第七話 いざ、風の都へ
「たどり着いたね……風の都に」
いろいろな風が吹き巻くここは風の都。風の領土の中でもっとも大きな町であり、中心でもあるそこは、まるで祭りでもあるのかと勘違いするほどの人でごった返していた。
人混みになれていないフィーアは軽くあたりを見回した後、隣へと視線を落とす。興味津々に周りを見渡すシェイラは彼女の視線に気づくなり、フッと微笑む。
だが、その微笑みはよく見ていないと気付けないほどに微細な変化。フィーアはシェイラの頬に手を伸ばすとグイっと口の端をつまむ。
「もう少し笑ってくれないとわからないよ」
むぅと口を尖らせるフィーア。シェイラは小さくため息をつくと、彼女の手を放し自分の手で口の端を上げて見せた。
旅を始めて三日目。何度か会話をしていくうち、シェイラはフィーアに言われたのだ。
――表情の変化が分かりづらい。
何とも失礼な言葉だとシェイラはその時、カチン、と来た。が、彼女の言う通りでもあった。幼いころから人と接する機会が少なかったため、唯一の友達は知識を与えてはくれても決して言葉を返すことのない物言わぬ“本”だけだった。ゆえに、シェイラは自分の表情筋が死んでいるという思いはあった。
それが今回、初めて他人により指摘されたに過ぎない。だから、シェイラは決めたのだ。
――表情を豊かにするための手伝いをして。
気付けば、そうフィーアに言っていた。言われた彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに快く承諾してくれた。そうして、表情筋を鍛え、表情を豊かにする訓練を開始したが、まだ始まったばかりとはいえ、シェイラは思った以上に硬い自分の表情筋に心が折れそうであった。
自分では笑顔を作っているつもりなのに、他人から見ればいつもと変わらない真顔なのだ。フィーアはクスクスと笑った後、見本だと言わんばかりに笑顔見せつけてくる。輝くそれは太陽のようだ。
「ほら、こうやって作るんだよ」
「……こう?」
できたのは歪な笑みともいえない顔。フィーアは一瞬止まったのち、大口を開け声を上げて笑った。二人の横を通り過ぎていく人々が何事かと視線を投げる。シェイラは眉間に皺を寄せると、笑い続ける彼女の手を取り歩き出す。
そして、心の中で“そんなに変な顔なのかしら”と愚痴る。いまだに、肩を震わせて笑う彼女の脇腹を強く突く。と、つつかれたフィーアは「ぐふっ」とうめき声を漏らす。
「痛いよ」
「知らない」
握った手を放そうとする。が、手は離れない。振り向くと、フィーアは握った手をじっと見降ろしている。その夕焼け色の瞳がどこか寂しげに見えたシェイラは「放して」という言葉を飲み込まざるをえなかった。
ギュッと握られた手は暖かい。シェイラはハァ、と聞こえないぐらいのため息を吐くとそのまま人混みの中を歩く。銀髪の人形のようなシェイラのことをすれ違う人々は珍しそうに視線を向ける。
早く人のいないところに行きたい。シェイラは適当に見回しながら、人のいない方へと歩く。
しばらく歩いて辿り着いたのは、客があまりいない静かな雑貨屋であった。
水晶、物々しい雰囲気のする貴金属、不気味な人形。薄暗い店内と妖しい黒いローブを見にまとった数人の客の影響もあってか、独特の雰囲気が充満している。カラン、チリン、というドアベルの音が芯とした店内に響く。
「いらっしゃい。お使いかい?」
カウンターには一人の老婆がにこりともせず二人を見据えていた。その鷹のような鋭い視線は心の奥まで見透かしているのではと思わせる。シェイラは軽くあたりを見回しながらカウンターまでやってくると口を開く。
「ここは、何を売っているの?」
「見ての通り、魔法に使う道具さね」
興味なさそうに古びた本のページをめくる老婆。シェイラは興味深そうに瞳を輝かせた。
「魔法……こういう道具を使うと、魔法の効力が上がったりするということ?」
本に視線を落としたまま、老婆は答える。
「そうさね。たとえば……」
老婆はカウンターの引き出しから取り出したのは一枚の金属でできたカード。アンティーク調のそれは風に吹かれ、長い髪とスカートをなびかせた女性の模様が刻まれていた。
「これは風の祝福を刻んだ、風のタロット。持っているだけで持ち主の魔力を高めてくれるんだよ。まぁ、風魔法を使う者限定だがね」
持ってごらんと言うように差し出されたそれをシェイラは恐る恐る触れる。一センチほどの厚さのそれは重さを感じさせない。まるで、紙でできたカードでも持っているかのようだ。だが、それだけで、特に何か力がみなぎってきたりということはない。
いつの間にか本から顔を上げていた老婆はかかか、と笑ってカードを受け取りしまう。
「どうやら、お前さんには風魔法の適正はなかったようだねぇ」
「それは残念ね」
言葉のわりにはそこまで落ち込んだ様子は見せないシェイラに、老婆は「ふむ」とローブの奥に潜む目を細めながら言った。
「……お前さんたちは冒険者かい?」
シェイラの隣で暇そうに欠伸をしているフィーアを一瞥した老婆は尋ねる。
「いいえ、ただの旅人よ。花の都を目指しているの」
「ほぉ、旅人かい。この時代にゃ、ずいぶんと不便な肩書だねぇ……よし、いいことを教えてやろう」
その言葉と同時に、老婆は引き出しから二つの小さな人形をカウンターへと置と、ニヤリとしてシェイラを見る。その視線にシェイラはスッと目を細める。
情報を欲しければ買えということだろう。シェイラは懐から小さな布袋を取り出し、老婆へと見せた。
「あいにく、私たち今はそれしか持っていないの」
ナインに軍資金として渡されたのは金貨一枚と銀貨十枚。これだけあればしばらくの旅は安泰だと言って持たせてくれた物。老婆は布袋から銀貨を二枚取り出すと、布袋を返し企むような不気味な笑みを浮かべた。
「旅をするなら、冒険者になるといい。どこを歩き回っても怪しまれないし、適当に依頼を受ければ旅の資金も稼げる。今の時代、魔物は人間に化けて生活に忍び込んでくる。だから、素性の知れない旅人ってのはまず怪しまれ、村や町に入れない場合もある。じゃが、冒険者ならギルドが身分を保障してくれるからその点は安心さね」
「冒険者ね……そんなに簡単になれるものなの?」
「都にある冒険者ギルドで申請すればすぐなれるよ」
「そうなの。……命がけの職業だと聞いていたからもっと、試験とかあるのかと思ってたわ」
「数年前までは試験制だったさ。まぁたぶん、冒険者が少ないからねぇ、なりたい人間はとりあえずならせてやるんだろう」
「ふーん」
二つの人形を手に取ったシェイラは興味なさそうに、それへと視線を落とす。無地の布でできた簡素のそれは、とてもではないが銀貨二枚の価値があるとは思えない。
踵を返し、出入り口のドア横で壁に寄り掛かり居眠りをしているフィーアの脇腹を軽く小突く。フィーアはビクリと起きると、先に店を出ていく。
続くようにシェイラは振り向かず店を後にしようとしたその時、老婆がその背中に向かって声をかける。
「その人形は“繋がりの人形”と言ってね、二つで一つの人形さ。その人形を持った者は永遠に離れられないと言われている、この世に二つとない幻の代物さ」
老婆が「銀貨二枚は破格だろう?」と言葉を続けてローブの奥の瞳をニヤリと歪ませる。シェイラは確かに貴重な物ではあるが、それは呪いの品物ではないのか、という言葉をグッと飲み込み店を後にするのだった。
店を出た二人は町を歩く人に聞きながら、都の中心部にある冒険者ギルドへと向かっていた。人通りは相変わらず多く、二人は自然と離れないように手を繋いでいる。
シェイラが先頭を歩いているため、すれ違う人々は妹に連れまわされている姉を見るような目でフィーアを見ては通り過ぎていく。フィーアはそんな視線に気づいてか気付かづか、どこか居心地が悪そうに手を引かれている。
すれ違う人々が、だんだん冒険者のような鎧や武器を持った人たちが多くなる。シェイラは目の前にいる背の高い男性が横にそれた次の瞬間、そこには見上げるほどに巨大な建物がそびえていた。
レンガ造りのそれは一目見ただけでかなりのお金がかけられているということが素人目にもわかる。だが、ソレは“豪華”というわけではなく、有事の際は人々の避難所となる“頑丈”さがあるという意味である。
「ほあーこれはまた、ずいぶんと堅そうな建物だね」
フィーアは片手で庇を作りながら言う。シェイラも同じように見上げながら「そうね」と返す。
「あんなに何重にも防護魔法がかけれてちゃ、巨人でも壊すのは難しそうだね」
「巨人でも壊せないって……相当ね」
どれだけの魔法がかけられているのか、シェイラはギルドに入る前に扉をしげしげと観察した後、扉を開けて中へと入った。
まず鼻を衝くは、濃い酒の香りだった。そして、次に届くのは酔っぱらった男たちの怒鳴り声とも勘違いしそうなほどに大きな笑い声。見れば、酒場も併設されているようだ。男たちが木のジョッキ片手に食べ物を食べては大声で話している。
「ようこそ、風の都冒険者ギルドへようこそ。冒険者へ依頼をしたい場合は右の受付でお願いします」
周りの音をかき消すだけの声の中からすっと出てくるような声の女性はにこっと爽やかな笑顔を浮かべる。年は確実にフィーアよりは上だろう。だが、その爽やかな笑みが女性を幼くさせているのか、見方によっては同い年にも見えなくはない。
「私たちは冒険者になりに来たの」
酒場にいた男たちがシェイラの言葉によって一瞬静まり返る。が、すぐにシェイラをバカにするようにクスクスと嘲笑やひそひそ話が聞こえてくる。フィーアは視線だけ男たちへと向けた後、興味を失ったようにシェイラへと視線を戻す。
女性は一瞬表情を強張らせ、気を取り直すように微笑を浮かべる。だが、その笑みは硬い。
「冒険者希望ですね。そうしたら、こちらの受付で手続きをしますね。書類に名前を書いてくれるだけで結構ですので」
「今は試験をやっていないというのは本当なのね」
シェイラの言葉に歩き出そうとしていた女性は足を止め、振り向く。苦虫をかみつぶしたような顔で瞳を伏せる。その反応を見て、シェイラは“この人は随分と正直な人だな”と思った。
冒険者の数が減っているという話が本当ならば、とりあえず冒険者になりたい、なりたそうな人間に適当に甘い言葉だけ言って笑顔を張り付けていればいい。なのに、目の前の彼女はそうしない。いや、きっとそうできないのだろう。
「そう、ですね……今は試験を行えないんです。新人冒険者向けの依頼が無いので」
「本来だったら、どんな試験になるの?」
「そうですね、通常であれば低級の魔物退治ですね」
「じゃあ、今はその低級の魔物がいないってことなのかしら」
そう訊けば、女性は困ったようにはにかむ。
「いないわけではないんです。ただ数が多くなりすぎて、試験には向かないんですよ」
「……なら、それでいいわ」
「え?」
女性は首をかしげる。気付けば、酒場で酒を飲んでいる男たちもシェイラを不思議そうに見ている。ちらりとシェイラはフィーアを一瞥すると――
「増えすぎた低級の魔物を全部倒す。それを試験にしてほしいの」
そう言い放つ。
女性はシンと静まった空気の中、その言葉を噛みしめるようにゆっくりと瞬きを繰り返した後、困惑に満ちた表情で口元を歪めた。
「――はっはっはっ! こりゃおもしれえ自殺志願者が来たもんだ!」
酒場のほうからそんな男の笑い声が響く。酒瓶を片手にシェイラを見る男は空気を震わせるほどの豪快な笑い声をもう一度響かせた後、気の毒な物でも見るような眼差しを向けた。
釣られるようにほかの男たちが、小ばかにするような視線を向けている。シェイラは僅かに眉間に皺寄せる。
「悪いことは言わねぇよ。適当に書類に名前書いて冒険者になっとけって。低級ってのは数匹ならなんともねぇが、群れになればベテランでも手を焼く奴らだ」
「そうだぜ。そっちの大剣を担いだ嬢ちゃんもあれだろ。村でビッグラビットとかを相手にしていたくちだろ? なら余計にやめておいた方がいいぜ。ここら辺の低級は“グラスウルフ”って獰猛な奴だ。ビッグラビットとは訳が違うのさ」
心配しているような口調だが、その顔と言葉からバカにしていることは明白である。フィーアはまったく気にしていないのか聞いていないのかボケーっと受付の隣にある依頼表を見ている。シェイラはため息をつきそうになるのを堪えると、男たちの言葉を無視して依頼表に貼られている一枚の紙を指さす。
そこには――グラスウルフの巣を破壊してい欲しい。という主が書かれていた。難易度などの表記はないが、新人が受ける依頼ではない。だが、シェイラは女性が口を開く前に、首を横に振る。
「この依頼を無事に達成できたら冒険者にして欲しいわ」
有無を言わさないそれに、女性だけでなく酒場の男たちも息を呑んでいた。