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市場で荷下ろしをした後、シエラは慎重にタイミングをうかがい、露店のおじさんに声をかけた。
「おじさん、ごめんなさい、私ちょっとお使いがあって……。
その間だけでいいから、荷車をここに置いておいてもいい?」
おじさんは、上から下までシエラを眺めながら頷き、いいとも、と言った。
それから、別の農家が運んできていたりんごをひとつ、投げてよこす。
「食べなさい、なんのお使いか知らんが、食べなきゃ力が出んからな」
村から歩き詰めだと知っているせいか、ぶっきらぼうながら気遣う気持ちが伝わってくる。
シエラは、ありがとう、と笑いながら、心の中で謝った。
ごめんねおじさん、私はもう戻らない。
そのせいで、父さんがきっと、怒鳴り込んでくるだろう。
身に覚えのない言いがかりをつけられて不快な思いをするに違いない。
「お願いします」
いろんな意味を込めてそう言い、ぺこりと頭を下げて、市場の奥へと歩き出した。
ああ走り出したい。
けれど、目立つのは悪手に決まっている。
シエラははやる気持ちを抑え、周りの人々に歩調を合わせた。
立ち寄ったのは、古着店だ。
姉のお下がりとは色味の違うショールを選び、さらにごわごわしているが丈夫そうな肩掛けかばんを買う。
手持ちのお金でぎりぎりだが、脱いだショールをその場で売り、多少は手元に残ることになった。
カバンの中にりんごを入れ、残ったお金で堅パンを買って、同じように放り込む。
「よし」
シエラはゆっくりを心掛け、市場を抜けて、住宅街へと足を進めた。
住宅街と言っても、シエラの家と大差ない、木造の平屋が立ち並ぶ庶民区だ。
その先に、町を抜けて街道に続く抜け道があることを、シエラは知っていた。
徐々に記憶が戻りつつある。
知らないはずの道を歩きながら、シエラはそう確信した。
この街も、かつて、軍人として訪れたことがあったと、ゆうべ思い出していたのだ。
はたして、記憶の通りに道はあった。
特に隠されているというわけではなく、住人が便利に使っているだけのその小道を抜け、馬車の行きかう街道に出る。
とはいえ、地方の街のこと、通りすがる数は多くない。
何台かの馬車をやり過ごし、目立たぬように、しかし足早に南へと向かう。
王都へ行く。
当てがあるわけでもなく、行ってどうするかも分からない。
それでもまず、行動あるのみ、というのは、武力で解決することをよしとした軍人気質の記憶のせいだろう。
「急がなくっちゃ」
シエラは、歩いて歩いて、歩いて、日も暮れかけ、人も馬車も見かけなくなってから、ようやく少し立ち止まる。
腰ひもで体に括りつけていた荷物を手早く外し、かばんの中に突っ込む。
そして、堅パンをひとつかじると、手のひらを上向けた。
「強化」
ちょっと疲れていたので、声に出してみる。
声は魔力に素早く命を下すのに便利だからだ。
ふっと体が軽くなる。
シエラは、とんとん、と一、二度跳ねてから、人間ではありえないスピードで走り始めた。
出発から三日、パンもりんごもなくなった頃、ようやくはるか遠くに、点のような王都の塔が見えてきた。
いくつかの街が途中にあったが、寄れば、シエラを追うための情報をパンくずのようにこぼして歩くようなもの。
出来るだけ人目を避け、野宿で過ごしてきたせいで、ちょっと薄汚れてきた。
野宿自体は慣れている。
軍の侵攻はどこもそんなものだ。
テントも焚火もないことなど、珍しくない。
それに、シエラには危険もない。
なにせ、元・盾の軍人様だ。
自分の周囲に魔力でドームをはれば、ぺらぺらのテントよりはるかに安全というものだった。
それでも、疲れないわけではないから、できれば今日中に到着してしまいたい。
シエラは、遠くに見える塔を目指し、一気にスピードをあげ……ようと、した。
風が起こった。
それが自然の風ではなく、魔力によるものだと気づき、シエラは即座に横に転がった。
風は、まさにシエラが足を踏み出そうとしていたその位置に、ぴたりと止まる。
正確には、風ではなく、その風を起こした当人だ。
転がった勢いを利用してそのまま起き上がり、低い姿勢を保つ。
手のひらには、発動直前の魔力をためて。
「ストップストップ」
風の主が言った。
「ごめん、驚かせたね。
ちょっと目測を誤ってしまって」
両手をあげ、攻撃の意思がないこをと示すその男は、困ったように笑っている。
シエラは素早く確認する。
つけている鎧は、正式な王都の騎士のものだ。
蒼と白金で彩られたそれの胸元には、黒リボンの紀章がある。
国防情報部の軍人だろう。
シエラとは面識がない。
前線で戦う軍部とは、接点があまりなかったからかもしれない。
「あの……なにか?」
むやみに暴力をふるう部類ではない、と考え、できるだけ普通の子供のように聞いてみた。
彼は、透き通るような金色の目を、さらに困ったように細めた。
「なにかって、そりゃあ、とても強い魔力が、すごい勢いで王都に迫ってきてるんだから、確認しにも来るよ」
「えっ、そんなことが? それは大変ですね」
深刻な表情でそう言った。
「……」
「……」
「いやいやいや、無理があるよね?」
ちっ、ダメか。
しかしあがくしかない。
「何がですか?」
「はっきり言ってもいいなら、言いましょう。
君の魔力が原因です」
「やだなあ騎士様、私、見ての通りの庶民ですよ?
魔力なんてあるはずが」
騎士が、予備動作もなしに何かを魔力で飛ばしてきた。
シエラはとっさに、準備だけしてしまっていた盾を、顔面一センチの位置にはる。
かつん、とそれにぶつかって落ちたのは、乾いた小石だった。
「……」
「……」
「確保」
シエラは、男に襟首をつかまれ、とぼとぼと歩き出した。
なんだろう、この子は。
セヴィランは、あとから追いかけてきた愛馬のエッタにまたがる少女を、横目で見た。
つい魔力速歩を使ってしまったから、エッタがちゃんと追いかけてくれてきて良かった。
そうでなければ、自分は彼女の襟首を掴んでぶら下げたまま王都に戻らなければならないところだった。
手綱を掴み、馬の横を歩きながら、首をかしげる。
少女は、シエラと名乗った。
姓を名乗らないのは、庶民だからだろう。
着ているものや、体格から、少なくとも裕福な育ちでないことは分かる。
だがどうだろう。
しょんぼりしているにも関わらず、シエラの乗馬の姿勢は、貴族のものに近い。
庶民の農耕馬の乗り方では絶対にない。
いや、どちらかといえば……軍式である。
セヴィランは試すことにした。
「急ぎだから、ちょっとスピードを上げるね」
いつでも、転げ落ちた彼女を受け止められる準備をしつつ、自分に身体強化をかけ、それから、エッタの手綱を強く二度引く。
駆け足の指示を受け、愛馬が一気にスピードを上げる。
驚いたことに、シエラはすぐに反応した。
前傾姿勢をとり、あぶみの位置、手綱を握る強さ、視線の送り先、全てを馬に完全に合わせ、振り落とされるどころか風の抵抗を最小限にしている。
なんだろう、この子。
セヴィランは、軍用通用門をくぐりながら、まずどの部署に報告するべきかを考えた。
それによって、この子の未来は大きく変わるだろうから。