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第9話 【悪役令嬢】イザベラ・リーベルス公爵令嬢

 今思えば、一度目の人生は「リーベルス公爵家の令嬢」という呪いにかかっているかのようだった。

 

 物心がつく頃には、未来の国妃となるべく、厳しい王妃教育を受けていた。何度、夜、ベッドの中でひとり涙したことか。イザベラが、それでも頑張ることができたのは、将来の伴侶となる「王子様」のお陰だった。

 両親も、家にいらっしゃる錚々たる家のお客様たちも、当たり前のように呼ぶのだ。「未来の国妃」と。未来の国妃とは、第一王子殿下のお嫁さんになることだと、イザベラがいかに幼くても、すぐにわかった。

  

 誰しもが憧れる、絢爛豪華たるお城に招待される私。伺うときは、皆が羨む綺麗なドレスを着る。

 そして、こちらに気がつけば、いつでも微笑んでくれる第一王子殿下。まわりにいる大人たちに臆することなく立ち回り、自信溢れるそのお姿でエスコートしてくれる。

 

「本当にお可愛いらしい。」と皆が口々に言う。

「お似合のお二人だ。」と父親が頷く。

 

 彼は私の王子様で、私は彼のお姫様だからだ。

 

 イザベラは、自分が彼の婚約者になることを疑わなかった。けれども、本来なら幼い頃に既に結ばれてて良いはずの婚約が、なかなか成されない。イザベラは、「そういうものなのかもしれない」と無理矢理自分を納得させたのだが、父親は「お前の努力が足りないからだ。」とイザベラを責めた。

  

 もどかしい日々だった。

 

 それでも、後に国王となられる彼を支えるため、彼に相応しい国妃となるため、寝食を忘れ、努力を続けた。次期皇太子であらせらる第一王子のその凛とした佇まいと、その横に立つという矜持だけが、その頃の彼女を支えていた。

 

 アカデミー入学を前に、殿下が立太子され皇太子様となられると、それに伴いイザベラが婚約者として正式に発表された。やっと訪れた念願の時に、イザベラは天にも昇る気持ちだった。これで、今までの努力が報われる。そう信じて疑わなかった。それからしばらくは、すべてが順風満帆だったように思う。

  

 聖女が現れるまでは。

 

 

 新入生歓迎パーティーが終わった頃から、ストロベリーブロンドの髪を持つ令嬢が、時々ではあるが殿下の隣にいるのを見かけるようになった。しかも、イザベラが見たことのない笑顔を、令嬢に向けている皇太子殿下。はにかんだ、時には頬うっすらと染めた笑顔。笑い声さえ聞こえるようだ。

 

 殿下のそんな笑顔、知らない。なぜ?

 

 彼女のことが気になって調べてみれば、末端貴族である男爵家の令嬢で、本来皇太子殿下と言葉を交わせるような身分ではないことを知る。


 

「本当に、みっともないことです。」と、いつも一緒にいるご令嬢の一人が怒ったように言う。他の令嬢達たちが、それに揃えたかのように頷き合う。

 

 今日は、イザベラの家であるリーベルス公爵家で、アカデミーの「お友達」とお茶会である。

 洗練された庭に用意された席で、イザベラのクラスメイトでもある「お友達」が、イザベラの前で口々に彼女の行動を「はしたない。」と言う。礼儀知らず、とも。

 

「殿下はお優しいから、無碍にできないのですわ。きっと。」と、他のご令嬢が続ける。

 

「誰かが注意した方が良いのではありませんか。」と、また誰かが言った。

 皆が頷き合い、視線がイザベラに集まる。

 

「どう、思われます? イザベラ様。」と、その中で一番高位な侯爵家令嬢がイザベラに問いかける。

 

 イザベラは口元を扇子で隠し、「まあ、宜しいではありませんか。」と答えた。

 


 しかし、その言葉をどうとったのか、ご令嬢たちが数名で実際に注意しに行ったようだった。

 

 それなのに。

 

 二人の仲はますます近づいていく。

 隠れるように二人の時間を過ごしているのを、イザベラは知る。二人の瞳にほんのりと熱がのりはじめている。 

 イザベラのまわりには、口々にそれを心配し、報告してくれる「お友達」。

 

 どうして?私がお姫様なのに?

 

 イザベラの自信が揺らぐ。

 


 そこに、あの事件が起きた。

 

 学園に突如現れたワイバーン。

 

 学園が混乱に陥る中、体中に光を纏い、皇太子様の前に躍り出たストロベリーブロンドの彼女は、ワイバーンをその吐き出された炎と共に、瞬く間に消し去ってしまった。

 光り輝くその姿に、誰もが息をすることを忘れ、見惚れた。イザベラもその一人だった。

 

 女神リリアの娘。

 この国の救世主。

 

 彼女はその後すぐに国王に謁見することとなり、聖女として認められる。そして国王陛下を前にして、「三年後に魔王が復活する。」と予言し、皇太子と共にそれを封印しに行く運命だと告げた。

 

 その話は、瞬く間に王都にまで知れ渡ることとなり、聖女が皇太子殿下の婚約者になることを望む声が聞こえてくるようになるのは、あっという間のことだった。 

 二人が結ばれることは、運命なのだと。

 

 では、その立場に収まっている私は?私はお姫様ではなかったの?

  

 今までの努力が、時間が、涙が、全て泡となって消えていく。

 イザベラは、それらを慌てて掴んで取り戻そうとするかのように、聖女と呼ばれる彼女の胸座をつかみ、階段から突き落としたのだった。


 

 果てしなく続くと思っていた修道院生活だったが、初めて訪れた父親が、「お前のために」と言って菓子を持ってきた。

 その夜、部屋に一人になったときに、イザベラは「納得して」それを食べた。

 

 それは、「お父様のため」でもあったし、それを持ってきた「リーベルス公爵家のため」でもあったし、「自分のため」でもあった。

 もう、イザベラは疲れてしまったのだ。

 

 

 

 そして、目が覚めた。

 

 まだ泥身残る中、イザベラは自分が自分であることをゆっくりと確認する。

 

 もしかして、死に損なった?

 

 イザベラは、まだ焦点の合わない視界で、辺りを見回す。

 ところがそこは、修道院の固いベッドではなく、何人も眠れるような大きなベッドであった。それは、とても懐かしい景色。

 

 しばらくして、ドアの開く音がする。侍女が入ってきたようだった。水差しを取り替えている、それをただ見つめていた。侍女が振り返り、こちらを見る。

 

「…お、お嬢様が!」

 

 侍女は、ひどく慌てた様子で廊下に飛び出し、「お嬢様が、お目覚めになられました!」と叫んだ。

 

「ああ、悪い夢を見ていたのね。」と、イザベラは天井に映る影を見ていた。

 そして、「でも、あれは現実だった。」と、目を瞑る。

  

「私は…、死ねなかったのね。」

 

 暖かい涙が頬を伝い、自分が生きていることを嫌でも自覚させられる。そして再び、微睡みに身を任せた。

 

 次に目を覚ました時、あの厳しかった父親が顔をのぞき込んでいた。

 イザベラをじっとのぞき込んだ父親は、最期に会ったあの疲れ切った白髪交じりの顔ではなく、現役の大臣らしい厳しさの漂う、今となっては懐かしいとさえ感じる姿をしていた。

 頭が混乱する。一つの馬鹿げた仮説が思い浮かぶ。

 

 そんな、…馬鹿な。本当に?

 

 混乱したまま自分の手を見つめれば、明らかに小さくて、自分が皇太子と婚約どころか、王妃教育でさえ途中である子供時代に戻ったのだと認めざるを得ない。

 

 いったい、何が起こったというの?

 

 体が重い。目の奥がズキズキする。

 

 そこで、心配そうに顔をのぞき込んでいた父親が口を開いた。

 

「寝込んでいる場合ではない。この数日の遅れを取り戻さねば。」と。 

「未来の国妃なのだから。」と。

  

 ああ、変わっていない。これは、現実だ。

 

 目が覚めたばかりのイザベラに、王妃教育を急かす父親。

 昔に戻ったのだ。

 

「ふふ。うふふふ。」

 

 イザベラの、思わず出てしまった笑いが、止まらない。口元を押さえる。

 自分よりも王妃教育を心配する父親に、ホッとしてしまう自分がおかしかった。あたたかい涙が、頬を伝う。

「帰ってきたのだ」と、イザベラは感じた。

 そんなイザベラに父親は、呆然とする。きっと、娘が王妃教育の厳しさに耐えかねて狂ったのだと焦ったことだろう。

 

「ふふっ、あはははは。」

 

 イザベラは、公爵らしからぬ父親のそんな顔を見て、今度は高らかに笑った。

 

 目を見開いたままの父親が、「ゆっくり休むように。」と告げて、逃げるように部屋を出ていった。

 イザベラは閉まるドアを見つめながら、これからのことを思う。

 

 王妃教育など、とっくの昔に終えているのだ。後は、この体が大きくなることを待つだけ。何の因果か、せっかく得たやり直しのチャンス。あの時間を、無駄になどしない。今度こそ、私は王妃になるのだ。私はお姫様なのだから。

 

 

 

「イザベラ様にお教えできることは、もう無いように感じます。」と、時にはイザベラを叩くことさえあった家庭教師が言う。

 厳しかったはずの王妃教育は、二度目のイザベラにとっては、ただの時間潰しのようだった。

 

 アカデミー入学まで、まだ時間はある。

 同じ轍を二度と踏まないためにどうすべきか、イザベラは毎日のように考えた。自分がどうしたいと思っているのか、も。

 イザベラから見える未来は、まだ真っ暗闇だ。でも、そのための道を探すことを一人決意する。

 

 

 

「今日も予定が詰まっていてね。せっかく来てもらったのに短い時間ですまないね、イザベラ嬢。」と殿下が言う。

 

 たまに、殿下の遊び相手として城に招待されるのは、一回目の人生と変わらない。お茶を前にしてお話する殿下は、相変わらず幼さは残るものの凛々しくあられるが、全く楽しんでいないのは明らかだった。

 だって、イザベラは知っている。殿下の本当の笑顔を。それは決して、イザベラ自身に向けられたものでは無かったが。

 

「いいえ、お忙しいところお時間をお作りいただいて、ありがとうございました。」とイザベラが答える。

 

 ここからが始まりだ、とイザベラは静かに心を震わせた。絶対にうまくいく。

 私はお姫様。私はお姫様。何度も言い聞かせる。

 

「でもせっかくですから、下城の前に庭園を少し見させていただいてもよろしいですか? 今はバラが見頃だと聞いて、楽しみにしておりましたの。」とイザベラが言えば、殿下が少し困ったように「一人で?」と聞く。

 

「殿下はお忙しいでしょうから、私一人で。」

 イザベラは扇子で口元を隠す。

 

「そうか、案内できなくて残念だが。すまないね。」と殿下は言った。

 あの作り物の笑顔で。

 

 でも、許可は出た。

 

 殿下の手が差し出され、それに手を添えて立ち上がる。侍女が椅子を引いてくれる。

「またお誘いいただけるのを、楽しみにしておりますわ。」と告げて、会話の弾まない時間に終止符をうつ。そして、完璧な所作で暇の挨拶をして、退出した。

 先導する護衛に気づかれないように、心の中で重たい息を吐き出す。

 

「この後、少しだけ庭園を見させていただく許可をいただいているのですが、案内していただけますか?」と声をかければ、姿勢の良い騎士は「畏まりました。」と言って、ゆっくりと歩を進める。

 

 バラを見に行く。

 王家専用の書庫から見える庭園へ。

 

 今なら、第二王子が書庫で勉強しているはずだ。

 


 

 ――――――――






  殿下の「友達」という存在にイザベラが気がついたのは、二度目の人生が始まってしばらくたった頃だった。

 

 その日も殿下とのお茶会のため、豪華なドレスを着せられて城に出向いていた。

 決して殿下のご意志ではない、ということぐらいイザベラにもわかっている。自分の父親が「我が娘を婚約者に」と、しつこく薦めていることも。

 城の馬車止めで、案内を任されている護衛の騎士が、イザベラが乗った馬車の扉を開けてくれる。差し出された手に自分の手を重ねて、タラップを下りる。

 簡単に挨拶をした後、「第二王子殿下にお薦めいただいた本を、本日、お茶会の前に返す約束をしているのですが。」と、騎士に伝えると、既に話が伝わっていたらしく、すぐに頷いてくれた。

 

 順調だ。扇子に隠して、笑う。

 

 二度目の人生になって、笑うことが増えた気がするわ、とイザベラは無意識に口元に当ててしまう扇子を見つめて、ますます笑みを深めた。

 第二王子との待ち合わせは、この前と同じ、王家専用の書庫から見える庭園だ。

 

 先日の第一王子殿下とのお茶会の後、イザベラは庭園にバラを見に行った。

 その日はいつも以上に華やかな真紅のドレスを自らねだって着てきた。今日はまだ無理かもしれないけれど、と考えながら、バラの香りを嗅ぐ。

 そこに、微かに足音が聞こえてくる。

 

 第二王子、エドワード。


「何をしているの?」と、二つ年下のまだ幼い王子は、声をかけてきてくれた。同世代の子供に興味津々の瞳が、イザベラにはこそばゆかった。

 まさか、こんなに早く釣れるなんて。

 あまりの嬉しさに、不敬な言葉が頭に浮かぶ。暗闇の中、手探りで探していた自分の歩くべき道が、目が慣れて段々と見えてきたような、そんな気がして、イザベラは少し肩の力を抜いた。

 

「イザベラは、バラが好きなの?」 

「お勉強はしなくて良いの?」

「僕、あんまり剣術は好きじゃないんだ。イザベラは? 女の子も剣を持ったりするの?」

 

 歳の離れた兄はいるが、弟や妹はいないイザベラ。そんなイザベラにとって、自分より年下の子は新鮮だった。何より、イザベラの中身はもう既に大人のそれだ。質問ばかり投げかけてくるエドワードが、とても可愛らしかった。

 

「バラは、大好きです。このトゲが、鎧のようでしょう?」

「お勉強はたくさんしていますよ。でも、書物と睨めっこする事ばかりが勉強ではないでしょう? 庭園を見ることも勉強になると、そう思われませんか?」

「剣は身を守るぐらいのことしか教えてもらえません。だったら、誰かに守っていただけるだけの何かを、身につければよろしいのだと思いませんか?」

 

 イザベラは、エドワードの質問一つ一つに丁寧に答えを出し、王子が再び考えられるように話題をふる。子供の謎かけ遊びのように。その作業は、イザベラの暗闇の中にいる心を落ち着かせてくれる。そのうちイザベラは、自分の目的を忘れ、エドワードとの時間を素直に楽しんだのだった。

 


 そんな時間を過ごした庭園に、今日は城に着いて早々に向かう。足取りが軽い。

 今まであまり利用することの無かった外通路を、騎士に先導されて進む。しばらく行くと、広いグランドのような場所が見えた。

 

 こんな場所があったのね。

 

 広い敷地の訓練場のようだった。珍しい黒持ちの集団が見えて、そこが魔術研究室のそれだと知る。

 ちょうど訓練が終わったところのようだ。魔術師らしい黒いローブを着た大人たちに紛れて、数名の子供達も見える。そこに見慣れた姿が見えた。

 殿下と…同じ歳ぐらいの…男の子?

 

「殿下が、いらっしゃいますね。」と、先導する騎士に声をかけると、騎士は足を止めてくれた。そして、「毎週、魔力を持つご子息達を集めて制御の訓練をしているのですが、今後の彼らとの関係なども考慮された結果、第一王子殿下も参加されるようになられたと聞いております。」と教えてくれる。


 殿下が、それはそれは子供らしく、一人の黒髪の男の子と走り回っている。どちらが追いかけるでもなくぐるぐると、子犬が戯れるかのように。

 何の疑いも持たない、子供らしい笑顔で。

  

 そうね、まだ殿下は子供だったのだわ、とイザベラは思う。

 

「なんだか、楽しそうですね。」と、騎士が言う。

「殿下はいつも常に落ち着いた態度でいらっしゃるので、なんだかそんな当たり前のことを忘れておりました。」と、イザベラが答える。

 

 お互いがお互いを追いかけて、ただ走り回っている。殿下が男の子の服を掴んだと同時に、足がもつれる。イザベラが「あっ」と思ったときには、二人揃って転び、そしてお互いに顔を見合った後、お腹を抱えて、今まで聞いたこともないほどの大きな声で笑い合った。

 そこにいたのは、肩書きなどという重い鎧を脱いだ、普通の男の子だった。

 

 そうか。殿下は、私と一緒にいても楽しくなかったのだ。

 

 その言葉は、イザベラの心にストンと落ちた。ずっと自分に問いかけていた、心に引っかかっていた何かが、喉元を過ぎていった気がした。

 

 思わず笑みがこぼれる。

 

 でも、もう今更ね。

 

 じゃれ合っている二人をしばらく眺めていたのだが、少ししてイザベラは黒髪の男の子に視線が止まる。

 

 …あの少年に、見覚えがある?

 

 目線がずれる。思考に沈む。

 

 そういえば、自分が突き飛ばしたあのストロベリーブロンドの髪の少女の横には、いつも黒髪の男子生徒がいたなと。 

 その面影が、目の前で転げ回る少年と重なる。 

 

「そう、だったのね。」と、イザベラは静かに独りごちる。

 

 殿下は、聖女の護衛として彼をつけていたのだと納得をする。自分が彼女にしていた嫌がらせを、殿下が全て知っていた訳を知る。彼女の前で断罪され、逆上し、怒りに任せて突き飛ばした。嫌な記憶が蘇る。

 

 光のベールに包まれて、かすり傷ひとつつけられなかったけれどね。

 

 まあ、それでも。今回の彼は使えるかもしれない。と、イザベラは護衛の後ろで静かに笑った。

 

 


 それから数年後、殿下の立太子の儀が滞りなく終わり、予定通りイザベラはその婚約者となった。そして、アカデミーに入学した。

 

 入学式。

 何の感慨もない、淡々とした時が過ぎていく。我ながら薄情なものだ、とイザベラは心の中で笑う。

 

 彼女を見つけるのは簡単だった。珍しいストロベリーブロンドの髪。そして、彼女と同じクラスの席に、これもまた珍しい黒髪。

 

 あら、同じクラスだったのね。と、合点がいく。

 

 一回目の人生では、自信が少しずつ剥がれていくような、いつの間にか足下が見えなくなっていくような、そんな学園生活だったが、今回は逆に、少しずつ明かりが足されて、足下が照らされていくかのようだ。

 

 殿下が壇上に上がり、新入生代表の挨拶が始まる。

 

 そういえば、前に一度、魔術研究室の訓練場に足を運んで、黒髪の彼に挨拶をさせてもらったけれど、あの時の殿下の嫌そうな顔!

 イザベラはそのときのことを思い出して、口元を扇子で隠す。

 ああ、もう何で二度目の人生ってこんなに楽しいのかしら。と、扇子の後ろでくすっと笑う。本当に笑い上戸になったわ、と浮かれた気持ちになる。

 私は、この先どうなるかを知っている。この三年間で、私がお姫様であることを証明してみせると、イザベラは隠した笑顔の内側で、そう決意した。

 

 

 煌びやかに彩られた学園のホールで、新入生歓迎のパーティは華やかに開かれた。

 

 イザベラは、殿下のエスコートで、殿下の色のドレス。一度目の人生では、それを夢のように感じていたけれど…と、イザベラはもう既に遠くなった過去を思い出す。

 

 本当に、ただの夢だったわね、とまた笑う。

 

 イザベラは、はしたなく見えないように気をつけながら、ゆっくりと辺りを見回す。前回は殿下との時間に夢中になっていたし、殿下と離れている時間は「お友達」のご令嬢に囲まれていたため気がつかなかったが、ストロベリーブロンドの彼女は出席していないようだった。黒髪の彼もいない。 

 ここで何かあると踏んでいたのだけど、と当てが外れたことにイザベラは少しだけ残念に思ったが、まあ、それなら、と社交に勤しむことにした。

 一度目の人生で「お友達」だったご令嬢たちとは、今回は適度な距離を保っていたので、色々な方達とお話することができた。そんなわけで、パーティーは思った以上にイザベラにとって収穫だったのだが。

 

 それから少ししても、何も、無い。

 

「やっぱり、何かおかしい気がするわ。」と、イザベラは首を傾げる。

 

 ストロベリーブロンドの彼女の隣に殿下がいない。本当なら既に、二人の仲睦まじい様子を目の当たりにして、やきもきしていた頃のはずだ。しかし、ストロベリーブロンドの彼女がいつも一緒にいるのは、あのアルベルトと名乗った黒髪の男子生徒の方で、皇太子ではない。それがイザベラを困惑させる。

 

 運命が変わってきている?自分が違う動きをしているから?

 

 それがいい結果なのか、悪いものなのかはまだわからない。

 決して二人を引き離そうとしたわけでもないし、二人が仲睦まじかろうがなかろうが、今のイザベラにとってはどうでも良いことではあるのだが、シナリオが自分の知っているものとずれすぎてしまっては本末転倒だ。イザベラは、今歩んでいる道が正しいのか…、少し足下が不安になった。


 日を追う毎に、桜色に染まるストロベリーブロンドの彼女の頬。しかし、隣には黒髪の彼。誰が見たって明らかな恋心。心を隠すように厳しく教えられてきたイザベラには、微笑ましくも見える風景だったが、彼女は前の人生で自分を死に導いた悪魔だ。

 

 おかしい…

 

 確実に、何かが違ってしまっている。でもそれ何故なのかがわからない。

 


 そして答えが出ないまま、いよいよあの事件の日がやってくる。

 

 突然の轟音と振動に、いよいよ来たのだとイザベラは知る。

 

 今日来ることは当然わかっていた。

 前回はちょうどお友達と食堂へ移動していたところだったが、今回はせっかくだから彼女を、そして全体の状況を始めから見ておきたいと思っていた。既に準備は万端だ。

 お昼休みになってすぐに、はしたないとは思いつつも、逸る気持ちに自然と早足になる。中庭が一望できて、しかも彼女が走ってくるであろう食堂への外廊下が見える第三校舎の三階の廊下。あまり生徒が寄りつかない場所であることを良いことに、壁に寄りかかり外を見ていた。

 

 ガタガタと窓が揺れ始める。

 咆哮が近づいてくる。

 

 爆音と共に、土埃が舞う。


 ワイバーンはちょうどイザベラの上、第三校舎の上空から下りたったようで、爆風でガラスが揺れた。

 そして、その巨大でごつごつとした背中が土埃の向こうに見えた。

 

 感じたのは、恐怖ではない。今まで感じたことのないほどの興奮だった。

 

 もうすぐやってくるはずだ。あの、美しい聖女が!

 

 ストロベリーブロンドの髪が、自分の身体を抱きしめるようにうずくまっているのが見える。

 

 騎士達が集まってくる。

 飛び交う声。

 殿下が前線へ躍り出る。

 魔術師達の詠唱。

 ガラスが割れそうな勢いでガタガタと音をさせている。

 

 早く。早く来なさい。

 

 イザベラは興奮を隠せない。目を見開く。口元から笑いがこぼれる。

 

 でも、ストロベリーブロンドはうずくまったままだ。

 

 彼女は、一体何をしているというの!?

 

 ワイバーンが再び咆哮する。

 でも確実に、騎士たちが、殿下が、ワイバーンを追いつめている。

 

 イザベラは苛立ってくる。

 

 あの光を! 早く! 見せなさい!

 

 その時、ストロベリーブロンドの彼女の横を、あの黒髪の男子生徒が走ってくるのが見えた。

 ワイバーンがいよいよ最期の力を振り絞り、皇太子達に向かって巨大な炎を吐き出した。

 そして、氷の壁が突如出現する。炎が跳ね返り、ワイバーンを焼き尽くす。

 

 一体、何が起こったというの?

 

 イザベラは、さっきまでずっと見つめていた彼女に目を戻す。そこには、うずくまりながらも顔を上げて、恋する彼の背中を見つめる、聖女になるはずだった彼女がいた。

 その前で、黒髪の男子生徒が立ち尽くしている。

 殿下が振り返り、彼を見た。そして、焼き爛れていくワイバーンにもう一度視線を向けた後、彼の元に歩み寄って行く。

 

 彼は、跪き、臣下の礼をとる。

 

 殿下はその手を彼の肩にのせ、何かを告げたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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