6
「この突き当りがお風呂と洗濯場よ。
会議室とか事務室とかは一階に全部あって、一階の一部と二階が宿舎ね」
急な呼び出しだっただろうに、制服を着た女性騎士は、慣れた様子でシエラを案内してくれた。
騎士寮は、王宮からほど近い、軍本部の基地内にある。
軍全体の組織図から、一本はみ出しているのが、王直属の騎士団だ。
生前は、たまに立ち入るだけだった騎士寮は、貴族ばかりの団員達に合わせ、それなりに綺麗な個室だった。
「ありがとうございます」
「いいのよ、今年は新人も少なかったし、部屋は余ってるの。
ああ、私はミナリエ・サザランドよ。
ミナリエって呼んでちょうだい」
「あ、私、シエラです。
よろしくお願いします」
あまり表情を出さないタイプのミナリエは、軽く頷いてから、
「まず、お風呂入る?」
と言った。
やっぱり臭いんだ……。
自分の匂いが分からないほど慣れてしまったが、さすがに恥ずかしくなる。
はい、と小さくなるシエラに、やはりミナリエは頷き、共同の風呂場に案内してくれた。
「タオルはこれ、石鹸は中にあるから。
お湯は出せる?」
「はい、大丈夫です」
「そう、じゃあごゆっくり」
脱衣所を出て行くミナリエを見送り、シエラは駆け込む勢いで風呂を使った。
面倒くさそうではなかったが、あっさりした対応に、どんな扱いになるのかちょっと不安にはなる。
けれど、まずは久しぶりに浴びたお湯の感覚に、シエラはほうと息をついた。
「あああ、さっぱりし……た……」
全身を洗って風呂場を出たシエラは、全裸のまま、立ち尽くした。
そこには、女性騎士がずらりと10人ばかり並んでいたからだ。
「ちっちゃ!」
「14歳?
ほんとに?」
「あーでも貴族の目だねこりゃ」
「わあ、魔力があるなんて拾い物だよぅ!」
まわりをずらりと囲まれ、硬直する。
「名前なんだっけ?」
「シエラちゃんよ」
「庶民にしちゃ雅な名前ね」
「ねえ風邪ひくわよ」
一人の騎士にタオルを渡され、ぎくしゃくと体を拭くと、すぐに数名の騎士がおのおの手に何かを持って寄ってくる。
「待って、サイズが合わない」
「年齢しか情報がなかったからね」
「至急、調達!」
「了解!」
三人ほどの騎士が走って脱衣所を出て行き、そしてシエラは、大きなタオルでくるまれた。
そのまま椅子に座らされ、タオルで髪の毛を拭かれて、乾燥機で乾かされる。
「あの、あの、あの」
「結構傷んでるわね、毛先は切ったほうがいいかも」
「はーい、やるやる!」
ケープをかぶせられ、
「髪、切っていい?」
と尋ねられる。
「あ、はい」
短髪が多い騎士たちに囲まれていて、そういうものかと受け入れる。
だが、ハサミは毛先と前髪、顔回りに入れられただけで、その後念入りにブラッシングされた。
「お待たせ!」
先ほど出て行った騎士たちが戻ってきて、シエラに下着を手渡してきた。
周りをタオルで囲まれた中で慌てて身に着けると、次に、体にワンピースが一枚、あてられる。
「ダメよ赤なんて!」
「そうね、目の色と合わないわ」
「こっちは?」
「いえ、こっちのほうがいい」
「白はさすがに汚れちゃうわよ」
「一応兵舎だしねえ」
ああだこうだの末、シエラの目の色に似た、濃いめのブルーで、ひざ下丈の一枚が選ばれた。
胸の下で切り替えがあり、裾に向かってドレープがたっぷり出るが、着心地は軽い。
生前のシエラですらほとんど来たことがない、貴族のお嬢さん向けのワンピースだ。
「ああああのう、私、客ではないのですっ!
こういう、あれでは、ないのですっ!」
セヴィランは、ミナリエにどういう指示を出したのだろうか。
絶対に何か間違っている気がして、シエラはようやく、声を上げた。
「知ってるわよ、保護されたんでしょ?」
「虐待されてたんでしょ?」
「アンナ」
「あ、ごめん、親に捨てられたっていえばよかった?」
「アンナ?」
一番若そうな、といっても、シエラより五歳は上だろう騎士が、ぺろりと舌を出す。
そのあと、屈託なく笑いかけてくる顔を見て、力が抜けた。
「ここにいれば大丈夫よ、貴族の親だって簡単に入れないんだから」
ああ、心配されているんだ。
シエラは、ようやくそう気づいた。
育ちの良い彼女たちなりの、気づかいだったのだ。
シエラは、げんこつをくらっているアンナの顔と、それから周囲の騎士たちの顔を見て、
「いえ、私が、親を捨ててきました」
と言った。
彼女たちは顔を見合わせ、それから──わっと笑った。
「いいわね、あなた、とてもいい」
「うちに向いてる」
「このまま配属でいいじゃない、ねえ?」
「賛成」
盛り上がる中、パンパン!と手が叩かれた。
音の主は、最初にシエラを連れてきてくれたミナリエだ。
「はいはい、この子は休息が必要なの、もう解散よ、持ち場に戻りなさい」
「はぁい」
「またねシエラ」
「おやすみー」
口々に騎士たちが散っていく。
残ったのは、ミナリエとシエラだけだ。
「大丈夫?」
「あ、はい」
「最近は新人も少なくてね。
お呼びがかかることもめったにないし、みんな暇なのよ」
シエラは記憶を探った。
開戦の三年前、確かに、軍への予算、ひいては騎士団への予算もかなり減らされていたのだ。
平和が長かったこともあるが、それにしても、目に見えて少なかった覚えがある。
おかげで、あの戦いに後れをとった。
遠征の予算も、備蓄も少なく、兵たちにはかなりの負担がかかっていたはずだ。
敗因の一因として、この予算不足があったことは否めない。
誰かの意図が働いている?
あの頃は思いもしなかったが、今思えば、不自然な動きだったのではないかと感じる。
しかし、予算の多くを決めているのは、王とその直属である元老院の面々だ。
父ももちろんそこに入っていた。
誰が軍事費の縮小を言い出したのだろう──。
「どうしたの、ぼうっとして。
ああごめん、疲れてるのよね。
部屋に行きましょう。
少し寝るといいわ」
「ありがとうございます……」
ベッドに倒れこみ、うとうとと寝入る前、そういえば今生で、誰かに服を選んでもらうなんて初めてだ、と思った。
「そう言われてもねえ」
市場の店主は、うんざりしながら、目の前の男にため息をついた。
「あいつがいないと困るんだよ!
黙って見てたあんたにも責任があるだろう!」
「あのなあ、荷車を置いておいてほしい、お使いがある、って取り引き先に融通をきかせて、それで責任って言われてもこっちだって困るんだよ」
シエラの父親は、顔を真っ赤にして怒っている。
娘が帰ってこない、と、ここまで探しに来たのは、シエラが荷車を置いて行ってから三日目のことだ。
三日も放置しておいて、その辺をうろうろ歩いただけで捜索をやめ、店主を責める。
しかも理由は、シエラがいないと困るから、だ。
胸糞が悪いとはこのことだった。
あの子供が野菜を売りにくるたび、店主は心を痛めたものだ。
がりがりに痩せ、ひとりぼっちで村から一時間かけて歩いてくる子供は、どうみても栄養は足りていないし、労働をこなすだけの体力もなさそうだった。
何より、シエラ本人が、その生活をおかしいと思っていないのがなにより痛々しい。
だから、シエラが逃げたとこの男から聞いた時、店主はまず驚いたものだ。
自分の境遇にようやく気付いたのか、と。
「とにかく俺は知らん、それより荷車を早く引き取ってくれ、邪魔でかなわんぞ」
「……牛を連れてくるから、それまでおいておいてくれ」
「ふざけるな、シエラは自分で引いてたんだ、お前に出来ないわけがないだろう!」
ぐ、と詰まった父親は、なぜか急にはっとした顔をする。
「そうだ、あいつは、傭兵になるなんて馬鹿な事言ってたぞ!」
「はあ?」
あの体で?
ばかばかしい、と思う店主だが、父親はニヤリと笑い出した。
「そうかそうか、あいつ、本気だったんだな。
説得したつもりだったが、悪い娘だ。
探し出して連れ戻さなきゃ」
「どうやって探すつもりだよ」
「なれるわけもないが、傭兵になるには王都が一番近い。
跡をたどっていけば見つかるだろ」
「王都に探しに行くなんて、大変じゃないか。
放っておいて戻ってくるのを待ったらどうだ?」
「いいやそれじゃあ間に合わない。
あいつは、来月の成人の儀のすぐあとに、嫁ぐことになってるんだからな」
「嫁ぐ、だって……?
どこに」
「ヨーデリン様の三男だよ、玉の輿だ、幸せになれるところなのに全く」
店主は顔をしかめた。
この市場周辺の商家で、そこそこ大きいのがヨーデリン家だ。
しかしそこの三男と言えば、放蕩息子で有名だ。
女好きで、しかもすでに妻が二人もいる。
こうしちゃいられない、と去っていく父親の後姿を見ながら、店主は、どうか見つからなければいいのに、と願う。