第14R 宣戦布告
一口の馬がマジで可愛いので初投稿です。
ダービーウィーク楽しみだな〜!!本命ダノンベルーガで全力応援予定!
【朝日杯FS結果】
無敗の逃げ馬、ダイナモが優勝!荒岩騎手は累計3度目のGⅠ勝利に
──12月某日、阪神競馬場にて行われた朝日杯FS。有力馬が集い大混戦となったオッズの中、1番人気のダイナモが期待に応え1着入線を果たした。
2着にはカデナクルワール(3番人気)、3着にはスーパープーヴォワ(8番人気)が入着。
絶好の再内枠から飛び出したダイナモは、スタートダッシュを決めてペースを取る形となった。道中もハナを譲らず、速い展開を維持したまま粘り強く直線を伸び、2歳マイル王の栄冠を手に入れた。
荒岩将輝騎手は本タイトルで3度目となるGⅠ勝利。調教師である住友康文氏とはフリーとなる前より師弟関係にあり、嬉しい勝利報告となった。
『かなり速いペースでしたが、この馬には合っていたようで、手応えよく直線に出てくれました。負けず嫌いな性分が噛み合った結果だと思います。』と荒岩騎手は語った。
厩舎に戻った後も怪我無く、調子は良好。しばらくは放牧にてリフレッシュさせる予定で、来春の弥生賞を皮切りにクラシック路線に向けて──
「……なぁに真面目な顔で読んでやがんだ、彰っ!」
「ひっ!うわあっ!?」
突如背後からかけられた声に驚いて、思わず肩が飛び跳ねる。宙に一瞬浮いた携帯端末をなんとかキャッチすると、苦情の一つでも言ってやろうと、彰はその場で勢いよく振り返った。
「……急に話しかけるなよ」
「油断してるお前が悪い」
不機嫌さを表に出して、空太はふんっと鼻を鳴らした。すると、二人の間で首を伸ばしていたヨサリオーロが空太に対して歯茎を見せて、不穏な音を立てて睨みを利かせていた。その行動は、不快に思う相手へ咬みつく五秒前にとるものである──ということを知っていた空太は、さっと一歩引いてすぐさま距離を取る。
一勝クラス、百日草特別から、はや一か月と少し。阪神ジュベナイルフィリーズ、そして朝日杯フューチュリティステークスが無事決着。年内のGⅠは有馬記念とホープフルステークス、ダート競走である東京大賞典を残すのみとなった。年の瀬が近づくにつれ、ヨサリオーロが所属している中丸厩舎も、緊張の糸が張られているかのようにぴりりとしてくる。
競走馬と関わる際には、丁重に、それでいて慎重に。大事な時期に怪我だなんて以ての外──寒さ凍える美浦村のトレセンで、中丸調教師は皆にそう言い伝えた。本番はまだ少し先だが、ヨサリオーロも厩舎の雰囲気が分かるのか、最近はかなりやる気に満ち溢れた表情で走ってくれている。たまにあの空太でさえも振り落とし、一人でCWのコースを走り回ろうとするのは、もはや御愛嬌とも言えるだろう。
一日分の調教を終え、脚や馬体への異常が無いかも確認済み。馬房で甘えた声を出すヨサリオーロと一緒に、彰は先日行われた二歳GⅠ競争、朝日杯フューチュリティステークスの結果を見ていた。横入りしてきた空太が少し不機嫌なのは、そのレースでまんまとライバルに逃げ切られてしまったからだろう。
──ネットの記事を見るよりも、実際に乗って走ってきた人間に聞いた方がいいに決まっている。
彰は馬栓棒に背を預け、ヨサリオーロと謎の攻防を繰り広げる空太に対して話しかけた。
「お疲れ様。どうだった、レース」
「……マジ、ありえん。悔しすぎるな」
「乗り方でどうにかなる?」
「いや……そうだな、なってたかもしれない。でも多分、俺がやったら壊してた」
「あー……そうか、なるほどねえ」
三馬身差をつけて圧勝した優勝馬、ダイナモ。空太が乗ったのはその後ろ、堅実に好位につけ、溜めた足を直線にて伸ばした。しかし、番手につけた馬のプレッシャーも知ったこっちゃないといった様子で、先頭を走るダイナモはまた加速した。
二歳GⅠ。それは未来の栄光、クラシック・ロードへ向けての出発点。才能の兆しを見せつけるべく戦う若武者の大舞台だ。すなわち、ここで無理やり勝つこともできるが、その先も考える必要があるということ。
「カデナクルワールもなあ、すげーいい馬なんだけどなあ……。嘉手納さんに初めてGⅠ勝ちをあげられるかもって思えるくらい、仕上がり良かったし」
「嘉手納……ああ、馬主さん?」
「そうそう……つっても、二着でもめちゃくちゃ喜んでくれてはいたけどな」
空太は嬉しいような、悲しいような、複雑そうな顔をして笑っていた。事情を聞けば、長く馬主をやってきて、今回初めてGⅠに挑戦したのだという。それで、二着。充分な働きをしてくれたと、泣いて喜んだらしい。
「でもせっかくなら、勝たせてやりたかったなあ……なのに、くそ……」
「まあ空太、また次があるよ。ここだけが全部じゃないんでしょ?」
「勝つならここだと思ってたんだ、それに……」
「……それに、なに?」
聞いてくれよと言わんばかりのその態度に、彰は足を組み直しながら訊ねてやった。ヨサリオーロもその様子が気になったのか、寝藁を二、三本はみながら首を伸ばしている。
鼻の先まで真っ赤にさせて、空太は悔しさを表に出しながら、白い歯をむき出しにして言い捨てた。
「──この俺が!あの将輝に負けたのが!嫌だっつってんだよ!」
将輝。なんて懐かしい名前なんだろう、と彰は思った。
──荒岩将輝。
栗東所属、数年前に独立したフリーの騎手であり、先日の朝日杯フューチュリティステークスにて、見事GⅠ三勝目を飾った人物だ。平場の勝率もかなり高く、栗東のリーディングではいつも三位から五位あたりに座している。
そして、なにより。彰と空太とは同い歳であり──二人とは競馬学校時代の同期であって、大切な仲間だった。
そして彰は、将輝が勝った後のジョッキールームの様子が、なんとなく想像に難くなかったのである。
食って掛かる勢いで体を乗り出す空太に対して、彰はどこか懐かしい気持ちになりながらも肩をすくめた。おそらく、こんな風に喧嘩を吹っ掛けたか。それとも相手が煽り返してきたか。背中のフードに寝藁をこっそり入れるいたずらをしたヨサリオーロをたしなめ、その場で脚を組み直す。
「ていうか、まだそんな張り合いしてたの?二人とも」
思わず、ため息を一つ。わたわたと手を小さく振り回しながら、空太は弁解するように口を開いた。
出走直前、将輝が空太に対して堂々と逃げ切り宣言をしてきたこと。その言葉通りのレース展開になったこと。言わばその走りはもはや暴走機関車のようでもあり、かかりながらも根性で千六百メートルを単独で駆け抜けてしまったと。悔しくもその見事な手腕を褒めてやれば、悔しいであろうことを見抜かれて鼻で笑われてしまったこと、その他エトセトラエトセトラ。
感情が沸騰しかけるあまり涙をにじませながら、空太はとにかく思いの丈を語った。
「次は絶対に勝つ……あいつの言ったこと、そっくりそのまま返してやる……」
「え、なんて言われたの?」
「聞いてくれるか彰!バカって言われた!」
「ほんとじゃん」
「はっえええっ嘘!?彰ぁ!?」
掌を返され、酷く驚く様子を見せた空太の表情は、学生時代と何ら変わりがない。将輝はどうだったかな、と彰は一人思考を巡らせる。
筋肉質な身体を活かして、ガシガシと強く馬を追う乗り方。容赦なく鞭を振るう競馬中の姿に、毒舌なコメンテーターばりの鋭い一言──同期、特に空太に対しては少しばかり子どもっぽくなるその口調は、もはや恒例と化した茶番劇だと言ってもいい。
そんな彼に付けられた異名は、『浪速の荒らし屋』、荒岩将輝。これを初めて知った時、彰は可笑しくてけらけらと笑ってしまったものだ。
未だに頬を膨らませる空太に対し、彰は手持ち無沙汰にヨサリオーロの鼻先を弄りながら、改めて声を掛ける。
「クラシック路線だってね」
「……そうだな、順調なら次走は弥生賞だって聞いた」
「じゃあ、次に会うのは皐月賞なわけだ」
空太は下がり切った目線を戻して、彰を見つめた。適当にあしらったからか、どこか疑るような曖昧な顔つきだ。それすら笑い飛ばすように、口元をぐっと引き上げ、相手に向けて拳を突き出してやる。
「将輝って、いつも余裕そうに笑ってたじゃん。実は俺も、将輝があっと驚く顔を一度は見てみたかったんだ」
ぱっ、と相手の顔色が変わったのが見て取れた。空太は切れ長の目を繰り返し瞬かせて、にんまりと歯を見せて笑っていた。くっくと悪役のような声をもらしながら、彰の拳と己の拳を軽くぶつけあわせた。
「俄然、やる気が出てきた」
「無理しない程度にね」
一生懸命になりすぎるきらいがある彼に一言添えると、むっとした顔をされながらも一応、頷きを返してくれる。
朝日フューチュリティステークスを制した馬、ダイナモ号。
ヨサリオーロと走らせたら、どちらが速いのだろう。どのコースが得意なのだろう。輸送は、距離は、血統は。考えることはたくさんあるが、とにかく今は、相まみえることが楽しみだった。
しかし。
六戦六勝、そのうえ二歳重賞の勝ち鞍。この時期の二歳馬とは信じ難い戦績を持つヨサリオーロでさえ、次の勝負への仕上げには余念がない。調教を見守る中山調教師の視線は、余裕を持つどころか厳しいばかりだ。それも、ヨサリオーロの能力が、圧倒的に他の二歳馬よりも秀でていると評価をされていても、である。
勝った五戦は寂れた競馬場、附田の小さいダートコース。中央競馬、芝コースでの勝利は、先日東京競馬場にて行われた百日草特別のみ。能力が拮抗した相手との勝負は、まだまだ経験が足りていないと言えるだろう。
──競馬に、絶対はない。
その言葉は存外正しくあり、異例の経歴を持つヨサリオーロにもそれは当てはまる。地方とはまるで格が違う、ヨサリオーロ陣営にとっての強敵が待ち構えていることは確かであった。
彰は小さく、ふうっと深く息を吐いた。首を動かすことはなく、ちらりと視線だけを横に逸らす。
「……あのさ、さっきからここを覗き込んでるの、誰?」
「あー。普通に、敵情視察じゃね」
「ええ……普通に……?」
それは、他の陣営からしても同じことで。ヨサリオーロがいる中丸厩舎を、窓の外から覗き込む者が複数人。雑誌の記者なのか、カメラを持った人物もちらほら。へえ、と彰は声をあげてその様子をこっそりと眺めていた。
「言ってくれたら、中丸先生がきっと答えてくれるのに」
「先生は長い付き合いのある記者からじゃないと、めったに取材を受けようとしないからな。お前なら話聞けるかもって、下に見られてるってことだぞ」
「あー、そうなんだ……」
前にもこんなことがあったな、と彰は首を捻らせた。附田競馬場での、馬主席での出来事だったか。怒るほどのことでもないが、周りに迷惑がかかるのではないかと不安が募る。
「言えることは何もないけど、正直に聞きに来てくれたら頑張って答えるのにね」
ヨサリオーロはバナナよりも、旬の時期の甘いリンゴが好きだとか。実は昔さく癖があり、苦労して皆で治したことがある、だとか。その程度だけれど。
空太はくしゃっと笑って、「そうだなあ」と答える。
「確かに正々堂々、正面切ってきて出てきてくれた方が都合がいいや」
その言葉を聞いたのかどうか、それは定かではない。しかし、それは突如としてやってきて、二人と一頭を酷く驚かせた。
まるで急ブレーキをかけたような音がしたかと思うと、力強く扉が開かれたのだ。白い空に反射する眩しい日差しを背に、一人の人間が中丸厩舎へと飛び込んだ。
「──お忙しいところ恐縮ですが、お邪魔いたします!」
「邪魔するなら帰ってー」
「承知しました、失礼いたします」
「……いや待って、ちょっと待って待って」
思わず、彰は厩舎を立ち去ろうとする人影を引き留める。突然二人を驚かせた犯人はきょとんとした顔で、腕を掴んだ彰を覗き込んでいた。
空太よりも少し高めの身長と、童顔に感じさせる大きな目。きりりと吊り上がった眉が、どこか真っ直ぐな性格を表しているように思える。
想定外にまっすぐな視線を向けられてたじろぐが、彰は掴んだ腕を離すと、困ったような声色で改めて声を掛けた。
「えっと、何か用事があってきたんじゃないのかな……ですか?」
どこか歪な語尾になってしまったのは、相手が自分よりも年下だろうと思い込んでしまった節があるからだ。まるで高校生のようにも見える相手に対し、どの立場で声を掛けるべきか、迷いが生じた片鱗を隠しきれなかった。その結果、子どもに語りかけるような口調になってしまったことを彰は悔やんだ。
しかし相手はけろりとした顔で、「お忙しいのでは?」と訊ねてくる。彰は適当に返事をした空太の方を睨みつけてから、「全然大丈夫」と手のひらを見せて笑った。
またもや馬房へと戻ってきた青年を見て、空太は微妙な顔をしてみせた。昼の給食と夕飯がどちらもカレーライスだった時のような。はたまた、今から勉強をしようとしたタイミングで、母親に「あんた宿題やったの?」と言われた時のような。とどのつまり、少し飽いたような表情を顔に乗せていたのである。
しかし青年は慣れた様子で、その場で美しく一礼を返してみせた。
「高伊先輩、お疲れ様です」
「別に疲れてねーけど」
「定型の挨拶ですので、お気になさらず」
「ええ、なに……なんなの?この雰囲気は……」
空太のそっけない態度に若干引き気味の彰は、そっとヨサリオーロに寄り添った。対してヨサリオーロはようやく自分に構ってもらえて、ご機嫌な様子で頭をくっつけてくる。「嫌味なヤツ!」という空太のとげとげしい言葉を軽くあしらいながら、青年はこちらにもぺこりと頭を下げた。
「お初にお目にかかります。会津厩舎所属の騎手、梅村浩成と申します」
「え、あっこれはどうも、ご丁寧に……」
若人は視線をあげると、じっと彰を見つめた。返ってくる言葉を待っているようだった。
──なんだ、挨拶もしっかりしていて、随分いい子じゃないか。
舐められる様子もなく、礼儀正しく頭も下げてくれる。敵情視察、と空太は言っていたが、実は挨拶だけしに来てくれたのではなかろうか。
少しほっとして胸をなでおろしながら、彰も帽子を取って、軽く一礼する。
「須和です。中丸厩舎でヨサリオーロの世話をするためにお世話になってます」
「はい、存じております。──地方で二歳のうちから活躍された、ヨサリオーロ号の馬主さんで、ブリーダーさんで、厩務員さん。そうですよね」
彰は目を見開いた。噂が回るのは早いだろうとは思っていたが、彼は随分とこちらの内部事情を知っているらしい。よくぞご存じで、そう返す前に、目の前の相手から次の言葉が放たれた。
「地方ではあの熊谷騎手が鞍上だったようですね。先日の百日草特別、地方の時とは違って出遅れる様子がありませんでしたが、あれはやはり作為的なものがあってのことでしたか?」
「……えっ?」
「嗚呼、とは言っても最後の重賞レース。あの時も出遅れる様子はなかったようですが……ハミも変わりましたね。地方の二戦目から四戦目まではホートンハミを使っていたようですが、重賞レースからは通常のものとお見受けします。ヨサリオーロの操作性が良くなったということでしょうか?それとも、高伊先輩がホートンハミを扱いきれないだけ、ですか?」
話にだんまりを決め込んでいた空太が、ぴくりと不機嫌そうに眉を動かした。
──ホートンハミ。制御力が強い反面、それを扱う騎手の技量が多く問われる馬具の一つである。その使用具合の難しさゆえに、競馬場でお目見えする機会はあまりないと言ってもいい。
附田では、ヨサリオーロが他の馬の近くを走ることを嫌ってか、外へ外へと行きたがる面が見られた。使っている間は良かったが、通常のハミに戻し、いざ中央競馬初戦──その結果があの、第三コーナー前からの大外まくり事件である。
実際のレースで、ヨサリオーロと目の前の彼は会い見えたことはなかったはず。GⅡやGⅢを勝ち越しているわけでもない。それなのに、なぜ、彼はヨサリオーロのことを知っているのか。
硬直して声も出ない彰に対し、疑問に答えるようにして梅村はようやく笑顔を見せた。
「全部、調べました。僕は結構理論派なんです」
そういうタイプか、と彰は思わずその場で頭を抱えた。
レースの直前まで情報を仕入れ、脳内で展開を組み立てる。長い経歴を持つ騎手にまでなれば、その脳内予想は実際に行われたレースとほぼ変わらないという。スタートダッシュの決め方、序盤の位置取り。折り合いの付け方にスパートをかける瞬間。直線はどこまで伸びて、ゴール板よりもどの程度手前で差し切れるのか。全て綿密なレース構成を考えた上での本番。全て手筈通りに進んだ時の勝負は、圧倒的な横綱相撲だ。
空太の同期である将輝や、前回一緒になった田名部という騎手もそのタイプで、彰と空太は正反対で感覚的に乗る騎手だった。そして、彰は空太がなぜ梅村を苦手としているのかが、なんとなく理解できた。
口が達者で、少しでも気を抜けば計ったようにゴール直前で差し切られる。将輝と同じだ、彼の立ち回りは。
「……ちなみに先ほど、敵情視察と仰っていましたが」
目の前の若鷹は、生真面目一辺倒だった表情を一転させていた。大きな丸い瞳には、まるで火の玉のように勝気な意志がめらめらと燃えている。きゅっと釣り上がった口元は笑みで歪んでいて、爬虫類の如き鋭く剣呑な雰囲気を漂わせていた。
「残念ながら、そうではありません。これは、宣戦布告です」
「……随分と言ってくれんじゃねえか、先輩に対して」
「そうですね。勝てると思っているからこそ無礼な真似をしています」
梅村は目を瞑って笑っている。あどけない表情のように見えるが、その様は狩りをする側の意識が表立って現れている。現に、背中を狙われる側である空太の表情はどこか厳しく、棘が立っているように思えた。
「うちのキララアバンティは、ヨサリオーロよりももっと、ずっと強いですよ」
宣戦布告。ヨサリオーロに勝ってみせると、そう言い切っている。自信の表れが見て取れた。
しかし、空太だってそれを聞いて黙ってはいられない。凝り固まった首をぱきっと鳴らしながら、力強く相手を睨み返してみせる。
「だとしても、うちのヨサリオーロは」
「──うちのヨサリは、負けません」
予想だにしない場所から、答えは返ってきた。空太はキョトンとした顔をして、ゆっくりと後ろを振り返る。拳を握りしめた彰が、真面目な表情で梅村を見ていた。口が開かれるたびに、白い蒸気がふわりと漂う。
「それでもヨサリオーロが強いですし、鞍上はあの高伊空太ですから」
青く静かな炎が灯る。熱が通った視線を交わされ、空太はぞくりと肩を震わせ、笑った。
信用と共に、信頼を得たのだと知ったからだ。散々だと思っていた百日草特別。そこで、次に期待を乗せるための根拠を与えることができたのだと。
空太は静かに、首を一度だけ縦に振った。梅村は少しだけ驚いたように目を見開いて、すっかり元の真顔に戻ってしまった。
「そうですか。判りました」
意見を押し切るようなこともなく、梅村はその場であっさりと身を引いた。きっちりと一礼をしてみせた直後に、ヘルメットを上げて丸い双眸が真っ直ぐに二人を見た。その溜まった熱は冷める様子も無く。
「なら、年末の中山で会いましょう」
どちらの言い分が正しいのか、そこで判ります。
そう言い残して、梅村は中丸厩舎を立ち去った。開いていた扉が閉まって沈黙があたりを支配すると、張り詰めていた空気が緩み、ほっと二人で息を吐く。彰が馬栓棒に背を持たれると、その横では空太が嬉しそうに頬を緩めていた。
「……なに」
「いや、嬉しいなと思って。まさかあの彰がここまで言い返すとは」
「……リーディングジョッキーでしょ。後輩に舐められてんなよ」
「え〜いやあ、お前が言い返してくれるんならいいかな」
彰は呆れ、冷たい視線を送る。馬房の中で耳を後ろに倒していたヨサリオーロは、閉まった扉の向こう側をいつまでも睨みつけていた。
「……ブフン!」
ヨサリオーロは、敗北を経験したことがない。ただただ、一番早くゴールを走り抜くことができたら、身の回りの人間がたくさん喜んでくれることだけは知っていた。
ヨサリオーロを苛立たせた人間は、先ほどの生意気な子どもを合わせて三人目だ。
ヨサリオーロは、他の馬に対してほぼほぼ対抗意識というものを持ったことがない。だから、もし負けず嫌いな面が出るとしたら──それらに跨る、気に食わない、身内以外の人間に対して。
「…………フンッ!」
標的、ロックオン。
狩る側は決して、一人だけに止まらない。
*
みちのく新報 スポーツ面コラム:【今週の中央競馬】 著者:寺田修一
☆積雪により附田競馬は休場中。その間はみちのく新報随一の予想屋記者、寺田が中央競馬の本命馬をピックアップ中!
次のGⅠレースは二歳馬の中距離王者が決まる一戦、ホープフルステークス。冬の中山で行われる芝二千メートル戦である。このコースでは直線入口からスタート、最後の急坂を二度駆け上がる。距離適性に加えて、根性と身体的なタフさが求められるのが特徴だ。今回はこちらの本命馬をご紹介しようと思う。
【ズバリ!寺田の大本命印◎】
本命馬は二戦二勝、無敗のクラシック王者候補と名高いキララアバンティ(牡2・会津厩舎)だ。新馬戦では圧倒的な実力差を見せつけ、驚異の五馬身差をつけ最後は流してゴールイン。二戦目となる京都二歳ステークスでは内に控えて直線抜け出し、王道の競馬で重賞初勝利を飾った。
タフな競馬が求められる中山二千メートルは、最終コーナーを過ぎての直線が短いということは皆ご存知であろう。つまり、逃げ馬は潰れ、追い込み馬は最後の追い上げに間に合わないのだ。よって本命とするべき馬は、好位抜け出しもしくは差し馬となる。
重賞を勝利し、二戦とも上がりタイムは上位二頭以内。昨年皐月賞を勝利し、ノリに乗っていると言える梅村騎手を背に、キララアバンティの中山一人旅。彼を軸にして構成を考えるべきではないかと予想する。
そして、ここから先は余談である。
このホープフルステークスには、我々附田競馬出身の競走馬が一頭出走する予定だ。二歳馬唯一と言っても良い圧倒的勝利数、六戦六勝を誇る渦中の彼、ヨサリオーロ号(牡2・中丸厩舎)である。
彼の名前を挙げたのは、附田競馬の二歳重賞レース、ジュニアカップの予想記事ぶり。久しく見たこの名前に、私は感無量で咽びそうになってしまった。
追い込み馬にはかなりむず痒いレース内容となるだろうが、鞍上は皆様ご存知高伊空太。たった一戦、されど一勝。砂から芝へと舞台を変えても、一着で駆け抜けた青鹿毛の馬体に、私は夢を見たい。
キララアバンティ(牡2/先・差)◎
アットレー(牡2/差)◯
ブルーロジャー(牡2/先)△
ヨサリオーロ(牡2/追・ま)☆
※馬券は20歳になってから ほどよく楽しむ大人の遊び!本予想も当たるも八卦、当たらぬも八卦でございます。
(著者:寺田修一)