16
寝台に寝転んでいびきをかいていたミシェルは、人の気配を感じて目を覚ました。
視界いっぱいに、ぬっと逆光で男の顔がある。
「うわぁ!」
「……ミシェル様、ご報告です」
のっそりとした口調で言うのは、下男のオンゾだ。
「ば、馬鹿野郎、普通に起こせ!」
「はあ」
「ったく、うすのろが! さっさと話せ!」
「はあ。例の騎士寮ですが」
ばっと起き上がり、ミシェルはオンゾの肩を掴む。
「おう、動いたか!」
「はい。ちっさいおなごが、ご立派な騎士と入っていきました。
お話に聞いておりました、金髪と青い目で」
「よくやった!」
しかしはたと、戻ってきたはいいが、どのように連れてくるかは考えていなかったなと思い出す。
うーん、と考えてみるが、いい案は浮かばない。
「めんどくせえ、浚って手を付けちまえばこっちのもんだ。
一度俺のものにすれば、誰も文句は言えないだろう」
ミシェルはくつくつと含み笑いをしながら、
「おい、まだ見張りを続けろ。あの女が外出する様子があれば、すぐに知らせに来い」
とオンゾに言いつけ、また寝台に寝転び、大笑いをした。
シエラが、またすぐに旅に出る、と言うと、女性騎士たちは残念そうな声をあげたが、彼女たちも実際のところ、新教皇の就任記念式典の準備で忙しかったりする。
エルサンヴィリアでは山に入ったが、今度の国では、そもそも当てがなかった。
竜の寝台のような分かりやすい地名もなく、どんな旅になるか分からない。
勢い、旅の準備も厳重なものにならざるを得ない。
「買い物行ってきまーす!」
シンプルなワンピースにポシェットの、町娘スタイルで飛び出すシエラを、憎々し気に睨む目がある。
リーリアだ。
暴行罪で捕まったミシェル・ヨーデリンが、取り調べでリーリアに呼び出しを頼んだことをあっさり喋ったせいで、彼女は寮長であるミナリエに叱られていた。
本来は軍部に呼び出しだったのを、ミナリエがかばい、騎士団を通しての注意勧告になったということを、リーリアは理解していなかった。
彼女にとって、シエラは、理不尽に叱られる原因になった敵だ。
自分の行動を顧みることもなく、反省もしていなかった。
その点で、ミナリエは間違ったと言っていい。
正式に処罰することが必要だった。
きちんと躾けなかった自分の責任だとかばいだてたせいで、リーリアは不満だけを後に残した。
それでもさすがに、直にシエラに絡むことは出来ず、出かけていく後姿をじっと見る。
ふと、敷地の外に、同じように彼女を眺めている人物を見つけた。
のっそりずんぐりした姿は、明らかに、シエラの後をつけていく。
さすがに一年、騎士として指導を受けてきたリーリアは、その目つきや足取りに危険なものを感じる。
だが。
ふ、と笑う。
リーリアは急いで、ある場所に向かった。
「ほんとにいいのかなぁ」
必要な荷物を買うと、シエラの両手は紙袋でいっぱいになった。
お金は、セヴィランから出ている。
いずれ軍に入ってもらうから、出世払いという約束だ。
それでも、今、他人のお金を使っていることに変わりはない。
かといって、手ぶらで旅に出る訳にもいかない。
「何かお金を稼ぐ手段を得なくっちゃ……」
「すみません」
ぶつぶつ言っているシエラに、道端からおずおずとした声がかかった。
小山のように大きな男だ。
見た目のわりに気が小さそうで、さらに申し訳なさげに座り込んでいる。
「あの、足をくじいてしまって」
「大変、立てます?」
「いえ、ちょっと無理そうで」
さすがに、身体強化なしにこの巨体を支えられる気はしない。
さりげなく魔力を使ってもいいが、いくらさりげなく使ったところで、この大男を支えてひょいひょい歩けば全然さりげなくならない。
「すまんのですが、家に知らせて家族を呼んできてほしくて」
「ああ、なるほど」
なぜシエラに声をかけたのかと考えたが、そういうことか。
快く引き受け、家の場所を聞いた。
「すいません、本当に、すいません……」
どれだけ気が小さいのか、異常に申し訳ないと繰り返す男を安心させて、シエラはその家へと向かった。
繁華街に近い、かなり大きな一軒家だ。
庶民の住む家としては、裕福な部類だろう。
「すいませーん、あのー、こちらの家の方が怪我をなさったみたいでー」
ドアをノックすると、すぐに開いた。
そして……あっという間に、シエラは家の中に引きずり込まれてしまった。
「あははははははは! ようやくだ! ようやくだぞ! この売女め!」
シエラは唖然とする。
そこにいたのは、婚約者を名乗って暴力をふるい、捕まったはずの男だった。
「フン、なんだその顔は。あのなあ、金さえ積めば、些細な罪などなかったことになるんだよ!
お前のような貧乏人には分からん世界だろうがな。
そんなことはどうでもいい。
お前は俺のものだ。
今日から、ここから出ることを許さないからな、さあ、ひざをつけ、頭を下げろ!」
吊り上がった口元が、勝ち誇ったようにわめきたてる。
驚きから立ち直るとともに、腹が立ってきた。
軍部は何をしているのだろう。
金を積まれて解放した?
確かに、牢の数は有限だ。
裁定が済んだ罪人を必要に応じて放つのは仕方ないだろう。
だが、それは罪を償うことが前提だ。
この男は、何も反省していないし、自分が悪いことをしたとはかけらも思っていない。
そういう人間は、再犯率が高いと分かっている。
無為に被害者を増やすだけで、なんのための捕縛だったのか、これでは分からないではないか。
「なんだその顔は!
いいから跪くんだよ、俺をご主人様と呼べ、早くしないか!」
振り上げた手が、シエラの頬を激しく打った。
だが──吹っ飛んだのは、男のほうだった。
「ひ、い……なん、手が、手が……!」
シエラを打ち据えたはずの右手が、変な方向に曲がっている。
身体強化した体に全力でぶつかった反力で、折れたに違いない。
床に転がった男に歩み寄り、見下ろした。
「この、クズが」
「な、なんだとこの、このガキ……!」
「そのガキよりも人間として格下なのはどうしたわけだ?
良いか、お前のような男は、生きているだけで他人様に迷惑をかける。
それを自覚しているならまだしも、まるで、価値があるとでも思っているようだな?」
「は、はぁ、お前、お前、許さんぞ、許さんぞ!」
手の痛みに立ち上がれない男は、顔を凶悪にゆがめた。
「さっきからそればかりだな、お前は。
聞きたいのだが、一体、私がお前に何を許してもらわねばならんと言うのだ?
お前に許されないことで、私は何か、困ったことになるのかな?」
は、は、と脂汗を浮かべながら、男はそれでも無理やりに立ち上がった。
「お前、なんなんだ、この、ガキめ!」
空いている左手で果敢に胸ぐらを掴み上げてこようとするのを、わずかな動きでかわす。
それから、足払いをして、腕を締め上げた。
「ぎゃあああああ!」
「あ、折れてるほうだった」
骨折をさらにねじられ、男は泡を吹いて気絶してしまった。
「やりすぎちゃった」
慌てて、治癒をかけるが、光魔法がまだ封じられているせいか、ほとんど効かない。
それでも、筋肉の損傷は多少やわらぎ、ただの骨折程度には戻っただろう。
その時、ノックがあった。
思わず動きを止める。
家主は気絶している。
どうしようかと考えたが、相手は待つつもりはなかったようだ。
誰の返事もないまま、ドアがすうっと開いた。
見覚えのある司祭服を着た、目の細い男が立っていた。
彼は言う。
「教皇庁から参りました。通りがかりに……こちらから強い魔力が放たれたもので」
ニィ、と笑う彼の後ろには、薄く微笑むリーリアがいた。




