13
黒は王家の色だ。
けれど、シエラにとってもセヴィランにとっても、その存在は遠く、身近に見られるものではない。
もう一つ、黒の系統がある。
それが、異界人だ。
神が呼んだ、あるいは誰かが故意に魔方陣を描いて呼んだ異界人は、様々な色を持っている。
そのほとんどはこの世界と同じだが、唯一、黒だけが特別だ。
それは異界人からしかもたらされない。
だから、今の王家は、異界人の血がどこかで混じったものと思われる。
二人が、唐突に表れた少女を異界人だと思ったのは、そういう理由だ。
まさか王族が、この時間に、こんなところにいるわけもない。
弱い月明りすら照り返すつややかな黒髪を、さらりと背中に流した少女は、シエラの方へとふらふらと寄って来た。
正確には、シエラが今まさにかぶりつこうとしていた焼き菓子に、だろう。
ぽかんとしているシエラの横に、当たり前みたいに腰を下ろし、目は菓子にくぎ付け。
シエラはその圧力に負け、思わず、持っていたそれを差し出した。
「まあ、くれるの?
悪いわね!」
そう言って、彼女は菓子を上品に、かつ迅速に、お腹におさめた。
だいぶ前に我に返っていたらしいセヴィランが、お茶を差し出す。
彼女はにっこりと笑い、それを受け取った。
「ええと……お嬢さん、は、ここにお住まいかな?」
セヴィランが果敢に質問をする。
どうみても普通じゃない相手だ、機嫌をそこねたらなにをするか分からないのである。
しかし、彼女は機嫌のよいままだ。
「ええ、そうよ。
マツリといいます、よろしくね?」
やはり異界人だ。
不思議な響きのその名に、対する二人も簡潔に名乗り返した。
「あら?」
マツリと名乗った少女は、また、ひくひくとその小さな鼻をうごめかせる。
「あ……まだありますけど」
荷物の中に包んである、焼き菓子の残りをかぎつけたのだろうか。
良い鼻をしている、と思いながら、包みを取り出そうとしたシエラだが、
「やだ、違うわよ。
これは一日一個なの。
カロリーがすごいんだから」
「かろ、りー?」
「ねえそうじゃなくって。
あなた、そう、シエラちゃん?
シエラちゃんは」
ぐっと顔を近づけてきて、また鼻をうごめかせる。
嫌なトラウマがよみがえりそうだ。
臭い?
臭いの?
「竜なの?」
自分の匂いをそっとかいでいたシエラは、びっくりして、顔全体で驚きを表した。
「竜?
私が?」
「そうよ、だって、同じ匂いがするもの」
竜と?
竜の匂いなどかいだことはおろか、想像もつかない。
けれど、例えばそれは花の香りだったりはしないだろう。
石鹸の匂いでも、ない。
結局、臭いのでは?
「ねえ、そうよね、黒」
その瞬間、山が動いた、と思った。
少女の背後に闇が盛り上がる。
さっきまでなかったはずの息遣いが、焚火の炎を激しく揺らした。
マツリの髪もふわりと巻き上がり、彼女は慣れた手つきでそれを抑える。
「それ」からにじみ出る凶悪な魔力に、気を持っていかれそうだ。
シエラの盾を張っているはずだが、マツリが簡単に通り抜けたくらいだ、意味はないだろう。
セヴィランも、圧倒されて動けずにいる。
だが、しばらくすると、のしかかるような魔力の圧力が、ふっと軽くなった。
代わりに、探られている気配がする。
見えない手に触れられているような。
同時に、シエラは不思議な感覚を得た。
既視感だ。
この気配を知っている、というような、間違った感覚。
「いえ……これは既視感じゃない、私……」
この竜を、知っている。
背中に三人くらいがゆったり乗れそうな大きさの、真っ黒な竜だ。
『なんだ。
お前か』
「喋った!」
「やっぱり知り合いだった?
だと思ったのよ、あなたと同じ匂いがするもの」
『魔力を匂いで感じ取るのは、普通ではなかろうが』
ぐうっと闇の一部が降りてくる。
炎のわずかな明かりに照らされ、黒竜の頭部が、ぬっとシエラの眼前に伸びた。
「あの、あの、あの、私、お、覚えがないのですが」
『それはそうであろう。
お前は赤子であったゆえ』
おぼろげながら、シエラの頭の中で、竜の言葉と父の言葉を考えあわせたある予想が形を見せ始めた。
「父を、知っていますか?
オーレンバルド・アルノーを」
『是』
「あらあ、私も思い出したわ、赤ちゃんを連れてきた貴族がいたっけ。
あの子、あなただったの。
大きくなったわねー」
シエラは竜にくぎ付けになっていた目を、思わずマツリに向けた。
十代の少女にしか見えないこの子が、私の赤ん坊時代を知っている、とは?
「シュヴァルツはね、お話が上手じゃないの。
だから私がお手伝いするわね。
さて、聞きたいのはどんなこと?」
もはや信じてもらうもなにもない、シエラはただただ、自分の状況を説明した。
一度セヴィラン達にしているから、あの時よりも簡潔に分かりやすくできたと思う。
そうして、対するように、黒竜も話をしてくれた。
『この間、お前の父がお前を連れてきた』
「そうそう、2、30年前よね」
この前……?とセヴィランが呟く。
『あやつの魔力はなかなか悪くない。
だから以前、私が彼を呼んだことがあった。
その縁で訪ねてきたのだ』
「50年くらい前よね、会いに行くっていうのを私が止めたのよ、だって騒ぎになるじゃない?」
マツリがある程度口を挟んでくれなければ、三日はかかったに違いないが。
彼らの話をまとめるとこうだ。
50年ばかり前、膨大な魔力を持つ若者に興味がわいた黒竜は、彼に思念を送り呼びつけた。
そして出来た縁はその後しばらく途切れたが、彼が結婚し、子どもが生まれた時に、その赤子を連れて不意に訪ねてきたという。
そして、黒竜に頼んだ。
「娘の魔力を封じてほしい」
赤ん坊の魔力は、父親に匹敵するほどだったが、父はそれを恐れた。
多すぎる魔力のせいで、父の人生は軍事一直線と生まれた時から決まっていたが、同じ人生を娘に負わせたくないと言う。
黒竜は、特に面倒でもない頼みだったので、気軽に引き受けた。
そうして、生活魔法を残し、生来の発現能力が必要とする魔力はすべて封じたのだ。
だが、シエラの魔力の一部はその封印から漏れた。
それが守護に徹する盾の魔法だ。
父は、シエラが幼いうちにそれに気づいたが、攻撃魔法がすべて封じられていることを確認し、身を守るすべは残しておいても良いだろうと判断した結果、封じ直しはしなかったようだ。
「ふんふん、つまり、オーレンは、あなたの封印を解こうと考えているのね」
シエラの考えと同じことを、マツリが言う。
「多分そうです。
戦争を止められるのが一番ですが、父の予想では、それは不可能だと。
だから、今度は、その戦争に勝たなければならないと思った。
そのために、私の攻撃魔法が必要で」
戦いとは無縁な人生を生きてほしい。
父の願いは、結局のところ、守護の盾魔法を残してしまったことで、叶わなかった。
シエラは流れるように軍に入り、そして、戦死する。
どうせ軍にとらわれるなら、死なない人生がいい。
父はそう考えた。
守るばかりでは生き残れない。
勝つために、シエラの魔力を解放する。
『そうか、なら解こう』
シエラ達が父親の思惑をあれこれ探っている間に、黒竜はあっさりと決めた。
「え?
そんな簡単に?」
『造作もない』
「試練とか」
『なんのためにだ?』
心底分からぬ、という声をした黒竜は、シエラから顔を離し、自然な姿勢になって目を閉じた。
意味のとれない低い呪いが唱えられ、そのとたん、シエラは腹部に熱を感じた。
思わず抑える。
それはどんどんどんどん熱さを増すようで、やがて顔が歪むほどにまでなった。
「シエラ、大丈夫か?」
セヴィランが心配し、肩に触れてくる。
肯き返す余裕もないが、黒竜を止めようとするのは、首を振って拒否した。
なんのためにここに来たのか。
祖国を守るためだ。
攻撃魔法を会得し、戦うことで国を守るのだ。
熱はどんどん高まる。
腹部から、熱が全身に広がっていく。
頭のてっぺんまで燃えているかのように熱に覆われつくす頃、唐突にその熱はひいた。
『さあ、解けたぞ』
竜は言った。
『私が封じた分は、な』




