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目立っているのではないか、とシエラは出来るだけ小さくなろうと体を縮めた。
城下町は賑やかで、天気も上々。
生前ならば遠乗りのひとつにでも出かけていそうな日より、今のシエラは、騎士を二人従えてとぼとぼと大通りを歩いている。
「目立たない服でおいで」
そう言われて、クローゼットに取り揃えられた中から、一番地味な色合いの膝丈フレアワンピースに長靴下という恰好をしてきたのに。
両側に、上官の紀章をつけた騎士が二人いては台無しではないだろうか。
「そうしてみると、すっかり貴族のお嬢さんのお忍びって感じだねえ」
「ああ、違和感がねえなあ」
元々貴族、元農家、現迷子のシエラは、曖昧に笑う。
あそこにしよう、とセヴィランが指さしたのは、いかにも女子が好みそうな店構えのレストランだ。
客層に合わない男二人だが、気にする様子もなく入っていく。
「なんでも食べていいよ」
「ありがとうございます……」
さすがに、お金を持っていません、とは言わない。
この状況でシエラに払わせるなど、騎士道どころか人の道に反するだろう。
ありがたく、おごってもらうことにした。
「君は、お父さんを探す以外に、やりたいことはないの?」
男二人はコーヒーを、シエラはチーズたっぷりのキッシュをあつあつと食べていたタイミングで、そう聞かれた。
もぐもぐと咀嚼してから、
「お父……父を探すために王都に行きたい、そのためには傭兵になればいい、とは考えていました。
それがやりたいことかと言われれば……うーん。
でも、いいですよね、誰かのために戦うって」
そう言って、またキッシュを切り分ける。
ちゃんとした生クリームを使っていると分かる、ミルキィな香りと、塩っ気のあるチーズとベーコンがとんでもなく美味しい。
なんなら、貴族だった頃に通った高級店よりも美味しいかもしれない。
舌が庶民に寄ったのかな?
ふと気づくと、二人はまじまじとシエラを見ていた。
「え?」
「いや。
そうだな、傭兵は無理にしても、ちょっと体を鍛えてもいいかもしれない」
「ああ、少なくとも、年相応の体力は必要だろう」
「魔力は体力でも多少変わるからね。
まだ伸びる可能性もあるし」
もぐもぐしながら頷く。
その様子を、外からじっと見つめる目があった。
「さてじゃあ、僕らは本部に戻るよ。
君は、馬車で帰ろう。
乗り場までついていくから」
「歩いて帰れます」
「そうだね、もちろん。
でも、君の立場はちょっと特殊だからね?」
「そうでした」
馬車だまりの一両に乗せられ、ローズ大佐が御者に行先を告げ料金を渡している。
「気を付けてね」
セヴィランが扉を閉め、馬車はゆっくりと走り始めた。
ふう、とため息をつく。
大きな嘘をついているつもりだったが、いつのまにか、自分でも父を探しに来たような気になっていた。
罪悪感を薄れさせるための思い込みだろうか。
「ううん……本当に会いたい。
お父様……」
父譲りのこの瞳を、騎士たちが知らない。
一日をおいて、その事実がじわじわと重くなってきた。
現状、王都の様子は生前と全く変わりがないように見える。
その中で父の存在だけが消えた。
なぜ?
いないのか、隠れているのか。
だとしたら、今どこかに父はいて、その父は生前の父と同一なのか。
改めて、前世の死の瞬間を思い出す。
父は、自分にできることはこれだけだ、と言いながら、シエラに何かをした。
無尽蔵と評されるほどのその魔力量をすべて投じるような、膨大な力の何か、だ。
そして言った。
「竜を探せ」
あれはどういう意味だろう。
もう一つ気になるのは、シエラの魔術を封じたという父の懺悔だ。
シエラは首をふる。
なんにせよ、自由に動けない今は、その意味を調べるのも難しい。
早く成人し、自由になりたい。
ふと、馬車のスピードが落ちた。
騎士寮まではまだ距離があるはずで、かといって角を曲がる様子もない。
シエラはとっさに、扉側に寄った。
陰に隠れる位置に座る。
やがて馬車は、つんのめるようにして停車し、外から御者の押し殺したような声が聞こえた。
「な、なんだお前らっ!」
シエラは、カーテンをまとめていたタッセルを拝借し、後ろに流すままにしていた髪をぎゅっと一本に結んだ。
乱暴にドアが開けられたが、奥にいるはずのシエラの姿が見えず、襲撃者が一瞬戸惑うように動きを止めた。
その顎を、横から力いっぱい、掌底で打つ。
「がっ!」
男はよろけた。
が、シエラの予想に反し、倒れるまではいかなかった。
「ちっ、足りなかったか」
呟く。
思った以上に、この体の力は弱かった。
しかし、そのすきをついて外に出ることは出来た。
馬車を背にして見回すと、首を振ってシエラの一撃に耐えている一人の他、もう一人が目を丸くして立っている。
手慣れた感じはしない。
それでも、すぐに立ち直ったのか、シエラにつかみかかって来た。
わきの下をかいくぐって逃げると同時に、
「強化」
全身に魔力を巡らせ、かかとで相手の脇腹を思いっきり蹴った。
倒れた膝に、もう一撃。
「ぎゃあああああああ!」
悲鳴をあげる相棒に、ようやく立ち直ったらしい最初の一人が、顔を真っ赤にして怒る。
「なにしやがるこのガキ!」
大振りで飛んできた拳を、反身をかわしてよけた。
「素人だな。
誰に頼まれた」
「うるせえ!」
「言えば命まではとらない。
現状をよく考えろ、頭を冷やせ」
「うるせえええええ!」
よく考えれば、十歳やそこらの少女に諭されるように言われれば、より激昂するのも無理はない。
シエラの意識はすっかり、中将だったころに戻っていた。
「ゴロツキか……」
男はナイフを取り出していた。
構え方も握り方も、シエラから見れば、素人臭さが目に付く。
誰に雇われたにしても、軍や教皇庁ということはなさそうだった。
シエラは、倒れて悶絶しているほうの男が、腰に棒切れをさしているのに気づいた。
こんなもので何をしようとしていたのだろう。
呆れはしたものの、それを取り上げ、むやみに突進してくるナイフ男の額を、棒の先でとん、と突いた。
切っ先を交わしながら、のけぞった勢いで吹っ飛んだ男の顎に、さらに追撃を加える。
完全に気絶したところで、ようやく、ふうと強化をといた。
「これはこれは」
平たんな声に目を上げる。
軍服を着た男が立っていた。
切れ長の目、冷ややかな目線、見上げる長身。
太陽を背にしても、なお闇のような黒髪。
シエラは声をあげそうになった。
ユベール・アリアンド。
かつて、シエラの副官をしていた男だ。
「良い動きでいらっしゃる。
どちらのお家のお嬢さんかな?」
今生で初めて会った、見知った人物に衝撃を受け、固まっているシエラに、彼はゆっくりと近づいてきた。
そして、首をかしげる。
シエラの瞳を覗き込み、何かを言おうとした。
「シエラ!
大丈夫!?」
ユベールの背後から、セヴィランの声がした。
「シエラ……?」
不思議なものでも聞いたかのような、ユベールの呟きを耳にする。
だが、彼はすぐに、セヴィランに対して優雅に軍式の礼をした。
「ああ、君が助けてくれたのか?
良かった、本当にありがとう」
「いえ、これは、彼女が」
「え?」
「彼女がご自分で対処なさいました。
良い魔術教育と体技を学んでいらっしゃる。
さぞかし高名なお家のお嬢様なのでしょうね」
セヴィランは、あっけにとられた顔をして、ゆっくりとシエラに顔を戻した。
「ふうん。
そう。
なるほど」
「ちが、いえ、あの」
彼はさっと立ち上がり、ユベールに名前と階級を聞くと、ご苦労だったね、と暗に立ち去るように促した。
軍人としてなのか、結局家門は答えられなかったと気づいているだろうに、ユベールは、
「ご無事でなによりでした。
それでは」
と、立ち去った。
残されたシエラは、初めてセヴィランに会った時のように、首根っこを掴まれ、騎士寮へと連行された。
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