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シエラのとる道はいくつかある。


ひとつは、このまま何もしないこと。

それもいい、と思う。

おそらく来年半ばあたりからの開戦から、徐々に戦火は広がり、三年後にこの国は滅ぶ。

農村地帯は、食糧供給を断つためにまっさきに狙われるが、シエラのいる地方は隣国からかなり遠い。

記憶によれば、おそらくここに手が伸びる前に全てが終わったはずだ。

捕虜となるが、労働力として生かされる可能性のほうが高い。

多分、死なない、というのがこの道。


もうひとつは、過去の記憶を生かして、滅亡を防ぐ道だ。

これはかなり難しいと言わざるを得ない。

今のシエラは、十四歳のただの農家の娘で、中央に知り合いも伝手もない。

しかも、噂によればすでに第一王子は特使を手にかけている。

開戦待ったなしの状態で、盤面をひっくり返すことなどできるだろうか。



そう考えた時、かの王子の顔が浮かんだ。

無表情で、黒にも濃紺にも見える不思議な色合いの髪で、それなりに長身なシエラよりもさらに手のひら一つ分高い位置に顔がある。

その距離。

その声。


息が苦しくなって、慌てて記憶を振り払った。

一度目の人生では、特使を切り殺した罪で、第一王子は王に毒杯を与えられたという。

事件が起こった時も、王子が自害した時も、シエラは傍にいられなかった。

だから今でも、その死は想像の中にある。

死んでしまったという事実だけは分かっているが、実感が伴わない。


ああそうか。

シエラはようやく、あることに気づく。


「まだ、生きてる……のか、あいつ」


彼はまだ、今なら、生きている。

なら、シエラが選ぶ道はもう決まった。

国を救うでも、戦況を変えるでもなく、シエラがすべきは、彼の命を守ることだ。


シエラは勢いよくベッドから起き上がった。






「シエラ、もう大丈夫なの? どうしたんだい、丈夫がとりえのあんたが倒れるなんて」

「もう平気」


母にそう返し、シエラは食卓を見回した。

両親と、姉が二人に、兄が二人。

自分一人がいなくても、労働力としては、十分だろう。


「私、傭兵になろうと思う!」


きっぱりと言う。

家族は、野菜のスープをすくう手を止め、それから、また食事を再開した。


「あの? 聞いてる?」

「お前、頭打っておかしくなったのか?」

「じゃがいもの木箱を二つしか運べないくせに傭兵って」


十四歳女子がそれだけ運べれば割とやれているほうだと思うが、兄二人はげらげら笑っている。


「分かった分かった、私のあのワンピース、ちょっと早いけどお下がりしてあげる。

 だからすねないでよ」

「そういえばずっとねだってたもんねえ。ヨナがまだ着れるのに」


姉二人は、シエラが何かの腹いせで言い出したのだと考えたらしい。

予想はしていたが、真剣に取り合えってもらえなかった。

シエラは、すごすごと部屋に戻る。

といっても、姉二人と同室だから、すぐにも騒がしくなるだろうけど、つかの間の静かな時間にまた策を練らなくては。


しかし、シエラはすぐに父に呼ばれてしまった。


「おいシエラ、体がもういいんなら、村長んとこに行くぞ。成人の儀のお願いをしなきゃ」


来年、十五歳で成人になるシエラは、村の儀式に参加しなくてはならない。

その参加申請、ということだろう。


「はあい」


染めもない羊毛織のカートルにショールをかぶり、父親について外に出た。

まだ昼の暑さが残る村道に、誰かが連れていたらしい羊の足跡が残っている。

月明りだけでそれが見える、明るい夜だ。


「あれ、お父さん、村長さんちこっちだよ」

「ちっと畑見ていく」


父は道をそれ、人家のない畑へと向かった。

畑に到着しても、何をするわけでもなく、安煙草に火をつける。


「どうしたのお父さん」

「なんで急に、お父さん、って呼ぶんだ? 父さん、って呼んでただろ?」

「えっ」


シエラの背中にぶわっと汗がわいた。

そうだったか?

父さん?

お父さん?

自分がどっちで呼んでいたか、まったく思い出せない。

アルノーの父を、お父様と呼んでいたのははっきり覚えているのに。


煙草を足で踏み消した父は、シエラを隣に呼び、肩を抱いてきた。

煙草の匂いがする。


「なあシエラ。

 若い時っていうのは、外に出て見たくなるもんだ。

 父さんもそうだったからな、分かるさ。

 だけどな、大人になってみたら、今度は、生まれた場所で家族に囲まれて暮らす幸せが分かってくるようになる。

 それまでの辛抱さ、なあ、馬鹿な考えは捨てて、もっと腰入れて農業を手伝いなさい。

 そうすれば、見初められて嫁にもいけるだろうさ」


肩を掴む手が、強くて、痛いほどだ。


軍人の頃の感覚とは相いれない話に、反射的に言い返したくなった。

けれど、農家に生まれた娘として、そういうものかもしれない、とも思う。


問題は、幸せの在り方ではないということだ。

シエラ自身が幸せになるかどうか、それはこれから選ぶ道には関係がない。

ただ、行かなければならないのだ。

第一王子の命がまだあるうち、という制限時間つきですらある。


「そうだね、とう、さん」


家族の同意は得られないと分かった。

だったらもう、手段はひとつしかない。





腰ひもを使って、必要なものを体にくくりつけ、その上からカートルをかぶる。

ベルトをゆるめにして、ばれないようにした。

ブーツのかかとに、今までコツコツ貯めたお小遣いを詰め、長いショールを肩掛けにして、胸の前でゆるく結ぶ。

姿見などないから分からないが、不自然ではないはずだ。


「じゃあ行ってきます」

「ああ、気を付けてな」

「シエラ、今日はプルームの塩漬けを作るから、出来るだけ早く帰ってきなさい」

「……姉さんたちは?」

「あの子たちは教会よ」


昨日、シエラが作ったクッキーを教会に持っていくだけの、簡単なお仕事だ。

シエラ・アルノーとしての記憶が戻って以来、今まで普通だと思っていたこうした差に、もやもやしたものを抱くようになった。


「なあに? 何か言いたいことがあるの?」

「え、ないよ、母さん」

「じゃあそんな顔をするんじゃないよ、ほら、笑いなさい」


シエラは無理やり口角を上げ、


「行ってきます」


そう言って、荷車を引き始めた。

ここから町まで、徒歩で二時間。

市場に青果を運ぶのは、シエラの仕事だった。

すれ違う村の人たちは、牛に荷車を引かせている。


もちろん、シエラの家にも、土起こしなどをさせるための牛がいた。

一度も疑問に思ったことはなかったけれど、今、初めて、なぜあの牛を連れていけないのかしらと考える。



「やあシエラ、精が出るね」

「おはようございます、シドのおじさん。

 今日も暑くなりそうね」

「そうだねえ。

 ……その、どうだい、お前さんの荷物を、うちのに乗せて一緒に行くっていうのは。

 なに、うちは今日隙間があるからね。

 俺も、町までの一時間、お前が話し相手になってくれれば対屈しないですむってもんだ」


友達のシドの父親は、困ったような笑顔でそう言った。

この申し出は、今までに三度目だ。

最初に乗せてもらった時は、父がお礼に行った。

二度目に乗せてもらった時は、シエラがひどく叱られた。

乗せてもらうたびにお礼をしてたんではうちは赤字だ、と怒鳴られ、だからシエラは、おじさんに会わないように時間を変えていたのだ。


「ありがとうおじさん、でもね、私ちょっと太っちゃったから、歩いて運動しなくちゃ」


がりがりの体でそう言えば、意味を悟ったのだろう、彼は気の毒そうな顔を隠すこともなく、そうかそうか、と答え、牛の尻を叩いた。


とはいえ、今日ばかりは乗せてもらうわけにはいかない。

乗せてもらえば、帰りも当然、一緒でなければならないからだ。




村が見えないところまで来ると、同じように市場へ向かう村人も、とっくにシエラを追い越していて、あたりには誰もいなくなる。


「よし」


シエラは、


「どっちにしようかな」


と言いながら、少し悩み、


「体を鍛えなくちゃならないのは本当だしね」


そう結論を出すと、手のひらを上向け、軽く集中する。

そのとたん、荷車の手ごたえが一気に軽くなる。

「浮遊」と「推進」の魔法を、荷車の車輪にかけたのだ。

シエラは、指一本でも引けそうなそれを、さも重そうに引きながら、市場についてからの予定をもう一度頭の中で確認した。



農家でよかったわ。

朝早い分、逃亡の時間が長くとれるもの。





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