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「もちろん、お互いに瑕疵はないとしての解消でしたけど、そんな表向きの話、世間には通用しませんよね。
私は王太子に捨てられた女として知れ渡りました。
いろいろ考えましたけれど、あの方と添い遂げられないのなら、結婚はしないという選択もありだなと」
「この貴族社会でよくそんな選択ができたね」
「もちろん、父の采配あってのことでもあります。
私の父は英雄と呼ばれ、国民の支持も高かったですからね。
軍に入れて役に立てますと言えば、結構なことでございます、ってなものです。
甥を養子にして跡を継がせ、私は一軍人として生涯を過ごすと決めました」
「んー、だから、国が滅びたっていう未来の時点で、独身のままだったのね」
レアンドルの選択を恨んではいない。
もともと政略結婚なのだ、新たな良い条件があれば、挿げ替えられるのは当然でもある。
王家から、準備金という名の補償金をもらい、アルノー家は潤った。
後にはただ、失った恋が残っただけ。
「まあそんなことはどうでもいいです。
私が言いたかったのは、王太子になる、ひいては王になるために、アドラノーズ国の特使と結婚をしたレアンドルが、その彼女を切り殺したという事実。
これは、おそらくレアンドル個人の問題ではないということです」
「そうよね、それじゃあ王様になれなくなっちゃう」
「はい。
軍人として王都を離れることが多かった私は、王宮の噂にうとく、事情がよく分かりません。
レアンドルは立太子したのか、それとも、別の王子が……?」
シエラは、セヴィランの顔を見た。
「現在の状況ではどうなっているのでしょう。
なにかご存じですか?」
「どなたかが正式に王太子になられたという話はないよ。
ただ……やはり上層部は、末のエメル第三王子殿下がその座につくのではないかともっぱらの噂だ。
なにせ、第一王子はすでに28歳。
遅すぎはしないが、ここまで指名を引き延ばされているのには理由があるのだろう、と。
そこにきて、大使をめぐる問題がある。
対して、第三王子は現在18歳だ。
今年成人し、条件は十分に満たしている。
つまり……という、そういう、噂」
シエラは唇を噛んだ。
自分が婚約破棄までされてチャンスを掴んだはずのレアンドルは、それでも王太子候補の筆頭にはなれなかったのだろうか。
だとしたら、引き離された自分たちの未来はどこへ葬ればいいのか。
「まあ分からないことをあれこれ考えたって仕方ないわよ、シエラちゃん。
今はまず、あなたの力を取り戻すことにしましょ」
「はい、そうですね」
立ち上がったマツリに合わせ、残った二人もお茶の始末をし、馬車に乗り込む。
向かう先は、国の南端にほど近い山だ。
ぽくぽくとした歩みで進み、四日ほどかかる。
マツリはオコジョになり、シエラの首に巻き付いた。
「きゃーっ、いやいやいやっ、無理!」
山越えの敵は、険しさではなかった。
マツリの住むエルサンヴィリアよりもずっとずっと南にあるこの国の山は、季節がらもあり、昆虫たちの宝庫なのだ。
「ただの甲虫です、害はありませんよ」
「はぁ!? 害とかじゃないのよ、なんで分かんないの!?
っていうかシエラちゃんまでなんでそんな平気なの!?」
どうやら、マツリは虫が苦手らしい。
「そりゃ見た目は古いニホンカオクだったけど、対策はちゃんとしてたのようちは、そもそもこんなでっかい虫二ホンにはいないんだから、慣れもなにもないのよ、無理なのよ無理、あああああ無理無理いやぁぁぁぁぁ!」
前方からゆったり飛んでくる手のひらサイズの蝶に悲鳴を上げ、マツリは頭を抱えてしゃがみこむ。
「おう、さすがに大きいですね、暖かい国はすごいですね」
「観察してんじゃないわよおおおお!」
「あのー、例のオコジョになったらどうです?
俺かシエラの懐に入れば見えないでしょう」
「うっ、うっ……でも、それじゃあ一緒に冒険してる感がないもん」
唇を尖らせるマツリは可愛らしい。
思わずにっこりするシエラを、セヴィランは驚愕の顔で見ている。
「な、なんにせよ、これじゃあ進みません。
一応野営の準備をしてありますが、マツリ様、この山で一晩過ごせます?」
マツリはさめざめと泣き始めた。
無理、なのだろう。
軍人二人は顔を見合わせ、さてどうしようか、となった時。
「もういいわ、諦めるわ冒険」
唐突に、割り切った顔と声で立ち上がったマツリは、無表情で右手を上向けた。
陣が立ち上がり、その光と共に、三人の周囲に風のようなものが吹き上がる。
自然の風ではないが、その竜巻のような空気の渦は、周囲から一気に虫たちを遠ざけた。
マツリはぐいぐいとその状態で歩く。
彼女の周囲だけ、近づくものは吹き飛ばされるようにはじかれ、草も木も台風の日のように激しくなびいた。
後ろをついていくと、やや開けた場所に出る。
「発信!」
意味の分からない掛け声とともに、さらに激しく光が吹き上がる。
魔力全開、といった風の彼女に、二人は声もかけられなかった。
そうして、やがて。
シエラは覚えのある緊張に体がこわばり、同時にセヴィランも剣の柄に手をかけた。
来る。
その感覚は次第に強くなり、ふと、風を感じた。
マツリが未だ虫を寄せ付けまいと纏わせている風とは違う。
バサリ、というゆったりとした、しかし轟音とも言える羽ばたきの音がする。
バサリ、バサリと、草も土も虫たちも巻き上げながら、視界に現れたのは、真っ赤な鱗の竜だった。
「何者だね?」
その声は、しわがれた、しかし穏やかなもの。
マツリは相変わらず陣を立ち上げたまま、
「こんにちは赤竜さん、私、黒竜の友達のマツリよ」
「ふむ。あの若造、面白いものを友としているのじゃな」
数百年は確実に生きている黒竜を若造扱いし、竜は翼をたたんだ。
羽ばたきの巻き起こす砂嵐がやみ、シエラとセヴィランはようやく口を開ける。
「呼びつけたよこの人」
「怖いものなしですね」
「あのね、シュヴァルツ、あ、黒竜がこの子の魔力を封じたんだけど、その後であなたも同じことをした?」
「ふむ? ふーむ。近頃どうも記憶が」
赤竜はそう言いながら、ゆっくりと顔をシエラに近づけた。
威圧感に気圧されそうになったが、後ろにいたセヴィランが背中を支えてくれる。
手のひらのぬくもりを感じ、なんとかそれを頼りに立ち続けた。
「おお、この匂い、覚えがあるぞ」
また匂いか、なにで覚えてるんだ。
「黒竜と、あの若き魔法師の匂いじゃな」
「よかったー、赤竜さんで合ってた。
あのね、封じた魔力を解放したいのだけど、お願いできる?」
「ふむ。いいぞ」
またもあっさりと、赤竜は頷いた。
黒竜と言い、せっかくの封印を解くことになんら思うことはないらしい。
それだけ、ささいなことなのだろう。
「あ。待って下さい、ここでは」
もう遅かった。
すぐに腹の底が熱くなる。
黒竜が封印を解いた時と同じ、体中が熱くて痛くて、シエラはすぐに意識を失った。
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リーリアは、ぶつぶつと悪態をつきながら、水汲みをしている。
あらゆるものを憎んでいた。
私は悪くない。
私は悪くない。
女神像の微笑みも、彼女の恨みをいやすことはできなかった。
「こんにちは、お嬢さん」
裏の井戸は聖堂を抜けなければ誰も入れないというのに、すぐそばに男が立っていた。
男子禁制のこの地で、誰がそんな真似を?
ぽかんとするリーリアに、男はニッと笑いかけた。




