21
「どういうことかしら?」
「僕に対する試金石、ということだろう」
御前を退いた後、二人はすぐさま作戦会議を開いた。
王宮の広い庭園の中、木陰にかくれるようにあるガゼボは、いつものお気に入りの場所だ。
心躍るはずのそのベンチで、シエラは不安でいっぱいだった。
「そう、よね」
「なんだ、暗い顔をして」
いつの間にか俯いていた顔をあげると、レアンドルはいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「もしかして、僕を信じてないの?」
「そんなことないわ!」
反射的に返すと、彼はくすりと笑う。
「シエラ。
初めて会った時に言ったよね、幸せになる努力を僕は惜しまないって。
今こそその言葉が口だけじゃないと見せてあげる。
待っていて。
少し考える時間は必要だけど、僕はこの事態を切り抜けて見せる」
そして王になるのだ、と、彼の目は語っていた。
「うん……」
ならばシエラは頷くのみだ。
レアンドルを頼もしく思う一方で、シエラは、王が心配だった。
あの方は、あんな風な方だったろうか。
初めて目通りを願った日、王は威厳こそあったが、レアンドルによく似た穏やかな目をしていた。
緊張しているシエラに、菓子を勧めてくれる鷹揚さもあった。
けれど、久しぶりに会った王はひどく険しい目つきをしていた。
常に周囲を警戒するような、鋭い顔だ。
言葉は厳しく、とげとげしい。
あんな風な方だったろうか。
「いつも通りに、三日後、また」
そう言って去っていくレアンドルは、さすがに鋭い目つきをしていた。
それでもやはり、王とは違う。
シエラは不安を完全に消すことは出来なかった。
約束の三日後、シエラはいつもの通り、侍女とともに王宮を訪れた。
出迎えてくれたレアンドルに挨拶をし、さて庭に出ようか図書館へ行こうか、と話しているその時。
「ごきげんよう、レアンドル様」
侍女三人、護衛三人を引き連れた、ジゼルが現れたのだ。
まるで図ったようなタイミングに、シエラは衝撃を受けた。
誰かが漏らしたのだ。
シエラが訪れるのが今日、この時間だと、ジゼル側に流したものがいる。
それはかなり衝撃だった。
事実上の王太子、その妃となろうシエラ、二人のスケジュールは極秘中の極秘だ。
動いてしまえば分かることだが、事前に知らせないことに意味がある。
近しい者しか知りえないその情報が、こんなにも簡単につかまれているなんて。
シエラは震えをなんとか抑えながら、彼女から声をかけてきたことにも遅れて気づく。
少なくとも、こちら二人のほうが身分が上だ。
彼女は特使ではあるが、オリオール家自体は爵位を持たない。
「不便はないかな、ジゼル嬢」
「ええ、とっても良くしていただいて。
でも、あの……」
「なにかご希望が?」
「よろしければ、お茶をいただきながらこちらのお話が聞きたいわ。
父からも、よく交流してくるようにと言われていますの」
一瞬気まずい間がある。
しかし彼女は、にこにことただ立っていた。
「ああ……では、我らと共に庭へ」
「あの、部外者の方と同席はできませんわ」
今度こそはっきりとした沈黙があった。
レアンドルの手がすぐ、シエラの手を掴む。
「紹介がまだだったな。彼女はシエラ・アルノー侯爵令嬢。私の婚約者だ」
「まだ婚約者でしょう?」
ジゼルの目は、シエラを一瞥もしない。
「ただのご令嬢で、爵位をお持ちなわけでもなく、王族でもない。部外者ですわ」
にっこりと。
まるで無邪気に。
レアンドルの手に力がこもるのが分かった。
シエラはすぐに、
「それでは私はこれで失礼いたします。お会いできて嬉しかったですわ、殿下」
そう言って、一歩下がった。
すかさず何かを言いかけたレアンドルに、こちらも素早く目配せをする。
ここでもめるのは得策ではない。
それに、彼女の言い分にも一理あった。
もし彼女の交流というのが、軍事面に関わる協力体制のことならば、確かに部外者なのだ。
まあ、そんな話をするとは思わなかったが。
事実などどうでもいいのだ。
理があるかどうかは、状況によって変わる。
現状は、ジゼルに軍配があがるということ。
「さあ、レアンドル様、案内してくださいませ?」
シエラの婚約者の名を呼び、彼女は自らその手を彼の腕に絡める。
ズキリと胸が痛んだ。
今まで、シエラの存在を知りながらこんなことをする輩は誰一人いなかったのだ。
シエラにとって、初めての嫉妬だった。
「申し訳ありません、公女様……」
苦し気に目をそらすのは、王宮の侍従だ。
シエラとも顔見知りで、幼い頃から出入りしているせいか、気安い挨拶を交わす仲でもある。
その老侍従が、厳しい顔つきでそう言う。
これでもう、五度目だ。
あれからシエラは何度かレアンドルと会い、そして何度かは会えなかった。
会うたびに、ジゼルの押しの強さを愚痴っていたが、いつからか、あまり話題に出さなくなっていたと思う。
かれこれ三カ月の逗留で、すっかり王宮に馴染んだらしいジゼルは、自らお茶会を開いたこともある。
他人の庭で!
誰も文句は言えないが、言えないからこそやるべきではないこともある。
彼女は、その辺が分かっていないのか、あるいは──分かってやっているのか。
それは権力の誇示だった。
当然、王にも様々な報告がいっているはずだが、彼女が咎められたことは一度もない。
王が後ろ盾についていると暗に示しているのだ。
共に過ごせずとも、時間が取れなくてごめん、とわざわざ言いに来てくれていたレアンドルが姿を見せず、侍従を通して断られること、五回。
父に詳細を聞くものの、軍事強化のためエルサンヴィリア側の辺境に派遣されている父も、詳しい内部事情は分からないようだった。
シエラとしては、不安と不満はあるもが、それで老侍従を困らせるつもりはない。
「そう……分かりました。せっかくだからお庭を見て帰ります」
「はい、はい! ちょうど、公女様のお好きなアイリスが見ごろでございますよ」
泣きそうな顔をした彼に言われ、そっと微笑む。
気遣いをありがたく受け取り、侍女二人を連れて庭に出た。
アイリスは、庭園の入り口近く、池と小鳥の餌台がある、お気に入りの場所だ。
いつでも綺麗に拭き清められているベンチに座り、ぼんやりしていると、ふと、遠くからざわめきが近づいてくるのが分かった。
侍女たちがはっとする。
彼女たちが脇に下がっていくのと同時に、姿を見せたのは、レアンドルだった。
その腕には、ジゼルがぶら下がっている。
レアンドルは予想外だったのだろう、シエラの姿を目にして、はっとした顔をした。
ゆっくり立ち上がり、礼を取る。
「レアンドル様、あちらのベンチに座って、鳥が来るのを待ちましょう!
楽しみですわ、アルノーにコマドリはおりませんの」
『きた、きたわよレアンドル!』
『しーっ、シエラ声が大きい』
『ごめん、初めて見たから』
『動いたら駄目だよ、動かなければほら、あの場で餌を食べるんだ』
『あれはなんという名前なの?』
『コマドリだよ、可愛いだろう?』
眩暈がした。
気力だけで倒れるのをこらえ、ゆっくりと移動する。
その場で再び頭を下げるシエラの横で、レアンドルが立ち止まった。
「……ここは王族の庭である。以後、許可がない限り、立ち入らぬことだ」
答えることは出来なかった。
声を出せば、泣いてしまいそう。
でもそれで良かった。
二人は答えを聞くつもりはなかったようで、すぐに通り過ぎていったからだ。
シエラは、後ろではしゃぐジゼルの声から逃げるように、王宮へと戻る。
驚いたように声をかけてくる侍従に、帰ると告げ、何か言いかけたのを振り切って馬車へと乗り込んだ。
知っていた。
何度目かの頃から気づいていた、本当は。
レアンドルには明確な夢がある。
それは王にならなければ叶えられない。
だから、彼は、何をおいても後継者としての選択を優先する。
ジゼルと王位がどう関係しているのかは分からない。
ただ一つ分かっているのは、シエラとレアンドルは、もう、終わったということだ。
好きも嫌いもない、ただの政略結婚だったはずの、けれど、始まったばかりの恋だった。
それから一か月後、シエラとレアンドルの婚約は、正式に解消された。




