25
広間のような飾り立てられた謁見室で、シエラは所在なさげに立っている。
絶対に軍人のそぶりを出すな、と言われているが、それくらい分かっていると言いたい。
王の左手は、王座のひじ掛けに置かれている。
時折指先を動かしているのは、麻痺が改善したことを示しているのだろう。
「王の御前である、貴様、跪け」
誰かがシエラに言った。
正面に王、左右には二十人ばかりの男たちがいた。
セヴィランの兄、ジョエルもいたが、かなり末席だ。
それに対し、上座にはシエラの見覚えのある人物も混じっている。
一人は、シエラが教皇庁内の教会に無理やり連れて行かれた時、教皇への土産だと笑っていた老司祭。
少し変な顔をしているのは、シエラの顔に見覚えがあるからかもしれない。
とはいえ、さすがに同一人物とは考えていないようだ。
彼の隣には、彼よりもさらに高位の人間であることを示す、大きな杖を持った男もいる。
おそらくあれが、新教皇だろう。
まだ若い、おそらく40代ではないだろうか。
あの年で教皇庁のトップに立つのは、よほどの力があるに違いない。
そしてもう一人、見覚え、いや、よく知っている顔がある。
「やめよ。この娘御は、女神の御使いである。
以後、誰に膝を折ることもない」
シエラに最初に声をかけた尊大な騎士服の老人を、淡々と遮った男。
「……出過ぎたことを申し上げました、第一王子殿下」
「よい。
娘御、名を名乗るが良い」
「レアンドル殿下……」
思わず名を呼ぶと、彼は、少し驚いたようだった。
無表情の視線が、わずかに上がる。
かつて愛した男は、彼のよく見せた穏やかな笑みを消していた。
けれどどこかで見たことのある顔をして。
そう──あの庭園で、腕に隣国の姫をぶら下げて通り過ぎて行った、あの時の顔をして──。
目を閉じ、思い出を振り払う。
現実に立ち返ると、シエラこそ、彼のように驚いた顔をすべきだろう。
特使を斬り捨て謹慎しているという噂は、なんだったのだろう。
彼は、まるで王の片腕のように、傍らに立っている。
ただし、反対側には、もう一人王子がいた。
「さすがだね、兄さまの名前は、田舎町にも届いてるんだ」
初めて見る顔だが、これがエメル第三王子だろう。
第二王子の可能性もあるが、年齢的におそらく間違いない。
「エメル殿下」
とっさにシエラが名を呼べば、彼のほうは、素直に驚きを露わにした。
「……なぜ知っているの。僕の顔は、よほど上の者しか知らないはずだけど」
「声が教えてくれたの」
おずおずと見えるように言えば、ふうん、とまた分かりやすく感心している。
「聖女というのはどうやら本当のようですね、父上」
「お前に真偽を見極めろと言った覚えはない」
エメルの軽口に王は冷ややかに応じたが、堪えた様子はない。
いつもこのような感じなのだろうか。
「聖女よ。お前は今日から、シェリー・プリモ・ラウリエを名乗れ。
代々聖女が継ぐ称号である。
今より所属を王室とし、城内に住まうよう言い渡す」
「お待ちください陛下、女神さまの使徒なれば、教会でお預かりするのが筋ではございませぬか?」
苛烈な王の沙汰に口を差し挟むとは、新教皇の胆力もなかなかのものだ。
それとも、何も分かっていないのか。
「ならぬ」
「しかし……」
「教会の狭苦しい一室に閉じ込め、粗末なパン一つで使いつぶすつもりか?」
「そ、そのような言い方、それは神に仕える者たちの冒涜ですぞ!」
「なにが冒涜なものか。現に、前聖女は、ろくに世話もされず働くだけ働かされ、存在を祭り上げられたままやせ細って死んだではないか」
「あれは前教皇が……」
「その前教皇が死んでほんの一カ月だ、一体内部がどう変わった、いや変われたというのだ?
相も変わらず、あちこちから魔力のある人間を集め、絞り尽くしているようではないか。
俺が何も知らんと思うなよ」
教皇は、口をぱくぱくさせ、黙り込んでしまった。
「反論は許さん。聖女の身は王家が預かる」
決定してしまったようだ。
シエラは、わざと、ジョエルの顔を振り向いた。
彼は今日も、心配そうな顔をしている。
そうと気づいたエメルが、声をかける。
「やあ、随分となつかれているのだね、ええと……」
「ルージュ子爵家長男、ジョエルにございます、殿下」
「ああ、そう、えっと、君のお父さんはこちらにいるのだったね」
「微力ながら国にお仕えしております」
「聖女様とはどういう関係?」
「これ……いえ、この方は当家の老執事の娘でございますゆえ、使用人でありながら、年の離れた妹のようなものでございました」
「ああ、それはそれは」
「父さんと母さんに会いたいわ、帰りましょう、ジョエル様」
シエラが割って入ると、ジョエルは、人差し指をそっと口元に立てて、黙りなさいと示した。
不用意な発言がどんなことになるのかを心配している──という顔を作って。
「この者を後見に立て、両親の様子をたびたび知らせてやってはどうです?」
ほだされた、という訳ではあるまいが、この場を収めるためか、エメルがそう提言した。
今度は王も冷たくあしらうわけではなく、肯いた。
おそらく、王が接する平民は、平民といえど、大商人や起業家であり、ある程度の教育がなされている者たちだ。
あからさまにマナーのない町娘を見て、すんなりことが運ぶとはさすがに思わなかったのだろう。
知識がなければ、恐れもない。
家に帰りたいと夜な夜な泣かれれば、王の権威を振りかざしても泣き止ませることは出来ない。
「いいだろう。
ただし、政治的な見解を刷り込んだり、意見を左右させる言動は許さん。
面会には見張りをつける。
聖女が国に尽くせるよう、心を砕いてやるがいい」
要は、郷心を慰める役として、シエラが王城から逃げ出さないよう立ち働け、ということだ。
「承ります。ただ……私は現在、父の代行として領地で仕事をしております。
許されるのであれば、防衛庁の軍人である、弟にその役をお任せいただきたく思うのですが」
「軍人か……所属は」
「情報部でございます」
「ローズ大佐のところか。いいだろう」
アーロンド・ローズを含む情報部周辺が、第二王子派であることは周知の事実だ。
実質、第一王子か第三王子かの王太子争いにおいて、ある種、中立派とみなされている。
それゆえか、王は即決だった。
防衛庁が一枚かめば、教皇庁だけが関わるよりも暴走を抑えやすいとも考えたに違いない。
なんにせよ、事態は計画通りに進んでいる。
「なにか望みはあるか、聖女よ」
王に問われ、シエラは不満を隠さない顔をしてみせた。
「外に出たいわ。ずっと閉じ込められて飽きちゃったの」
「閉じ込めたのではない、守ったのだ、聖女よ。
しかし、望みは叶えよう。
エメル、聖女を庭に連れ出してやれ。
丁重にな」
御意、と答えるエメルは、得意そうな顔をレアンドルに向けた。
無反応なことが、というよりも見てさえいないことが気に入らないのか、不満そうな表情に変わる。
軍人としてのシエラの勘が、何かがおかしいとささやく。
こんなにも表情を読みやすい男が、王太子候補?
ありえない。
だが、王はあからさまにエメルを優遇している。
分からない。
シエラの知らないことが、多分、沢山ある。
かつて自由に出入りしていたはずの王宮で、何が起こっているのか。
絶対に突き止めて見せる、と、改めて誓った。
そして──レアンドルが死ぬ結末を変える。
きっとそれが、開戦を止めるキーだ。




