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懐かしい。
最初にシエラが感じたのは、31年暮らした王都への郷愁だった。
感覚的には14年ぶりの帰都となるが、時間軸自体は死のほんの3年前だから、見た限りは記憶そのままだ。
しかし、通されたのが、改革派と呼ばれる情報部大佐の派閥エリアだったから、すぐにそんなものは消えた。
表立ってはなかったものの、彼らが第二王子派を隠さないのは、周知の事実だ。
第一王子が事件を起こして以来、勢力は拡大していたはず。
「ちょっと待っててね」
シエラを捕獲してここまで連れてきた男は、セヴィランと名乗った。
セヴィラン・ルージュ。
顔に見覚えはなかったが、確か、ルージュ侯爵家の分家筋にそんな名前があった気がする。
どうぞ、と出されたぬるそうな水には口をつけず、さてどうしようか、と考えた。
が、いい案を考え付く前に、誰かが入ってくる。
「この子?」
眠そうな、というか寝ぐせそのままの恰好でやって来た男は、軍服ではなく、祭服をつけている。
聖職者だ。
見えないけれど。
司祭は、金属板のような鉱石版のような、不思議な質感のプレートを持っている。
「お断りします」
シエラはとりあえず言ってみた。
プレートは、魔力測定器だ。
だが、測定には建前上、本人の同意が必要だったはず。
……普通は、金を払って測定してもらうのだから、同意の有無などいちいち確認するなんて聞いたこともないが。
「君は捕まったんだから、これは検査じゃなくって、取り調べの一環なんだよ。
だから拒否なんかできない。
っていうか、拒否権があることを知ってるなんて、やっぱり君、庶民じゃないんだね?」
「庶民です、拒否権とか知りません、ただ嫌だって言っただけです!」
「何が嫌なの?」
「測て……」
途中まで口にして、セヴィランがニヤリとしたからようやく気付く。
「魔力測定器を見たことがあるんだね」
生前のシエラなら絶対にやらないようなミスだった。
農家の娘として過ごした14年は、思った以上にシエラの判断や能力に影響を与えているらしい。
「話はついたのか?」
司祭が、眠いのをこらえている顔でそう聞き、答える間もなく、シエラの左手を掴んだ。
ぽん、と気軽にプレートを押し当てられる。
ふわっと光った。
それから、プレートは光の明滅を繰り返し、徐々にその光が集まっていく。
上部に数字、下部には青い光だ。
眠そうだった司祭の目が、大きく見開かれる。
「これは……」
司祭とセヴィランが目を合わせ、それから、同時にシエラを見た。
「……どう見ても貴族じゃないが、誰かの隠し子かなんかかよ?」
「それにしたって、こんな強さ、一体誰の血筋だっていうんだ。
考えられるのは、王家か」
「いいや、王家の魔力はその瞳に出る。
黒い虹彩がその証だ。
この子は青いじゃないか」
「青と言うより、クオーツのような透明感がある。
似たような瞳を俺は知らないよ」
なんですって?
シエラは、セヴィランの言葉に声を上げかけ、慌てて押し隠した。
鏡などない生活で、自分の瞳の色なんて知らなかった。
親も兄弟も、薄い茶色をしていたから、自分もそうだと思っていたのに。
どうやら、生前と同じ色をしているらしい。
シエラはそれでようやく、自分が家族の中でどう思われていたのかに気づいた。
出産のエピソードを聞いた覚えがあるから、自分は確かに、母から生まれてきた。
なのに、一人だけ目の色が違う。
それがどんな意味を持つのか、知らないほどの子供ではない。
とはいえ、働きづめで、兄と姉が二人ずついて、とてもじゃないが母には自由になる時間など一秒たりともない。
だから、母が不貞をした、とは誰も思わなかったのだろう。
問題があるのは母ではなく……シエラだということだ。
忌み子、取り換えっ子、言い方はいろいろあるが、要はまともに神から授かった赤子ではない。
だが、シエラが驚いたのは、そこではなかった。
ブルークオーツを思わせる、透明な青。
その瞳の持ち主を知らないですって?
この青は、アルノー家の特徴だ。
英雄である父の色だ。
それを知らない?
ということは……。
シエラは必死で頭を働かせた。
とりあえず、今最も恐ろしいのは、村に送り返されることだ。
次に、このまま拘束されてしまうこと。
両方を防ぐために、どうすればいいだろう。
とにかく……嘘はできるだけつかないほうがいい。
司祭はともかく、セヴィランは頭が切れそうだ。
「あの……そうなんです」
「うん?」
「家族でも、村でも、私だけ目の色が違って、ずっといじめられてきました。
それで、本当のお父さんを探そうと思って、逃げて来たんです」
嘘ではないが、本当のことをちょっと省略してそう言った。
男たちは、途端に、気の毒そうな顔をする。
「ああ……そうだろうねえ」
「そうか、大変だったろうね」
人が良すぎるのではないか?
シエラはちょっと心配になったが、すこぶる都合が良いので、悲しそうな顔をしてみせた。
「でも……お知り合いにはいなそうなんですね……」
「うーん、俺はね。
ロンドール、お前は?」
「俺もないな」
「あっ、でもほら、俺たちそんなに貴族の集まりに出てないし、知らないだけかもしれないし!」
「そうだな、俺はともかく、セヴィランも逃げ回っているからな」
なぜかにらみ合い出した男たちに、シエラは必死に言った。
「お父さんを探すのは無理そうだって分かりました、でも村には帰りたくないです!
自分で仕事を見つけるので、送り返さないでください!」
同情してもらえているうちに解放されたい。
言い募るシエラに対し、男たちは、ちらりと横を見た。
そこにあるのはシエラのかばんと、取り出し並べられた中身だ。
堅パンのかけらが一個。
100シリン硬貨が四枚。
ショールが一枚。
下着が二枚。
以上。
「……とりあえずね、君の魔力はとても強いから、とてもこのまま解放はできないんだ。
上司には報告しなくちゃいけない。
俺は君の件で正式に出動しているから。
でも、悪いようにはしない。
だから、ちょっと待っててほしい」
真剣な顔でセヴィランに言われ、仕方なく頷いた。
シエラのためにこの事実をもみ消すなんて、あとでばれたら懲戒ものだ。
彼の言い分はよく分かった。
セヴィランが出て行き、目配せされて残った司祭が、正面の椅子に座りなおした。
「今日は、過激な上司は休日のはずだから、あとはあいつがなんとか言いくるめてくれるのに期待しよう。
一番いいのは、悪いことしません、っていう誓約をして解放されることだけど……」
「可能性はどれくらいですかね」
「15%ってとこかな……」
「低……」
シエラは仕方なく、出された水を飲んだ。
思った通りそれはとてもぬるい。
顔をしかめたシエラに気づいたのか、司祭は手を伸ばし、コップに手をかざして小さく呟いた。
ひんやりした温度が指先に伝わる。
一口飲んで、凍るぎりぎりまで冷やしてある水に、思わず笑みが出た。
司祭もにこりとし、平和な空気が流れた時。
部屋のドアが、バァン!と豪快に開けられた。
「こいつか、その魔力持ちの庶民っていうのは!!
なんだぁ?
くさっ、なんだ、小汚ねえな!!」
髭の、熊のような、軍服の大男。
情報部の過激な大佐、アティカ・ローズ。
その男が放った言葉に、14歳のシエラは……泣いた。