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あの日あなたは私に愛を捧げた  作者: 有沢ゆう


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「やっぱり。

 やっぱりですのね、あの売女……!

 なにが魔力よ、下層の農奴ではないの!」


リーリアは、薄汚れた帽子を握りしめた男の前で、勝ち誇ったようにそう言った。

その瞬間、男の顔にむっとした表情が浮かんだが、彼女は気づかない。

庶民の表情をうかがうなど、したこともなかった。


男の後ろには、婚約者を名乗る若い男もいたが、身なりからしてたいした家ではなさそうだ。

顔もリーリアの好みではなく、声をかける必要性も感じない。


「分かりました。

 お前はここでお待ちなさい。

 今すぐ連れてくるわ、お前の娘とやら。

 ああ、姿を見られないよう、その門の陰に……そう、そこでいいわ」


そう言い捨てると、駆けださんばかりの勢いで、シエラの部屋へと向かう。


全く、全く、気に入らなかったのだ。

リーリアは高等部の卒業が遅れたため、入団は同僚よりも半年遅く、ゆえに、リーリアは今まで唯一の新人として目をかけてもらってきた。

周囲の思惑としては、リーリアがあまりに技術も座学も体力も低かったため、叱咤のつもりで声をかけていたのだが、本人はそうは思っていない。

貴族らしく、父とも母とも乾いた関係で育ってきた彼女にとって、それは人に注目される初めての機会だったのだ。


しかし、シエラが来てから変わってしまった。


先輩としてそろそろできるようにならなくちゃね。

もう新人じゃないのだから、これくらい一人で考えなさい。

シエラの教育に悪いふるまいはおやめなさい。


そんな小言が、一気に増えた。

今までうまくやって来たのに、最近は全然楽しくない。

むしろ辛い時間が増えた。

誰も手助けしてくれないし、誰も褒めてくれない。


何もかも、シエラのせいだ。



シエラの父親を名乗る男は、見るからに庶民であり、貴族であることを至上と考えているリーリアには、それだけでもはや「勝った」のである。

とはいえ、シエラがいなくなるにこしたことはない。


ノックもせずに、部屋のドアを開けた。



「お前、すぐに正門前へ行きなさい。

 お迎えよ」

「び、びっくりした!

 お迎え、ですか?

 誰だろう」

「あなたのお待ちかねの人よ。

 いいから急ぎなさい!」


戸惑っているシエラを追い立て、ぐずぐずするなと叱りつけて、正面玄関から外へと、そして正門へと歩かせた。

彼女は上品なワンピースを身に着けていて、本当はそれをはぎ取りたかったが、疑問を持たれ逃げられるわけにはいかず諦める。


「誰もいませんけど」

「その門の向こうよ、そら!」


どん!と突き飛ばし、敷地の外へと押し出す。


「見つけたぞ、シエラ」


彼女は、自分の二の腕をがっしりと掴んだ男を見て、みるみる青ざめた。

きつく握られたシエラのワンピースの袖は、綺麗なドレープがつぶれ、ああ皺になるわ、とだけリーリアは考えた。














「父さん、やめて、手を放して!」


ぐいぐいと引っ張られ、足をもつれさせながら、シエラは懇願した。

今にも転びそうなのに、父は止まらない。


大通りからかなり外れた騎士団の寮から、間にある公園を抜け、馬車道に出てから、ようやく父は止まった。

そして、乗合馬車の待合に近いところでシエラに向き合うと、手を振り上げる。

ぶたれる、と、反射的に身をすくめたが、衝撃はこなかった。


「やめてくれ、往来で馬鹿な真似を」


父の手首を、若い男が握っている。

そういえば、さっきからずっと一緒に歩いてきたが、誰何だろう。


「し、しかしヨーデリン様、自分勝手な娘にはお仕置きが必要です!」

「ああ、存分にやるがいい、家でな。

 ここをどこだと思っている、王都の往来だぞ。

 お前の村の、法も道徳もないような田舎ルールはまかり通らないんだ」


さりげなく失礼なことを言いながら、男は父の手を放す。

さすがに、父もそれ以上シエラを叩こうとはしなかった。

その代わり、きつく睨みつけてきた。


「全く、お前のせいで、馬車代も滞在費もかかったんだ、いずれ返してもらうぞ!

 勝手なことをして、この、我儘娘が!」

「ごめんなさい父さん、でも私」

「でももクソもない、お前は来月には成人だ、そして式を挙げなければならないというのに!」

「式?

 式って、成人の儀のこと?」

「そうじゃない、お前の、結婚式だよ!

 お前はな、このヨーデリン様に嫁ぐんだ!

 名誉なことなんだぞ、それを、全く……!」


嫁ぐ?

シエラは呆然として、男の顔を見た。

男は、ニヤリと笑う。

そして、シエラの体をじろじろと眺めまわした。

本能的に、ぞくりと悪寒がする。


「で、でも、私、結婚なんて」

「お前には直前に言うつもりだったんだ、お前は愚図だから、考え事をする間もなく行動したほうがいいんだよ」


それはつまり、不意打ちで無理やり嫁がせるということではないか。

シエラが嫌がることを見越していたのだ。

嫌がるような相手だ、ということではないか?


シエラは必死で考えた。

ヨーデリン家というのは、あの、村から一番近い、シエラが野菜を売りに行っていた都市の大店(おおだな)の名前だ。

貴族ではないが、庶民層の中では裕福なほうだろう。


なるほど。


シエラは、父の必死な様子に、合点がいった。

金か。

普通、シエラのほうが持参金を携えて嫁ぐのだが、この結婚は、向こうから金が出る。

そうでなければ、父がこんなところまでシエラを探しにくるはずがない。

金で売られるのだ、自分は。


「ふん、こうして見ると、悪くないじゃないか。

 若いだけが価値だと思ったが」


男は、シエラに手を伸ばし、あろうことか耳を掴んできた。

しつけをするように、強く。

痛みと屈辱で、シエラは思わず、その手をパン!と払ってしまった。


男は瞬間、歯をむき出して怒りを表した。

しかし、シエラのほほを叩いたのは、今度こそ、父の大きな手のひらだった。

農業を何十年もしてきた父の、分厚く大きな手は、シエラの小さな体を簡単に吹っ飛ばす。

よろけて道の端に倒れたが、地面にすりむいた手足よりも、顔の半分がくらくらするほど痛かった。

気力がなえる。

シエラはぐったりと体の力を抜き、父に腕を掴んで引き上げられるままになった。


連れ戻されるのか。

これで。


そう、思った時。






「なんの騒ぎだ」


低い声が、かかった。

シエラは、痛みをこらえながら、うっすら目を開ける。

立っているのは、中尉(リュトナン)の紀章をつけた女性騎士と、数人の男性騎士だった。


中尉が顎で示すと、男性騎士の一人がシエラを支え、もう一人が父の腕を掴んだ。


「いだだだ!」


軽く掴んだように見えたが、父が叫び、シエラの腕がぱっと放される。

すかさず支えられ、よろめきはしたが、倒れずにすんだ。


「なにすんだ!」


叫ぶ父に、中尉は全く表情を動かすことなく、


「王の膝元で暴行を働いておいて、何をするとは笑わせるものだ」

「ぼ、暴行じゃねえ、これは俺の娘だ、親が娘を叱って何が悪い!」


父の言うことはほぼ正しい。

村だろうが王都だろうが、血は水よりも濃しとする法は、親子であれば暴力どころか殺人も時に許される。

だが、中尉は、ほう、と言いながらわざとらしく首を傾げた。


「親子である、と主張するか」

「主張もなにも、当たり前のことだ!」

「ふうん。

 お前と。

 そこなる高貴な少女が、親子だ、と?」


ふと気づくと、周囲には人だかりができていた。

馬車道で、かつ乗合所が近く、ただでさえ人通りが多いのだから、こんな騒ぎがあれば当たり前だろう。

そしてその集まった人々から、シエラに視線が集中する。

中尉は少しの間、じっと黙った。

まるで自分の言葉と、シエラの容姿が、じっくりと人々の目に焼き付くまで待つように。


「……美しいブロンド、ブルークオーツの瞳、仕立ての良い服、サロン・ド・ヴィヴィの靴。

 もう一度聞くが、この方が、お前の娘だと?」

「そ、そうだって言ってんだろうがあああ!」


父にも思い当たることがある。

自分たち夫婦の娘とは思えない。

忌み子。

自分たちと、そして自分たちにそっくりな四人の子供たちとは、違う。

ずっとそう思ってきたはずだ。

それが、声に出る。

動揺と、強がり。


さわさわと周囲の人々が囁きかわす。

その中には、笑い声さえ混じっていた。


誰も信じていないのだ。


中尉は、誰もが嘘だと確信したような空気が浸透したのを見届けるように、騎士たちに指示を出した。


「この男を捕らえよ。

 貴族の娘をかどわかし、暴行を加えた罪で取り調べる」

「な、やめろ、俺は、俺は……!

 ヨーデリン様、証言してください、俺が父親だって!

 ……ヨーデリン様?

 どこです!?」


驚いたことに、あの若い男の姿は見当たらない。

不利と気づいて逃げたのだろう。


「なんとも逃げ足の速い共犯者だな。

 逃亡したほうが罪が重くなると、教えてやらなかったのか?」


騎士たちが彼を見逃すはずがない。

わざと逃亡させたのだと気づき、シエラは感心した。

そして、感心したことで、ようやく平静を取り戻し始めたことにも気づく。


見知らぬ襲撃者は返り討ちに出来ても、父に暴力はふるえない。

小さなころからそう育てられた農家の娘としてのシエラは、父の怒鳴り声には反射的に委縮してしまう。

怯えが先に立ち、反撃なんて思いもつかなかった。


父が拘束され、騎士たちに両脇を抱えて引きずられていく姿から、目をそらす。

今、父に助けを求められたら、自分はどうするだろう。

判断はつかなかったが、幸いなことに、父は騎士たちに喚きたてながらすぐに角を曲がっていった。



「大丈夫か?」


父の姿を遮るように、中尉がシエラの前に立った。


「は、はい、あの、ありがとうございました」

「礼ならセヴィランに言うのだな」


ぱっと目を上げる。

中尉は、日焼けに傷のある顔をにこりとさせ、シエラに手を差し出す。

まるでエスコートされるように、近くの馬車に案内された。

シエラとともに中尉も乗り込むと、御者の鞭が鳴る。

静かに、しかし手早く、シエラは騎士団本部へと移動した。







「シエラ!

 ああ、無事で良かった!

 ……いや、なんだよ、待って、なんだよこの傷は!」


本部で、再びのあの取調室に入ると、中ではセヴィランとアーロンド司祭が待っていた。


手を広げて安堵の表情でシエラを迎えたセヴィランが、なぜか中尉を睨む。


「あ、父に殴られたんです、エリナ中尉はスマートに助けてくださいました!」


そう言うと、彼は、痛ましそうな顔をする。

そして、口の中で小さく、罵りの言葉を呟いた。


「君と父親の容姿の違いを利用して、騎士団の見回りが咎める作戦は、セヴィランが考えたのだよ、お嬢さん。

 だから私は、君が暴行を受けるまで待っていたことになる。

 申し訳なかったな」


エリナ中尉の言葉に、シエラは、とんでもない!と手を振った。


「逮捕して隔離するためには、必要な行程でした。

 理解しております。

 ありがとうございました」


エリナ中尉は、凛々しい顔をにこりとさせる。


「傷の詳細はすでに記録した。

 治してさしあげるがいい」


すぐにアーロンド司祭が進み出て、治癒魔法をかけてくれた。

暖かなその光を浴びていると、


「彼女が貴族でないことは、事実確認ですぐに知れてしまう。

 つまり、あの父親だと言う男も、せいぜいが一晩か二晩の拘束が限界だぞ」


中尉がそう、忠告する。


「さて、どうしよう、サージェス様にお知恵をお貸し願おうか……」


考え込むセヴィランに、シエラは言った。


「あの」


三人の顔を見回しながら、きっぱりと。


「私、王都を出ます」




ローズ大佐の名前をアティカ・ローズに変更しています。

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