7
早朝。
農家の娘の朝は早い。
農家の娘じゃなくなっても、早い。
「目が覚めちゃった……」
シエラは、カーテン越しの暗さから、4時くらいかな、と推測する。
ベッドを降り、しわになったワンピースに呆然としてから、クローゼットを開けた。
支給品の下着と、色を変えた何枚かの衣服、ショール、そしてなぜか乗馬用の服が置いてある。
シエラは、シンプルな生成りのチュニックにジョッパーズを着て、革靴をはいた。
そっと抜け出した廊下は、とても静かだ。
「確か、こっち?」
目指すのは、訓練所だ。
かつてのシエラは、攻撃魔法が使えない分を、剣技で補っていた。
魔法を盾に、レイピアを武器に。
記憶通りの場所にあった訓練所に入り込み、ダミー人形が並んでいる後ろから、木刀を探し出す。
だが。
「さすがに大きいなあ」
手になじむ、とはいかなかった。
十四歳の体は、思ったよりも小さい。
いや、栄養がいきわたっていない分、体力的にも筋肉的にも、せいぜい十歳だろう。
できるだけ小さな剣を探し、構えてみる。
うでがぷるぷるした。
「だ、ダメね、体力作りからだよ」
そう呟き、シエラは、黙々とランニングを始めた。
チュニックの裾で汗をぬぐいながら部屋に戻ろうとすると、廊下の向こうから誰かが現れ、こちらに歩いてくるのが見えた。
若い、女の子だが、騎士服を着ている。
まだ新人らしく、服に着られている、とも見えた。
女の子は、シエラの前まで来ると、じっと見つめてくる。
「お、おはようございます」
「どこに行っていたの?」
「え?」
とげのあるその口調から、シエラをよく思っていないことが一発で分かる。
彼女は、じろじろとシエラを眺め、顔をゆがめた。
「偵察?
あんたやっぱり、どっかのスパイでしょう」
「ええ?
いえいえ、そんな」
「だっておかしいじゃない、庶民なのに魔力があるとか。
まあ、気品も知性もなさそうだから、庶民であることは否定しないけど。
測定の時に、なにかズルしたんでしょう、あんた」
「ズルって……」
何の根拠もなく能力を疑い、率直に馬鹿にしてくるあたり、やはり新人のようだ。
騎士としての言動が身についていないし、これでもしシエラが、秘密裏に訪問している大貴族だったらどうするのだろう。
軍も騎士団も、身分は関係ないという建前はあるものの、やはりそのしがらみからは逃れられない。
上層部しか知らない客など、いくらでもいるというのに。
いや。
さすがに、この見た目では、そんな疑いももてないか……。
シエラは自分の姿を見下ろす。
汗臭い。
「誰の差し金?
うちをスパイして、どうしようっていうの?
ねえ、今なら見逃してあげるわよ。
さっさと出て行けば、見なかったことにしてあげる。
今、すぐよ!」
腕を高々とあげ、出口を指さす彼女は、尊大で、そして自分の行動の正しさを疑いもしていないようだった。
シエラとしては、一瞬、これを口実に出て行ってしまおうか、とも思う。
そうすれば、自由に行動できる。
が、すぐに思いなおした。
自分の魔力量が、あらゆる方面に知られていることを思い出したからだ。
結局追われるなら、出て行くのも時間の無駄だろう。
「あら、おはようあなたたち」
どうしようか、と悩む間もなく、状況を救う声がした。
ミナリエの声だった。
「団長!」
「リーリア、今日は早いのね」
「いつもと同じです!」
「そう。
シエラに声をかけてくれてありがとう。
そのまま、食堂を案内してくれる?」
「もちろんです!」
お願いね、と微笑み、ミナリエが去っていくと、リーリアと呼ばれた彼女は舌打ちをした。
どうやら、強引にシエラを追い出すのは難しいと分かっていたらしい。
一人でいる時に無理やり出て行かせれば、上司や先輩への進言なしにシエラを排除できる。
「いい気になってあちこちうろうろするんじゃないわよ、いいわね」
「あ、はい」
「今朝は勝手に部屋を抜け出した罰に、朝食抜きよ。
おとなしく部屋にいなさい。
命令よ」
リーリアはそう言ってニヤニヤすると、髪の毛を颯爽と払って去っていった。
「さて、ゆっくり休めたかな?」
女子寮の談話室に現れたのは、セヴィランとその上司、ローズ大佐だった。
「はい、よくしていただいて」
「そう、良かった。
早速なんだけど、君の今後の処遇を決めておこうと思って」
向かい合って座ると、二人並んだ威圧感がすごい。
細身のセヴィランでさえ、きちんと鍛えているのだと分かる。
「まず、来月の誕生日に成人するまで、何をするにも保護者の許可が必要だ。
現状、ご両親の協力は得られないだろうから、まずはその日まで無事に乗り切りたい。
そのため、君には、迷い子として預りの身分になるが、このまま騎士寮で生活してほしい」
シエラは頷く。
「実は、教皇庁にもすでに情報が回ったせいで、君の引き渡し要求が来ている。
当然、応じるつもりはないよ」
やや身構えたシエラに、セヴィランは微笑みかけた。
「身元が分からないから取り調べ中、と言って、こちらの管轄下においてあるし、手出しは出来ないはずだ。
そして、来月の成人の日をもって、その後の処遇を決める。
実は、軍の上層部が君に興味を示している」
「魔力の件ですね」
「そうだ。
君に何が出来るのかはまだ分からないが、戦力になるのではないかと」
少し言いづらそうに、彼は目をそらした。
「つまり……私はいずれ、軍に入るんですね」
「君の意思とは無関係にね。
我々は生き方を魔力の量と質で決められる。
それが貴族であることの責務だから、文句を言うものはいないよ。
でも君は、庶民で、けれど、特権もなく生き方を決められようとしている。
理不尽だとは思うけど、逃れることは出来ない。
そう、決まっているんだ」
法のことを言っているのだろう。
けれどシエラには、それが、彼の運命論のような気がした。
抗うことのできない、大きな流れのことだ。
押し流されるように生きることに、疑問をもつ貴族のほうが少ない。
彼はその、数少ない人間なのかもしれない。
シエラは肩をすくめた。
「庶民だって同じです。
親が農家なら農家、親が漁師なら漁師、特権はないけれど、生き方は決まっています。
私はむしろ、そこから逃げ出してきた。
何物にもなれないより、新たに軍人の生き方を得たほうがマシというものです」
セヴィランの感じているらしい罪悪感を、少しでも薄めようと、そう言った。
なにより、自分の計画には、軍に入るのが近道なのだから、罪悪感をもつのはこちらだというものだ。
しかし、慰められたほうは、絶句している。
代わりに、隣のローズ大佐が初めて口を開いた。
「ド田舎の小娘にしちゃ、弁が立つなあ。
お前さん、ほんとに農家の娘か?」
「……口から先に生まれてきた、とはよく言われました」
我に返ったらしいセヴィランが、
「そうだ、ご両親のほうも、少し調査を入れることになった。
なにより、その瞳が、貴族のものかもしれないということになれば、君の今後にも関わる。
御母堂の……心当たりとか、あるいは、先祖返りだとしたらどこの血が入ったのか、とか」
浮気、という言葉を避けてくれたらしい。
奥歯にものの挟まったような言い方をしつつ、説明してくれた。
「実際、どっかの落としだねってことになりゃ、引き取って養子に迎える流れになるだろうな」
「まともな家門ならウェルカムだけど、中にはそうじゃない家もあるからね……慎重にやらないと」
真剣に考えてくれているのが、ありがたいやら申し訳ないやら。
そう思ったシエラが、お礼を言おうとした時。
ぐう、とおなかが鳴った。
主人公が転生してなくても、作品中に転生者が出てきたら、もしかして異世界転生カテゴリ……?




