがわからなくなってしまう。
あんなに信じていたのに、あんなに頼っていたのに。
いつだって私は、恐怖に首をすくめて、痛みに目をつむって、怒鳴り声に口を噤んできた。
それ以上考えたって無駄、だって考えたところで何も変わらない、むしろ悪くなるもの。
だから、それでよかった。言葉通り受け取って、行動はすべてその人の本心で。
私の世界は、ずっと単純だったのに。
『―――疑え』
差し伸べられた手を、私は取れなくなっていた。
※※※※
いつもなら当然のように受け取られるはずの手。
けれども、何時まで経っても、小さの手が乗せられることはなかった。
……何故だ、私の計画は完璧のはずだ。
やっと見つけた、私を真っすぐ見てくれる人。優しくて、可哀想で、私が守るべき人。
公爵だから顔が整っているからと、嫌悪感を媚びで堪える奴らに囲まれていた私の、唯一の人。
だから、私を頼るよう、囲い込んできたというのに。
あの女が、アリーシャを陰ながら守っていたのも、知っていた。
常に変わらぬ笑みを浮かべ、僅かにずれた視線は一度も合わず、実にもならぬ話しかしない、くだらない女。
いくら女神に似せようと、所詮はその他の女と同じ、自分本位な女。
そうだ、アリーシャを守っていたとはいえ、その方法はお粗末なものだった。
忠誠心の低い侍女、ずさんな態度の護衛、大した知識のない家庭教師、そして忌々しい愛のかけらもない婚約者。
辛うじて彼女を両親から守るだけのもので、周囲の悪意や敵意からは何の足しにもなっていなかった。
―――私だったら、もっと上手く彼女を守れるのに。
妹への行いに賞賛されていたようだから、それだけが目的だったのだろう。だから、彼女は手を抜いていたのだ。
幼少期の、私が出会う前の彼女を守っていたことは褒めてやるが、そのせいで堂々と彼女を得られなかった。
ハリボテとは言え婚約者がいて、更に公爵の妻という表舞台に立たせたくない伯爵は婚約を認めてくれなかった。
……婚約者さえいなければ、育児放棄していてくれれば、強引に婚約できたものを。
だが、あの女の庇護さえなくなれば、後はあの親っぷりだ、直ぐに馬脚を露して、彼女は私のものになる。
アリーシャの婚約を破棄させて、あの女がこの国から逃げようとしていたのに便乗して。
あの女の美貌に惑わされた国王が秘密裏に囲おうとしていたから、それから逃れるためだろう。
王とはいえ、五十を超えた男になど、囲われたくなかった、ということか。
アリーシャも連れて行こうとしていたが、彼女を小間使いになどさせてたまるか。
だから、彼女を連れていかれないよう、王子を誘い出して邪魔をしたというのに。
―――初めて真っすぐに見た、強烈なまでの蒼い目。
酷すぎる言葉遣いも歪んだ笑顔も、面を食らったものの、本性を現したと思ったのだが、あれは。
……いいや、私は間違えていない。
思考を振り切るように、期待を込めてアリーシャを見つめた。
信頼を浮かべていたはずの大きな黒い目は、戸惑いながら揺れていて。
何かから守るように両の手を握りしめていて。……何故だ、何故なんだ。私は、ただ。
振り切っても、あの女の目が、声が、離れない。
私は、間違えていない、まちがえていない、そう、いない、はずだ。
―――なのに、私の手は、カラのまま。
※※※※
後ろを懸命に走る気配に、溜息が出そうになる。
思ったよりも、厄介な仕事だったようだ。
仮初の婚約者という、長期だけど実入りのいい仕事、だったはず、だけどなぁ~。
ややこしくなりそうな面々を思い出して、今度は溜息が出た。
後ろのお嬢様は、これで解放なんて思っているんだろうが、それは無理だろうな。
さっきの未練たらたらな執事もそうだが、お嬢様に執着している王子に、旗頭にして荒稼ぎした伯爵夫妻、狂信者と化している彼女の信奉者に、彼女を囲おうと必死の国王とその前に自身の傀儡にしようとする王妃。
妹の婚約者だというのに、お嬢様と近しい存在になったと、方々から俺を殺そうとしてきていたのだから、推して知るべきだろう。
……高々、隣国に逃げたところで追いかけてこない保証などない。
それに加え、あの妹を狙っていた公爵様。
随分と腹黒そうだったから、妹のため、とか言ってお嬢様を殺すくらいしそうだったけど。
生きてここに現れてひそかに驚いていた。
後ろを振り返って、不揃いな金髪をなびかせ汗にまみれながら走る、どこからどう見ても麗しい令嬢。
―――生きる環境は悪いが、運は案外いいのかもな。このお嬢様。
「ま、まだ、はしっる、のかっ?!」
「はーい、まだです」
嘘だろう、と慄く彼女から視線を外し、前を向く。
彼女を取り巻く複雑な関係に、取り込まれてしまった己の不運を嘆いた。
女神のよう、といわれた彼女の容姿は、俺にはあまり理解できなかったから、なおさらだ。
やっぱり、金はシンプルでいい。
愛だの信頼だの情だの、価値の相場が千差万別なものを換算するから、こうなるんだ。
金があれば繋がり、なくなれば切る。それだけ。
金があれば、路地で死にかけてた俺にも爵位を得られる。
金があれば、前を通るなと俺を蹴飛ばした宝石店の店員だって媚びて頭を下げる。
金があれば、石ころのように俺を捨てた母も愛してると言ってくる。
これまでも、そしてこれからも、俺に必要なのは金だけ。
だから、そう、だから、あの時目の前に飛び込んできた彼女を、息を弾ませて不器用な笑みを浮かべていた彼女を。
――――美しい、だなんて、思っていないんだ。
※※※※
「………はぁ、焦った」
追われるように速足で、森の中の荒れた道を進む。
飄々としたジョンのみで、ライアンの影も形もなかった。
安堵の溜息を吐く。
まぁ、愛も知らぬ小娘の、あれしきの戯言で思いとどまるのだから、然程強い想いでもなかったのだろう。取り越し苦労だったか。
「で、このまま国境を超える予定は変更ないですか~?」
「ああ、少し時間がかかってしまったが、想定内だ。馬車へ案内してくれ」
かしこまりました、と先導するように、前へと進み出るジョン。
その広い背中を見ながら、深呼吸をする。
爽やかな木々の香りが、胸いっぱいに満ちた。
それと同時に、少し笑いがこみあげてくる。
公爵の、あの間抜け面といったら!
アリーシャも、惚けた顔をしていたな。
ずっと鬱陶しいと思っていた王子も殴り飛ばしてすっきりしたし、しつこい執事にも本音をぶちまけられた。
―――ああ、今ならなんだってできそうな気がしてきた。
隣国で一先ずの仮拠点は用意してある。
死んだことになるはずだから、追っ手の心配もない。
カフェで働くのもいいかもしれない、それともパン屋で売り子なんて楽しそうだ。
代筆屋も手堅いし、ギルドで受付なんて刺激的だ。……ああ、心が躍り出しそうだ。
―――そして。
「恋、してみたいな」
前を歩くジョンが、むせたように咳き込んだ。なんだ、水でも飲むか?
物申したそうな彼を無視して、目を閉じる。
だって、私はもう、我慢しないのだから。
※※※※
※お読みくださりありがとうございました!